JOJOと図書準備室
◇3部本編前。
「おかしいわ、確かに此処を曲がったのに…」
「JOJO〜!」
背にしたドアの向こう側から、女たちの声と足音が遠ざかるのを聞く。
「(やれやれだぜ…)」
「溜息つくと幸せが逃げるよ、JOJO」
「溜息ってのはシアワセじゃねえから出るんだろ」
「ははは、確かにそうだね」
おれが飛び込んだこの図書準備室という空間にいるのは、おれと図書委員長のみょうじだけ。
おれはドアの鍵を閉め、勝手知ったるとばかりに室内へ進む。
教室のそれとは少し違う椅子へ腰かけるおれに、みょうじはいつもの調子で「お疲れ」と笑いかける。
此処は、おれが最近利用している“避難所”だ。
「あ、そうだ。JOJOに見せたい物があるんだ」
「なんだ?」
「じゃーん!新入荷したてでまだ図書室に並んでいない、海洋生物生態図鑑!」
分厚いハードカバーのそれを両手で突き出し、「好きでしょう?」と聞いてくるみょうじは、まるで悪戯が成功した子供のような笑顔だった。
「ああ。好きだぜ」
さっき撒いた連中にこんなことを言ったら、恐らくとんでもない曲解をされるんだろう。
(なんせ怒鳴っても喜ぶような奴らだ。)
しかし、みょうじはおれに興味がない。
最初此処に逃げ込んだ時、驚きはされたが…「あれ、鍵閉め忘れてた?」…といった程度だった。
それから割りと頻繁に利用するようになり、色々と本の話や世間話なんかもするようになったが、それだけだ。
だからこそ、おれはこの“避難所”を頻繁に利用するようになった。
存在すらあまり認知されていない場所で、尚且つ鍵まで付いている。そのうえ居心地がいい、この空間を。
キー…ン コー…ン カー…ン コー…ン
「…ん、JOJO、下校時間」
「ああ。聞こえてるぜ」
ぺらぺらとページをめくる音だけが響いていた空間に、聞き慣れたチャイムの音が割って入ってきやがった。
珍しい深海魚について書かれたページを読み切って、本を閉じる。
みょうじも程なくして本を閉じ、おれのとまとめて本棚へと片していく。
窓の方を見ると、だいぶ日が短くなったせいで随分と空は暗くなっている。
「んん〜…っ!さて、帰ろ帰ろ」
めいっぱい伸びをして立ち上がるみょうじに続き、おれも立ち上がって廊下へと出る。
下校時刻を知らせる鐘が完全に鳴り終った校舎の中は、昼間の喧騒を忘れたかのように静まり返っている。
「じゃーね、JOJO」
ドアを施錠し、職員室へと向かおうとするみょうじ。
いつもなら此処でさよならだ。
だが、おれは今しがた見た空の暗さを思い返し、こいつと会って初めてのパターンとなる会話をする。
「いや、まだだぜ」
「なんでだぜ?」
「送ってやる」
おれのマネのつもりなのかと言いたくなるような謎の口調を軽くスルーしてやる。
一瞬不満そうな顔をしたが、それよりもおれの言葉に驚いたようで。
確認するように「いいの?」と聞いてきた。
おれとしては逆にその反応が意外だった。
こいつはいつもあっけらかんとしていて、おれの周りにいる女共とは少しズレていると思う。
だから、こいつは「別にいいよ」なんて言ってのけるんじゃねえかと思っていた。
「ふふふっ、意外って顔してるね」
「お前は断ると思ったからな」
顔に出ていたのだろう。
みょうじはおかしそうに笑い、まさにそのとおりであるおれの心境を言う。
おれが正直に答えれば、みょうじはけろりとした表情で、予想外の言葉を続けた。
「やだなぁ、わたしだって一応下心くらいあるよ」
「…そうなのか」
「でなきゃいつも鍵開けて待ってたり、好きそうな本見繕ったりしないよ」
今度こそおれは驚いた。
こいつは…みょうじは、おれにまるで興味がないものと思っていたからだ。
いや、思い込んでいたからだ。
つくづく女ってのは分からねえもんだな、と余所事のように思った。
「…がっかりした?」
言葉を返さない事を不安に思ったのか、みょうじは困ったような顔でおれを見上げている。
『がっかりした?』
おれは自分の中でみょうじの言葉を反復する。
答えは…。
「…そうでもねぇな」
自分でもよう分からんが、安心すらしている。…気がする。
「そっか、よかった」
嬉しそうに笑うみょうじからは、さっきまでの不安そうな表情は掻き消えていた。
おれはまた、明日もこの存在すらあまり認知されていない、尚且つ鍵まで付いていて、そのうえ居心地がいいこの空間に来るのだろう。
そう確信した。
end
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