転生


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 母は綺麗な人だった。そして母にとてもよく似て生まれた私も綺麗だったから、今世は親ガチャ成功したなと下衆なことを思った。しかもなんと父親はあの伏黒甚爾だった。彼は前世の推しだった。私はどういう立場にいるのか初めはわからなかった。母は原作に出て来た恵の母とは随分見た目が違ったから、恵の姉でも妹でもないことは分かっていた。腹違い。甚爾が望まぬ子であったらどうしよう。禪院に売られたらどうしよう。そもそも私に呪術の才能はあるのか?疑問は絶えなかったが、予想に反して、私は父からも母からも誕生を祝われた。甚爾は母の機嫌を仕方なく取っているというより、本当に母しか見えていないように振る舞うので、どうやら此処は原作とは違う世界線らしいと思った。彼女も転生者で、恵の母親のポジションを取ったのだろうか。だとしたら此処は伏黒恵の存在しない世界なのだろうか。自我が芽生えてから暫く悩んだものの、赤ん坊の姿でできることなど限られていて、直ぐに思考をやめた。私が気にしていてもしょうがない。救済できるならしたいけれど、年齢的に今すぐ行動するのは難しそうだ。甚爾は最高にカッコよくて良かった。私には兄と姉が一人ずつ居て、どちらも両親を好いていた。だが特に母に懐いていた。それもそうだ。甚爾は本当に子供にあまり関心がなかった。母もそれを知っていて少しだけ咎めるような態度は取るが無理強いはしていないようだった。甚爾の関心が欲しくて、私はこの母によく似た顔と幼さでとにかく甚爾にアピールしていた。母よりも甚爾が好きなように振る舞った。そうすれば甚爾が面倒を見てくれると思っていたから。実際、しつこく粘れば甚爾は私を見てくれたし、兄と姉に比べて可愛がってもらったと思う。だが私が幼稚園に入って間もない頃、甚爾が母を家に閉じ込めるようになってしまった。彼は母が子供たちの面倒につきっきりになるのが気に入らなかったんだと、兄は言った。母さんは俺たちを嫌いになったわけじゃないと繰り返した。兄と姉は自分たちにそう言い聞かせているようでもあった。私はと言えば、世話をしてくれる人がいなくなったら困るなとは思った。だが甚爾が呼んだか母が呼んだか、お手伝いさんが来るようになったので家事には困らなかった。家はなんとなく暗い雰囲気になっていった。私はこれをチャンスとみて、甚爾に沢山話しかけにいった。上の兄弟は元々父と仲が良いわけではないことと、母を奪った父を非難する気持ちが少なからずあったこともあり、そこまで会話が弾んでいなかった。だから私は他の兄弟より自分を好いてもらおうとした。流石に年齢差もあるし、そもそも実の娘だ。甚爾と恋愛関係になれるとは微塵も思わないが、彼に好かれて悪いことはないだろう。それに純粋に嬉しかった。彼が私を可愛がるのではなく、私を通して母を見ていたって別に良かった。兄が高専へ行くと母はある程度自由がきくようになった。久々に母と時間をかけて向き合った。年老いたはずなのに、彼女は綺麗だった。品のある雰囲気だろうか。けれど何処か疲れたようだった。彼女は私たちに謝ると、自然に生活に戻った。今までもずっとそうしていたように。それが普通だったように。甚爾は目に見えて母を気にかけた。今までは外に出さなかったから、警戒するものが少なかった。今では彼女の周りを全て警戒していた。私たち娘二人であろうとも、彼女を傷付けることは許さないという態度だった。そこで初めて私は自分がいかに甚爾にとって些細な存在であるかを痛感した。母がいないときは比較対象が兄と姉だったから、自分が一番甚爾に大切にされていると錯覚できた。しかし今はどうだろう。甚爾にとって恐らくこの世の何より大事であろう母が目の前にいる。母に比べれば私は大した存在でないと一目瞭然だった。分かっていたはずだった。母がいた頃もそうであったのだろうけど、幼くてあまり覚えていなかった。覚えておかなかったことが、気にしないようにしていたしわ寄せが今になってやってきた。自分の思い上がりを恥じたし、想像以上にきつかった。私はやはり、甚爾のことが好きだった。これがキャラクターとしてなのか、人としてなのか、父としてなのか分からなかった。ただ、甚爾のことが好きだったし、母のことは苦手に思っていた。だから、母が出ていったとき、私は少しだけ喜んだ。それからすぐに思い直した。母がいなければ甚爾は出ていってしまうだろうと。案の定、甚爾は母の残した手紙を見て激昂した。その場にいた私と姉は萎縮していた。甚爾は私の方を見て、というより鋭い眼光で睨みつけて、それから家を出た。私は何が起こったか分からなかった。甚爾がいくら子供を気にかけないとしても敵視することはなかったし、まして私に対しては柔らかい物腰で対応していたのに。のちに姉から、母は私が甚爾を想い、加えて母を苦手に思っていたのを機敏に感じ取っていて、そのストレスが限界に達していたのだと聞いた。甚爾もそれを分かって、だがギリギリの理性で私に手を上げず出ていったのだと。私が大切だからじゃない。母が私を大切にしているから、父はそれを尊重したまでだと姉は言った。姉は、世話をしてくれる母への敬意がなっていない私を段々と疎ましく思っていることは知っていた。合わない人間がいるのは仕方ないことだから私のことは好きじゃなくてもいいが、それで感謝しないのは違うだろうと。更には父を手に入れようと浅ましくも考えるところが気色悪いと、ハッキリ言われた。姉にも私の考えが透けていたことに驚き、そして恥じた。ならば甚爾がそれに気付かなかったはずはない。本当に彼は母のために自分を邪険にしなかっただけなのだと。姉は兄に連絡すると言った。母は父には探すなと言ったが、私たちが探していけない理由はないと。私はどうすれば良いかわからなかった。私が探しても母は帰ってきてくれないだろう。この広い家で、今は私しかいない。この事実がとても寂しかった。その時、いつも母が私たちを気遣ってくれていたことに初めて気がつく。私は取り返しのつかない罪を犯したと思った。娘が父を誘惑するだけで可笑しいのに、彼女は私を排斥しなかった。他にもきっとおかしな点はいくつもあった。転生者だったから、普通の子供ではなかっただろう。兄も姉もいるから、普通の子供と比較して疑問に感じたこともたくさんあったはずだ。だが彼女は私を最初からずっと娘として接し、育ててくれていた。私は自分の浅ましさに涙が出ていた。母にも、父にも、巻き込んでしまった兄と姉にも、申し訳なかった。暫くして、五条悟が家にやってきた。あり得ないビジュアルに一瞬目が釘付けになった。彼とは面識がなかったけれど、兄から家にやって来るとの連絡があったので不審者扱いせずに済んだ。私は誰かに自分のことを懺悔したくて、彼に洗いざらい自分の気持ちを吐いた。彼は「今そう思えているなら大丈夫でしょ」と軽く笑った。私はまた泣いてしまった。母が早く見つかること、この家に帰ってきてくれることを心から祈った。




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