仗助くんと過去の傷
「なまえさん…それ、」
「あ…っ!」
よく晴れた日だった。
暦のうえではもうだいぶ前に秋だって言ってたけど、実際はまだ夏に近い暑さが残ってる。そんな頃。
おれとなまえさんは街まで出て、他愛ない話をしながら思いつくまま色々なところを見て回っていた。
キッチリ計画立ててってのもいいけど、こんな風になんでもない感じのデートってのもおれは結構好きだったりする。
なんつーか、一緒にいられればそれだけでいい。とか、マジで思ったりする。
それくらい、なまえさんのことが好きだ。
このまま夕方ぎりぎりまで一緒にいて、ちゃんと彼女の家まで送り届けて。
そしたらまた一週間頑張れる。
それが、ここ最近のおれのサイクルになってる。
だいぶ日が短くなってきて、ああ、そろそろなまえさんの家の方へ向かわなくっちゃあならない時間だ。そう思いながら、最後にちょっと休憩するくらいはいいよな、とか自分に都合のいいように考えたおれは、通りすがりに見つけた公園になまえさんを誘った。
自販機で飲み物を買って、ベンチに二人。並んで座る。
本当に偶然だった。
木々がざわめくくらいの強い風が、彼女の方からおれの方へと吹き抜けていった。
その時、見えてしまったのだ。
髪を抑えるために上げた腕を、するりと羽織っていた薄い上着の袖が落ちていき、手首の、もう少し下あたり。
くっきりと残った、火傷の痕。
なまえさんは慌てて隠してしまったけれど、…いや、だからこそ確信した。
あれはただの火傷なんかじゃあない。
「…なまえさんが嫌がることなんかしたかねーんスけど、でもいっぺん見ちまったもんを見過ごすなんて…おれ、できません」
「仗助くん…」
「なまえさん、ちゃんと見せてください」
女の人の細腕だ。無理矢理掴んで確認するのなんてわけねーことだが、それじゃあダメなことくらい分かる。
どうしたって触れられたくないこともあるだろう。
今は話したくないことだって、いつか話してくれる時が来るかもしれない。
だから、もし今断られたとしても、おれは別に凹んだりとかはしない。
…そりゃあ、気にはするけど。
じっと反応を待つおれに、なまえさんは何度か俯いたり、それでも何か言葉にしようとしているようだったり、とにかく動揺していることが見て取れた。
「見ても、気持ちのいいものじゃあないよ」
「はい」
「…ほとんど知ってる人はいないから、秘密にしてね」
「はい」
躊躇いのないおれの態度に対してなのか、なまえさんは一瞬苦笑いみたいに笑った。
でも、今度はなまえさん自身の手で上着の袖を肘のあたりまで捲り上げ、おれの前に腕を伸ばして見せてくれた。
「…やっぱりタバコ、ですよね。これ」
「うん」
「けど真新しい火傷でもねーみてぇだし、多分家庭内の問題ってわけじゃあないですよね」
「うん」
そこまで聞いて、おれの頭ん中に浮かんだことはふたつ。
いっこは、家庭内の問題じゃなくて良かったってこと。
もし家庭内の話だったら、おれが口出しできることなんかほとんどないだろう。
それに、治すことはできても、守ることは難しい。
そしてもういっこは、この火傷の原因が多分…なまえさんの前の彼氏なんだろう、ってこと。
「で、でもね!もう問題は解決してるっていうか、これはもう全然痛くはないし、痕だってきっともっと時間が経てば薄くなると思う。…から、大丈夫だよ」
おれは感情が表に出やすいから、多分今、なまえさんはおれが怒ってるんだと思ったのかもしれない。
なまえさんが何かしたわけでもねーのに、むしろされた方なのに。
すぐに腕を引っ込めて、なんでか言い訳するみたいに、ちょっと早口で「もう大丈夫なんだ」とおれに伝えようとしている。
「…おれ、ほんとは知ってました。なまえさんが前に付き合ってた人が、そういう人だったって。流石に、ここまで酷いとは思ってなかったっスけど」
「そう、なんだ…」
「でも、なまえさんはちゃんとその人のことが好きなんだってのも、悔しいけど、分かってたんで…だから、」
「…?」
一瞬言葉を詰まらせたおれを、なまえさんが真っ直ぐに見つめてくる。
ここまで言っておいて「なんでもない」だなんて言えやしないけど、ああ、なんでおれ、今こんな余計なこと話し始めちまったんだろう、と、少し後悔している。
「なまえさんがその人と別れて元気ない時、その…弱みにつけ込んだ、っつーか…おれも結構そーいう嫌なやつ、なんです」
当たり前のことだけど、少しの沈黙がもの凄く気まずい。
なまえさんからしたら、嫌なこと穿り返されたうえに、いきなり懺悔じみたことを告白されているわけだ。
こんな話、一生しなけりゃ良かったのに。
「…ふふふっ」
「な、なまえさん?!今の笑うとこじゃねーっスよ!?」
「ごめんね、仗助くん。だって…そんなこと言われなければ分からないのに、わざわざ言うなんてよっぽど真面目だよ。それなのに『嫌なやつ』だなんて、なんだかおかしくって」
「嫌な性格とか、思わないんスか」
「だって、仗助くんはちゃんとわたしのこと大切にしてくれてるの、知ってるもん」
「っ!」
…正直、びっくりした。
確かにおれはなまえさんのことスゲー大切に想ってるし、結構言葉にもしてると思う。
伝わってないかも、とか思ってたわけじゃねーけど、だけどこんなにハッキリ言い切ってくれるなんて。
完全に不意打ちだ。
多分おれ、今けっこー情けねぇ顔してるって自信がある。
そんで、がーっと顔が熱くなった。
「それにね、そんなこと言ったら仗助くんよりわたしの方がよっぽど『嫌なやつ』だと思う」
「え」
「あの頃は、仗助くんの優しさで色んな傷を勝手に癒やしてもらってた。わたしこそ、仗助くんの優しさにつけ込んでたんだと思う」
目を伏せながら言葉を紡ぐなまえさんの声は、静かだった。
だけど、胸の前でぎゅっと手を握るその仕草は、彼女がよく自分を落ち着かせようとしている時に見られるものだ。
表面上穏やかに見えても、心の中じゃあさっきのおれと同じような心境なのかもしれない。
なまえさん的には、お互い様だから気にすることないって意味なのかもしれないが、当然、おれはそんな当時のことを言われたても傷ついたりはしない。
だって、どっちにしろ近寄ったのはおれの方からなんだから。
「ねぇなまえさん。もし、この痕をきれいさっぱり消せるって言ったら、なまえさん…どうします?」
「え…?」
幽波紋のことを知らないなまえさんは、きょとんとした顔で小首を傾げ、それから瞬きをして、小さく唸った。
おれの「もしもの話」を、真剣に考えてくれているらしい。
「わたしは…もし消せるって言われてもこのままにしとく、かなぁ」
「なんで?…なまえさんがいっつも長袖着てたのって、それ隠すためでしょ」
「あ、バレてたんだ…いつも長袖って」
「そりゃ、流石に気になりますって」
「そっか、そりゃあそうだよね。…うーん、さっき言った、もっと薄くなるだろうって期待もあるんだけど、残すのは教訓として、かな」
「教訓?」
「うん。今は、心から仗助くんのことが好き。仗助くんだけが、大好き。…でも、酷い人だったけど、それでもあの人のことを好きでいた自分もいて、うまく言えないけど…ただ酷い思い出だからって消しちゃうのは、ちょっと自分に都合が良すぎるんじゃないか、とか。…あはは、ちょっと何言ってるのか自分でも分からなくなっちゃった」
「うまく答えられなくてごめん」と困ったように笑うなまえさんの気持ちを、おれはいまいち理解できない。
嫌な思い出なら、いっそすっぱり忘れちまった方が楽なのに。
…ああ、でも。
そいつがつけた色んな傷があったから、なまえさんはおれに甘えてくれた、ってのもあるのか。
色んなことがあって、今のなまえさんがいる。
おれの隣で笑ってくれてるなまえさんがいる。
そう思えば、このくそったれな痕もまぁ…意味はある、ってことなんだろうか。
…許せねーことには変わりないが。
「ま、おれもなまえさんから貰ったメモとかノートの切れ端とか、そーいうやり取りしたもんとってあるし…過去のものだからって、全部捨てる必要はないっスよね」
「えっ!仗助くんそんな細かいものまでとっておいてあるの?!…なんか恥ずかしいな…」
「えー、恥ずかしいってなんスか、恥ずかしいって!」
「いやいや、仗助くんが恥ずかしいとかそういうんじゃなくて!自分が変なこと書いちゃってないかなって心配なの!」
「変なことなんかいっこもないっスよ。誰がなんと言おうと、なまえさんから貰ったもんはおれにとっちゃぜんぶ大事なんス」
「うぁあ、恥ずかしい…!」
「…今のはおれに対する『恥ずかしい』でしたよね」
「あは、バレた?」
「もー!」
だいぶ日が落ちた公園で二人、端から見たらきっと二人ともただの恥ずかしい人たちなんだろう。
所謂、バカップルってやつかもしれない。
でもそんなのはむしろおれ的には嬉しいことで、そんでこんな風にずっといられたらと、心底思う。
なまえさんと過ごす一日一日、一瞬一瞬が、おれにとってはなにより大事なんだ。
帰路につくおれとなまえさんの手は、いつもより固く握り合っていて、いつもよりスゲーあったかく感じた。
end
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