露伴とお別れをする


◇4部本編前捏造。タイトルそのままなので切ない。


本当のことを言うと、随分前から考えていたことだった。
東京は、まぁ便利なこともあるけれど、それでもやはりゴチャゴチャしていて、人が多すぎるほどで。
元からそんな風に思っていたのに、漫画を連載して数年が経つと、ぼくの周りはもっと騒がしくなった。

沢山の人がぼくの漫画を読んで、面白いと言ってくれることは喜ばしいことだけれど、だからって見ず知らずの人から馴れ馴れしくされることも、しつこくされることもぼくは好きじゃあない。

“ぼく”のことはどうだっていいんだ。
ぼくの“漫画”を見てくれよ。

心の中でそう思いながら、しかしそれを言ったとしたら“ぼく”のせいで“漫画”が読まれなくなってしまうんじゃあないか。そういう恐怖心も一緒に生まれて、結局ぼくは愛想笑いを浮かべる。

そんな自分にうんざりしていたんだ。
自分が一番よく分かっている。こんなことは、性に合わない。

だから、その頃から考えていたことなんだ。
金が貯まったら、もっと静かなところへ引っ越そうってね。

…ただそれを彼女に…なまえに言ったことはなかった。

一度も言おうと思わなかったわけじゃない。
それを考え始めた時、引っ越し先をぼんやりとだけど決めた時、そろそろ家を建てようかと思った時…。

なまえとはよく会っていたし、言うチャンスなんてのはいくらでもあった。
でもぼくは悩んだんだ。
「引っ越そうと思う」。そのひとことの続きを。

ぼくが遠くへ引っ越す。
それで?

それでぼくと彼女の関係は…どうなる?

きっと、どうにもならない。
遠距離恋愛だなんて続くわけがない。ぼくも、なまえもそういう性格だ。

自然消滅。

会うこともままならなくなって、連絡も次第に減るだろう。そして互いの声さえも忘れる。
最初からなにもなかったみたいに。

心臓がジクジクと痛んで、気がつけば歯を食いしばっていた。

それを誤魔化すように、一晩中原稿を描いた日も少なくない。


「露伴、ちゃんと寝てる?」

「…眠そうな顔に見えるかい?」

「眠そうっていうか…露伴って色白だからさ。顔色悪いの分かり易い」

よく見てるな。
ぼくと向かい合わせに座り、心配そうな表情を浮かべるなまえには悪いが、ぼくはそんな小さいことが嬉しくて笑っちまいそうになる。
それを、なまえが淹れてくれたコーヒーに口をつけて誤魔化した。

「確かに、少し寝不足かもな。…ちょっと急ぎで仕事をしてるんだ」

「素人目からでも露伴の筆はめちゃくちゃ早いの分かるレベルなのに、それでも急がなくちゃいけないなんて…編集さん、鬼だね」

「編集ってのはだいたい鬼さ」

ここにはいないからって、罪をなすりつけたことは悪いと思ってる。
今度原稿を取りに来た時は菓子でも出してやろう。…覚えていたら、だが。

でも全部が嘘ってわけじゃあないんだ。
ぼくが急ぎで原稿を描いていることは事実。

ただそれは担当編集に言われたからってんじゃあなく、引っ越した時にも原稿を落とさないためだ。
そのための、準備。

「そういう時には言ってくれたらいいのに。露伴、疲れてる時は一人でゆっくりしたい人でしょ?自分で言うのもなんだけど、そういうとこは理解あるつもりだよ、わたし」

柔らかい笑顔が、チクリと刺さった。

「会うのはいつでもいい」、「いつでも会える」。そんな風に言うなまえに、もう時間がないんだとぼくは叫びたかった。
自分の首を、自分で絞めている。

…言うなら、今じゃないのか。

先送りにし続けた言葉。
とっくに決まっていたぼく自身の台詞を。

「…なまえ、ぼくはキミに言わなくちゃいけないことがある。大事なことだ」

「…何?」

重苦しいぼくの顔を見て、なまえは自然と姿勢を正した。
そういう、人の話をしっかり聞いてくれるところ、とても好感が持てる。
きっとキミは誰にだって好かれるだろう。好かれなかったとしても、うまくやっていけるだろう。

「ぼくは…近々M県の生まれ故郷に引っ越すんだ。もう家も用意してる」

「え…M県…?」

「ああ。東京に戻ってくるつもりはない」

「……そっか」

「だから…本当に、急にこんな話をしてすまないが…別れよう。キミもぼくも、遠距離恋愛なんてできる柄じゃないだろ」

思ったよりも、するすると口が動いた。
悩んでいた時はあんなにも騒がしかった頭の中が、しん、と静まりかえっているような心地だ。

目の前のなまえは、ひどく驚いた表情だというのに。

「露伴…」

困惑したままの顔と声でぼくを呼び、静かに立ち上がって、伸ばされる手。
そっと両頬に触れたなまえの手の平に、今度はぼくが困惑する。

「なんで…露伴が泣くの」

「…は、」

「なんか急に色々言われてもう全然訳分かんないのに、露伴が泣いてたら何も言えないじゃない…」

…泣いているだなんて、自覚もなかった。
なまえの言葉に驚いて瞬きをした時、目尻から雫が零れた。
座ったままのぼくはなまえを見上げるかたちになっているせいで、その雫は耳の方へ向かって流れていく。

ぼくの頭は静まりかえっていたんじゃあない。
そんなことすらも分からなくなるほど…もういっぱいいっぱいだったんだ。

「…好きだよ、露伴」

「…やめてくれ、なまえ…もうぼくは、」

「露伴の言うとおり、遠距離恋愛なんて続く気がしない。…耐えられない。だから別れる、っていうのが一番スッッキリすると思う。…でも、でもね…好きだよ、露伴…」

最後の方は、震える声をなんとか絞り出したような、そんな心許ないほどか細い声だった。
実際、頬に触れたままの手は…震えている。

「…ぼくだって、キミを嫌いになったわけじゃあない。だからこんなに苦しいんじゃないか」

ぼくがどれだけ苦しいか、そんなものなまえに伝わるわけがないのに。
そう思いながらも、言葉にしてしまう。彼女の手に、自分の手を重ねてしまう。

いっぱいに溜まった彼女の涙が、ついに溢れだした。

何かを言いかけて、それを飲み込むように一度唇が閉じられた。
ぽたぽたと彼女の頬を伝う涙は、何にも邪魔されずに流れて、やがて顎から落ちていく。

「…ほんとは、たくさん言いたいことがあるんだと思う。けど、なんか全然出てこないや。…今まで、ありがとう。…さよなら、露伴」

「…なまえも、元気で」

「うん」


なまえは、もしかしたら気がついていたんだろうか。
僕が他県へ引っ越そうと考えていたことを…。

そう思わせるほど、すんなりとした別れ。

声を荒げることもなく、抗議もなく、理由を追及されることもなかった。
淡泊な別れ際にもとれるけれど、二人して涙を流しながら「好き」だとか「苦しい」だとか…。
別に、恥ずかしいだなんてこれっぽっちも思わないが。

小さく鼻をすすりながら、さっと涙を拭ったなまえが最後に見せた笑顔が焼き付いて離れない。
無理して笑ってるっていうより、…ああ、そうだ。
あの時のぼくのように…『静か』になってしまったような…そんな風に見えた。

なまえが一度も振り返らずに出て行った扉。
ぼくは、決して追いかけることなんてしない。

もう、二度と会うことはないだろう。

それでも、気がつかなかった涙のように、零れた。

「キミに会いたい…」

これからも、ずっと。

ぼくの声は誰の耳にも届きやしないし、残ることもない。
それでいい。

そうでなくては、ぼくは前に進めない。

ただ今は、少しだけ立ち止まって深呼吸でもしてみようと思う。



end
「一緒に来てくれないか」。そんな続きを言えたなら未来は大きく変わったかもしれない。


ご応募頂きました台詞をこちらで使わせて頂きました。




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