承太郎の執事3
「承太郎っ!?」
お袋が制止をかけるより先、おれはなまえが居る部屋の襖を思い切り開け放った。
布団に眠るなまえの顔色は、おれがこの部屋に運び込んだ時より幾分かマシに見える。
それでも相変わらず青白いのには変わりなく、頭に上った血が少し引いていくのが分かった。
「…なまえ」
眠るなまえの傍らに片膝を着き、その頬に触れる。
青白い見た目に反し、それはなまえの平均体温より少しばかり熱いように感じた。
「ん…、」
眠りが浅かったのだろう。僅かに身じろぎ、すぐにその瞼は持ち上がった。
「じょうたろう…?」
「なまえ、お前…辞めるってのは本当か」
「あ…」
起き抜けの、しかも体調不良のなまえに些か悪いと思いながらも、しかしおれは問い詰めずにはいられない。
…いや、最早問い詰めるまでもない。
なまえは今、おれから目を逸らした。
本人は気付いちゃいねえだろうが、これは昔からの癖だ。
隠し事や偽りがある時の、癖。
「本当なんだな」
「うん…」
確信を得たおれの物言いに、もはや隠しても無駄と悟ったのだろう。
上体を起こし、なまえは小さく頷いた。
「お前が倒れたことと何か関係があるのか」
「…言えない」
「…おれが他人だからか」
「違う!承太郎のこと他人だなんて思ったことない!」
「なら!そんなにおれは頼りねえか!?」
「違うってば!承太郎勘違いしてるよ!」
「勘違い?それはお前だろうが!」
珍しく声を荒げるなまえに、思わずおれまで声を張り上げてしまう。
ああ、自分のガキ臭さが嫌になる。
「わたしが、何を…」
「例えお前に何があろうが、おれはお前を手放す気はねえ。お前が本当におれの面も見たくねえというなら別だがな」
例えどんな病気だったとしても、考えたくはねえが…余命が短いと言われたとしても。
むしろ尚更、おれにはなまえを手放すなんて選択肢は有ろうはずもない。
なまえが考えているよりも、ずっと長い間おれはお前だけを想ってきた。
そしてようやく手に入れたんだ。
今さら手放すなんて有り得ねえだろ。
「そんな、そんなの…っ」
「お前は立場や肩書を気にしてるようだが、考えてもみろ。お袋や親父がおれの選んだ女にケチつけると思うか?それにお前は、おれたちにとってもう家族も同然なんだ」
今にも泣きだしそうなほどに涙を溜めるなまえ。
そんな表情をするヤツが本気で拒絶しているわけがないことぐらいおれにだって分かる。
「わたしだって…家族みたいに思ってる…。でも、大好きだから、大切だからもっといい選択があるんじゃあないかって…っもっと、いい人がいるんじゃあないかって、思っ…っ、」
溜まりきった涙が収まりきらず、ついになまえの両目からぼろぼろと雫が溢れ始めた。
言葉にも嗚咽が混じる。
なまえのこんな泣き顔を見たのはいつ以来だろうか。
こいつを泣かせたくないと思いながらも、結局その涙の理由はおれなのか。
どうしてこう、おれはいつも肝心なところで空回っちまうんだろうな…。
ぎり、と無意識に噛みしめた奥歯が小さく音を立てた。
その時…、
スパァーンッ!!
「ッ!?」
「え…っ?!」
襖が物凄い音と勢いで開いた。
「お話は全部聞かせてもらいました」
襖が跳ね返る程の勢いで開け放った張本人…お袋は、仁王立ちでそう言った。
「お、おおおおく、おくさま…!?」
「…聞いてやがったのか」
「だぁって承太郎ったら何するか分からないくらい怖い顔して行っちゃうんですもの!そりゃあ心配になって見守らなきゃって思うでしょう?」
悪びれもせずいつもの調子に戻るお袋。
なまえはお袋の登場に顔面蒼白、という言葉がしっくりくるような顔色をしている。
「承太郎、なまえちゃん」
「…、」
「はい…!」
おれたちの目の前に座るお袋に名を呼ばれ、半ば放心状態だったなまえは声を上ずらせながら慌てて姿勢を正す。
「もう!どうしてそういうことを私に黙ってるのかしら!」
「…へ?」
「心配しちゃったのよ?承太郎が何かしたんじゃないかーとか、これで喧嘩別れみたいになっちゃったらどうしましょう?とか」
「は、はぁ…」
捲し立てるお袋の勢いに押され、なまえは若干身体を仰け反らせている。
そんな様子を眺めていると、お袋がこちらに視線を向け、何故か嬉しそうに笑った。
「さて、此処でなまえちゃんから承太郎にお知らせがありまーす」
「え、え…っ」
「ちゃぁんと分かっちゃったんですからね。ほら、」
「…?」
何か訳知り顔で促すお袋。
一体なんだってんだ?
まぁ悪い話ではないんだろうが、おれの知らねえことを何故お袋が知っているのか。
若干腑に落ちない気分ではある。
「…あの、えっと…」
困り果てた情けない顔でおれとお袋を見やるなまえだが、お袋は相変わらず微笑んでいるし、何のことだかさっぱり分からねえおれはただなまえを見返す。
少しの静寂の中、なまえは意を決するようにぎゅっと目を閉じたかと思うと…半ば叫ぶように告白した。
「あっ、赤ちゃんが…できたの…っ!」
「きゃー!おめでとう、二人とも!」
「……は、」
は?
一瞬、おれの思考は確かにフリーズした。
もしくは耳がイカれちまったのかとも思った。
しかし、首から耳まで真っ赤にして、また泣きそうな顔でこちらを見つめるなまえと、「お赤飯炊かなくちゃね」なんて浮かれているお袋に、聞こえた言葉を疑うことはやめた。
「…そうか、それで…。ははっ!」
事情を呑み込んでしまえば全て合点がいった。
なまえの体調のことも、急に辞めると言い出したことも。
それと同時に、おれは心底安心した。
なまえが重い病気だったわけでもなく、無事であるということに。
「じょ、じょうたろう…?」
「なまえ」
「は、はい」
片手で額を覆い俯いたおれに、なまえは心配そうな声をかける
そりゃあそうか。
なまえは精一杯の思いでおれに真実を伝えたんだろうからな。
びくびくと身を縮込ませて言葉を待つなまえに、おれは一度深く息を吐いて…口を開く。
「今日限りでテメェはクビだぜ」
「え、はっ!?」
「お前が言い出した事だろうが」
「それは、そうだけど…!」
「お前はもう執事じゃあねえ。それに、孕ませたのはおれだ」
「あら、まさか合意のうえじゃあなかったの?」
「いえ違います!あ、その違うじゃあなくってあの…合意のうえ、です」
「お前を娶るのに、他に何の障害がある?」
ずっとなまえが言い続けてきたこと。
自分は執事なのだと、だからおれとは釣り合わないのだと。
もっと早くにこうしていれば良かったのかもしれないが、執事という最もおれに近い関係を断ち切ることをしなかったのは、他ならぬおれ自身だ。
執事なんていう肩書きでなまえを縛り付けていた。
おれもこいつのこととなると随分臆病になるんだな。
今となってはそんな風に思う。
そしておれの身内がおれたちのことを知って、それで反対するような連中はいないということはずっと思っていた。
もしかしたらなまえの親父さんには反対されるかもしれねえが、そこはおれだって覚悟を決めているつもりだ。必ず納得してもらうさ。
あとは、なまえ次第だ。
「まぁまぁ、貞夫さんにも連絡しなきゃ」
「とりあえず早く出てけ」
「はぁーい」
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