仗助くんの噂3


仗助くんが好きだ。
失恋していることを知っていながら、わたしはまだそのことを過去形にできないでいる。

未練がましいと言われようとも、気持ちに気がついてしまったのが後だったのだから、そうすっぱりと切り替えられるものじゃあない。

…でも、わたしには彼女がいると分かっていて言い寄るなんて勇気もないし、きっとそんなことをしたら嫌われてしまう。
他ならぬ、仗助くんに。

嫌われたくない。けれど一緒にいると辛い。

自分勝手だって分かってる。
分かっているけれど…わたしは、とうとう彼を避けるようになった。

休み時間にはわざと用もないのに席を外し、ふらふらと人気のないところや別のクラスへ足を向ける。
仗助くんは背が高いし、まぁ色々な意味で目立つから、万が一近くにいても気がつける。

帰りだって帰宅部もびっくりな早さで学校を出たり、あまり校則的にはよろしくないけど友人を寄り道に誘ってみたり。

あくまで、女子同士の付き合いを多くした風に装う。
そんなあたり、結構姑息なやり方だよなぁ、なんてため息混じりの苦笑が漏れる。

冷静になってよくよく考えてみれば、『みょうじ なまえが彼女じゃないか』説は、男子友達のあまりいないわたしがよく喋る男子というのが仗助くんで、逆に、彼から気軽に声をかける女子がわたしだったから。って、それだけじゃあないだろうか。
噂なんて、多分そんなものなんだろう。

「…人の噂も七十九日、なんて言うけど…あれ、七十五日だっけ?」

「あっ、いたいた!なまえさん!」

「えっ、広瀬くん…?!」

そこまで真面目ってわけじゃないけど、わたしは一番のりで次の教室へ移動していた。

一人だと教室寒いな、とか至極当たり前のことを思いながら独り言ちたところで、思いがけず名前を呼ばれて驚いた。
しかもそれが、仗助くんの友達の広瀬くんだったから、余計に。

「どうしたの、広瀬くん。わたしに何か用事?」

「うーん、用事っていうか、ちょっと確認したいことがあって…」

「?」

広瀬くんとはそれなりに話したことがあるけれど、こうして二人だけで話をするのは確か初めてだ。
そんなわたしに、いったい確認とはなんだろう?

首を傾げていると、広瀬くんは少し言いにくそうにしながらも言葉を続けた。

「率直に聞くけど…仗助くんと喧嘩したりとか、した?」

「え…」

どくり、と心臓がひとつ大きく跳ねた。

「…してないよ。どうして?」

嘘じゃない。だって本当に喧嘩なんかしていないもの。
そうやって自分に言い聞かせ、震えそうになる声をなんとか保つ。

「そっか、喧嘩してるんじゃあないならよかった!…これ、僕が言ったっていうのは内緒にしてほしいんだけど、最近仗助くん、なんだかすごく元気がないんだ」

「そうなの…?」

「うん。体調が悪いとかってわけじゃあなくて、落ち込んでるみたいで…ちょっと観察してたら、最近なまえさんと話してるところをあまり見かけないと思ったから、一応確認しておきたかったんだ」

指で頬を掻いて困ったように笑う広瀬くんに、わたしは背中に冷や汗が流れた。
仗助くんが落ち込んでいる理由は分からないけれど、なんて鋭い観察力。
そして、なんて優しい人…。

「じゃあ、僕行くね。あっ、さっきも言ったけど、くれぐれも僕が変な詮索してるって仗助くんには言わないでよね!」

「ふふっ、分かったよ。言わない、絶対に」

小柄な身体で走っていく彼に、わたしはひらひらと手を振って見送る。
ちらほらとこの教室にも人が集まってきたし、早く室内が暖まって、この冷や汗を乾かしてくれないだろうか。
そう、願いながら。



ピンポーン…

休日の我が家に、インターホンの音が響いた。
クリスマスを来週に控えた本日、町内でやる子供たちのためのイベントに向けて、父さんは外出中、母さんも買い物で外出中。
…つまり、みょうじ家はわたしだけの城状態である。

漫画本を読んでだらだらと過ごしていたわたしは、面倒くさいと思いながらももし配達物だったら再送してもらうのも申し訳ないので、仕方なく立ち上がった。

「はぁーい」

返事をしながら出た廊下は空気がひんやり冷えきっていて、室内の暖かさが瞬時に恋しくなる。

話の長い近所のおばさんとかだったら嫌だなぁ、なんて失敬なことを思いながらドアを開けると、そこに立っていたのは配達員の人でも近所のおばさんでもなくて。

「…じょ、じょうすけくん…」

「これ、お袋から。煮物作りすぎたからってお裾分け」

「あ、」

差し出された少し大きめのタッパーを、ほぼ反射的に受け取る。
まだ、ほのかに温かい。

「えっと、ありがとう。…珍しいね、仗助くんが来てくれるなんて」

いつも、こういうのは朋子さんが持って来てくれる。
だから近所といっても、あまり彼がこの家に直接訪れることはない。

それだけに、完全に油断していた。
まさか休みの日に、こんな二人きりで会ってしまうだなんて。

わたしは今、うまく笑顔を作れているだろうか…。

「まぁ、ちょっと…なまえに話したいことがあったからよォ。なんかおれ、最近学校だと間ァ悪いみたいで」

だから、来たんだ。
そう話す仗助くんの声が、なんだか緊張しているように感じた。
わたしが緊張しているから、そう聞こえるだけかもしれないけれど。

「そう、なんだ。なに?話したいことって」

もしかして、ついに彼女さんの紹介だろうか。
…まさかね。わざわざ休日に家まで来て、「実は彼女ができたんだ」なんて…まさか、ね。

早く用件を言ってほしい気持ちと、聞きたくない気持ちがぐるぐると追いかけっこをしている気分だ。

「あのよぉ…なまえ、クリスマスって暇か?」

「…え?」

「当日じゃあなくても、イブでもいいんだ。どっちかでも、空いてねぇかな…」

思いがけない言葉だった。
本当に、予想外すぎた。

なんとなく言いにくそうに、そわそわした感じだったから。
あんまりいい話じゃあないのかと思っていた。

…いや、いやいや。いい話でもない。いいわけがない。

「えぇと…あのさ、仗助くん。余計なお世話かもしんないけどさ…いくら友達でも彼女さんに悪いよ。そんな日に会うのは、流石にさ…」

なんでわたしがこんなこと言わなくっちゃいけないんだ。

仗助くんの言動が意味不明すぎて、無神経すぎて。
なんだかもう、泣きそうだ…。

「…え、彼女?ってなに」

「……は?」

「え、いやいや、待てって!なんだよ、その顔?!」

「いや、だって…はぁ?」

二人して玄関先でお互いに向けて疑問符をぶつけあっている今の状況は、いったいなんなんだ。

仗助くんは本当に意味が分からないって顔をしているし、かなり慌てふためいているように見える。
わたしには、彼が嘘を言ったり誤魔化しているようには見えない。

だから余計に意味が分からないんだ。

「仗助くん、彼女ができたからって告白断ってたんでしょう?…もしかして、もう別れたの?」

「だーかーら〜、彼女なんか…って、ああ…!あああ〜〜!そーいうことか…ッ!」

「ちょ、仗助くん声大きいよ…!なに、記憶喪失でもしてたの…」

ハッとした顔になったと思ったら、大きな声をあげて頭を抱え込み、膝を折り曲げた仗助くん。
今日の仗助くんはえらく挙動不審というか、なんだか心配になる。

「…どっから説明すりゃいいんだ」とか、頭を抱え込んだままぶつぶつ言っていたかと思うと、勢いよくばっと立ち上がった。

「うわ、」

「なまえ、まず結論から言うけどな…おれに彼女はいない。別れたとかでもない。最初っからいない」

「なに、言って…」

「…嘘なんだ。彼女がいるからって、嘘ついて断った」

両手で持っていたタッパーを、取り落としそうになった。

仗助くんはものすごく真剣な目をしていて、さっきまで唸っていたのがそれこそ嘘のように、一言一言をきっぱり言い切っていく。
彼の言葉が全て真実なのだと分かる。わたしの心に、すっと染みこんでくる。

『彼女がいるから』そう断れば、告白してくれた女子たちもすっぱりと諦めてくれるだろうし、きっと傷つけることもないだろう。
そう考えての…敢えての嘘だったのだと。

「それが、まさか噂になんかなっちまってるとはよォ…マジに誤算だったぜ〜…」

「まぁ、何人にも同じこと言ったらそりゃあ…噂にもなるよ。仗助くん、もっと自分の影響力知っといた方がいいと思うよ…?」

目の前にいるわたしも、まんまとその噂を鵜呑みにしていたわけだし。

仗助くんはがっくりと肩を落としているけど、わたしは全身の力が抜けた気がする。
気を抜いたら、この場にへたり込んでしまいそうなのを必死で堪えているくらいだ。

「…もしかしてよ〜、なまえ、最近おれに気ィ遣ってた…?」

「仗助くんにっていうか、その架空の彼女さんにかな」

「ああ、うん、そうね…」

ここ数日、数週間。色々悩んでいた時間やもやもやしていた嫌な気持ち、それからわたしの涙を返してほしい。
…なんて、絶対に言えやしないけど。

でも、わたしの恋はまだ失恋していなかったんだ。
まだこの気持ちを、大事に持っていても…いいんだよね…?

「で、話を戻すけどよ…クリスマス、なんか予定は?」

「ううん、特にないよ。なぁに?広瀬くん…は、山岸さんがいるから置いといて、虹村くんたちと集まったりするの?」

彼がここへ来た時は、笑えているかどうかも分からないくらいだったのに、今はとても気持ちが軽い。
自分がにこにことしているのが分かる。ほんと、わたしって単純だ。

「…いや、今回はよォ、その…二人でどっか行きてぇんだけど…、」

「え、二人?…仗助くんと、わたしで…?」

仗助くんは、無言のまま頷いた。

「クリスマスになまえに言おうって決めたことがあるんだ。だから、ぜってー約束だからな!ぜっってー忘れんなよ!」

「う、うん…分かった。絶対…」

何度も念押して帰っていく仗助くんの背中を、相変わらず両手にタッパーを持ったまま見送る。

クリスマスに二人で会って、言いたいこと…。

…まさか。…まさかね、変な期待しちゃ悪いよね。
でも…でもさ…期待しちゃうよ。
そんなこと言われちゃったらさ。そんな、赤い顔されちゃったらさ…。

数分くらいは玄関でぼーっとしていたのだろう。
ガチャリと玄関を開けた母さんが、「うわっ、なにしてんのあんた…びっくりした」と声をあげるまで、わたしの時は止まっていたに違いない。

「さっき仗助くんが走ってくの見えたけど、来てたの?」

「あ…うん、煮物、貰ったよ」

「あら、そう。また朋子さんにお礼言っておかなくちゃ」

ふわふわした頭でなんとか返事をしてすぐ、タッパーを母さんに託し、わたしはダッシュで自分の部屋に引っ込んだ。

少し前までは程よく暖かかった室内は、少し暑いくらいに感じられた。



end




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