キャプテンと夜のキッチン
一人、夜のキッチンに椅子を引っ張り込み、ペラペラと本のページを捲る。
「あ、これいいな…」
呟いた声に返事などあるわけがないのだけれど、独り言というのはついつい出てしまうもので。
傍らに置いた赤いペンを手に取り、ページの一部にくるりと印をつける。
印で囲まれた写真は、三層のティラミスケーキ。
去年の今頃は夏島の近くにいたこともあって、アイスケーキにしたはずだ。
今度はまた違った感じで、作るのも食べるのも楽しいかもしれない。
「おい、こんな時間に何してんだ」
「わっ?!きゃ、キャプテン…!?驚かさないで下さいよ、もー」
「普通に声かけただろうが」
「キャプテンは足音静かだからびっくりするんです。もっとドスドス来てもらわないと」
「ただの迷惑行為だろ、それ…」
「あ、文字通り『歩く迷惑行為』、ですね!」
「何が文字通りだ」
はぁ、と短く溜息を吐きながら、キャプテンは薬缶に水を入れていく。
「コーヒーならわたし、淹れましょうか」
「いい。自分でやる。お前が淹れるコーヒーは薄いからな」
「ええー…。ていうか、こんな時間にそんな濃いコーヒー飲んだら眠れなくなっちゃいますよ」
「そういうお前はこんな時間に何してんだ」
水の入った薬缶を火にかけながら、キャプテンはわたしへ声をかけた時の質問を繰り返した。
そういえば答えていなかったっけ。
「今年もケーキ作ろうかと思って、レシピ本を見てたんです」
先ほど印をつけたケーキのあるページを、壁に凭れるキャプテンの方へ向けて広げる。
この時期にケーキを作る習慣ができたのは、いつからだっただろう。
ここ数年、という曖昧な記憶ではあるけれど、しかしそれは数年続いている。
発端は確か、何処かの国でこの時期に神の生誕を祝う祝日があると聞いて、そしてそれと似たような日が出身国にもあるクルーが何人かいて。
それぞれの国の話で盛り上がり、折角なら何かしようということで色々とバカ騒ぎをしたものだ。
わたしのこのケーキ作りも、みんなにサプライズをしたくて始めたんだ。
「そうか。そういや、去年もこの時期にそんなことやってたな」
「はい!今年も頑張りますんで、楽しみにしてて下さいね!」
「あまりコックに負担をかけてやるなよ」
「うっ。そ、そりゃあ去年も手伝ってもらいましたけど、でもほとんどはわたしが作ったんですよ」
「むしろそれが問題だと思うがな」
「え、どういう意味ですか…?」
溜息混じりにキャプテンが零した言葉に首を傾げると、キャプテンはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前が作った後、随分ここは様変わりしていたと思ったんだが?」
「…えと…、…今年は、気を付けまぁす…」
何も言い返せない。言い返せるわけがない。
キャプテンが言うとおり、去年ここは大変なことになったのを忘れたわけじゃないから。
ケーキはなかなか美味しくできて、わたしもクルーも大満足だったのだが…ひっくり返してしまった液体やら舞い踊る粉類やらなんやらの掃除は…『大変だった』の一言に尽きる。
コックが手伝ってくれて本当に良かったです。感謝しています。
「くくっ、まぁ好きにしろ。味は悪くなかったしな」
キャプテンはそう言うと、沸いたお湯でさっさとインスタントのコーヒーを作り、ついでにさっさとわたしのココアを淹れて、そしてさらっとわたしの頭をひと撫でしてキッチンを出て行った。
「…今年も頑張ろうっと!」
胸の前で手を握り、わたしは再び本のページへと意識を向ける。
ほんのり香るコーヒーとココアの匂いが、わたしを優しく包み込んでくれているみたいだった。
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