空条 徐倫と過去の両親


◇『承太郎×執事シリーズ』設定。時間軸的にはエジプトツアー終了後。徐倫視点。


消毒液の独特なにおいにも、だいぶ鼻が慣れてきた。

細かい傷とはいえひとつやふたつではなかったから、それくらいには時間がかかっても仕方がない。

それに、あたしとしては少し時間がかかってくれた方が、現状の把握…というより、自分自身のごちゃついた頭と心の整理ができて助かる。

「よし…。他に怪我しているところはありませんか?」

「いえ、大丈夫よ…なまえ。ありがとう」

母さん、と口を突きそうになった言葉をなんとか飲み込んで、あたしは怪我の手当をしてくれたスーツ姿の女性に礼を言う。

「どういたしまして」と微笑む彼女は、確かにあたしの母親であるが…空条 なまえではない。
みょうじ なまえだ。

あたしの、未来の母親。



ここは、1988年の日本。

あたしが生まれるどころか両親が結婚するよりも前の時代。

過去の時代に飛ばされる、なんてSF映画みたいなこの状況は、まぁ当然幽波紋能力によるもの。
もしこれが敵の幽波紋能力だったなら、あたしは今頃訳も分からずただ神経をすり減らしていたことだろうけれど、これは仲間の能力であることを知っている。

この能力は、対象者を一定時間だけれど別の場所に遠ざけるというもので、基本的には時間稼ぎくらいしか使い道がないのだと本人は言っていた。
けれど、敵の攻撃に一瞬反応が遅れたあたしを咄嗟に助けるために発動された能力によって、まさか過去の両親の元へ飛ばされるだなんて…。

「しかし災難でしたね。まさかここへ到着される前に階段から転落されるだなんて…。電話頂ければお迎えにあがりましたのに…」

「い、いえ、近くに来たからたまたま寄っただけだし、階段から落ちてこの程度なら不幸中の幸いだわ」

「確かにそうですね。見たところ擦り傷は多いですが、骨や関節を痛めているところはなさそうです」

「ええ、そうね。良かったわ」

薬や包帯を薬箱にしまいながら話す母さん…いえ、なまえの横顔を見ながら、若干無理矢理に笑う。
彼女に嘘を言うのは心苦しいけれど、SF映画なんかでタイムスリップした時は大抵自分が未来の人間だってことや、接触した人の未来に関わるようなことを喋っちゃあいけないってのが鉄則…。
幽波紋能力とはいえ、過去へ来たという事実に変わりはないのだから、あまり不用意なことはできない。

下手をしたらあたしの生存に関わってしまうかもしれないのだから。

なにか理由があるのか、運命の悪戯なのか。
あたしが飛ばされた先は日本にある空条邸の門前だった。

あたしは実際この家に訪れたことはなかったけれど、昔写真で見たことがあり、且つ表札に書かれた『空條』の文字に呆然と見入っているところへ、なまえが現れた。

あたしの知る空条 なまえより随分と若かったけれど、それでもやっぱりあたしは直感したんだ。
それが母さんであることを。

そしてうっかり零してしまった自分の姓をなんとかうまいこと利用し、なかなか家にいないことで有名な祖父…空条 貞夫の遠い親戚であると名乗った。

やがてあたしの怪我に気が付いた彼女は慌ててあたしを家の中に招き、そして手当をしてくれたというわけだ。

本当に、昔から優しい人…。

今、目の前にいるなまえは恐らくあたしと同年くらい。
そう考えるとなんとも複雑な気持ちになるけれど、久しぶりに会えたことは本当に嬉しい。

「さて…怪我の手当は終わりましたが、この後はいかがなさいますか?先ほども申し上げたとおり、旦那様、奥様共に不在にしておりまして…本日は戻らない予定となっておりますが、」

「そうね…」

祖父母が不在とはあたしも運がいいわ。
土地勘のないこの国で一人ふらふらするよりは、なまえと一緒にいた方が断然有意義。

「少し付き合ってくれない?」

「…?」

小さく首を傾げるなまえに手を伸ばし、あたしは彼女の柔らかな手を引いて立ち上がった。



「へぇ、これが日本の街並みってやつなのね」

きょろきょろと辺りを見回しながら歩く街並みは、やっぱりアメリカとは随分違う。
それは時代のせいっていうのもあるかもしれないけれど。

両親の生まれ育った国。
治安はそれなりに良さそうで、程よく整備された街。

「とてもいいところね」

「ふふっ、ありがとうございます」

振り返ると、あたしの一歩後ろでなまえが少し照れ臭そうに、でも嬉しそうに微笑んだ。

…そしてそのなまえの横に、あたしをどうにも訝しそうな表情で見ている男がいる。

あたしの未来の父親である、空条 承太郎だ。

あれはもう“見ている”なんてもんじゃあないわね。観察よ。もしくは監視。
気持ちは分からないでもないけれど、こうもあからさまにされたらイラつくってもんだわ。

そもそもあんたはお呼びじゃあないのよ。
…なんて言っても、なまえを誘った時点で執事をしているこの時代の彼女が勝手に外出するはずないってことは薄々分かってはいたんだけれどね。
そしてなまえが主…承太郎に相談してくるって言われた時点で、これはもうあいつも同行するだろうことは予想できていた。

ま、そりゃあそうよね。
空条姓を名乗っているとはいえ、見ず知らずのあたしと恋人を二人だけで外へ出すなんて、慎重なあいつが許すわけない。

…ん?ていうか、二人は今どういう関係なのかしら。
結婚した年くらいは知っているけれど、流石にいつから付き合い始めたのかなんてことまでは知らない。

なまえはあいつを「承太郎様」と呼び、手を繋いだり肩を抱いたりはなし。
ただ“母さん”の性格を考えれば、あたしがいるから主人と執事って肩書きを順守しているような気もする。

そう考えると、もともと空条邸から出た時はあたしと、それからあいつよりも更に一歩後ろを歩いていたなまえの隣になるように歩幅を調整して歩くあいつの行動。
そしてその距離感から想像する方が適切なように思える。

今の二人がどういう関係にしろ、傍から見たら少なくともあいつがなまえに惚れてるのは確かみたいね。

なまえを見る目とあたしを観る目、随分と差をつけてくれるじゃない。

今目の前にいる承太郎はあたしのことなんか知る由もないし、実質なにひとつ悪くない。
けれど、母さんやあたしを長いこと放って家庭を顧みない“親父”にどうしても腹が立ってしまうのは仕方がない。

だからあんたには悪いけれど、ちょっとくらいの意地悪は許してよね。

「なまえ、そんなに離れてないで一緒にいろいろ見て回りましょ」

「わ、じょ、徐倫様…」

「様はなしよ。むず痒いわ」

「えっ、しかし、」

なまえの手を握り、あたしと並ぶように誘導する。
彼女は困った顔をして慌てたけれど、緩く握ったあたしの手を振りほどこうとはしなかった。
本当は呼び方も呼び捨てが一番しっくりくるのだけれど、意外にもなまえは頑固で…。

「では、徐倫さんとお呼びしますね」

「…ま、許容範囲ってとこかしら」

「ありがとうございます…!」

そんなほっとした顔されたら、まるであたしがなまえにまで意地悪しているみたいじゃない。

たまに両親から母さんが執事をしていた頃の話を聞くことがあったけれど、本当に肩書きに忠実というか、お堅いというか。

これは承太郎も苦労するわね…。

ほんのちょっぴり同情の気持ちであいつに目を向けると、なまえをとられて今にも舌打ちしそうな程不機嫌な表情が見えた。

“親父”は一見なに考えてんだかよく分からないことが多いけれど、この承太郎は幾分か分かりやすい。

「あんたも、今日くらい呼び方変えてもらったらどう?」

「あ?」

「あたしたちしかいないんだし、そんなに堅くしなくてもいいんじゃあないかと思ったんだけれど。あんたたちは二人きりでもその呼び方なの?」

「えっと、二人の時は…、」

二人は顔を見合わせ、一拍遅れてなまえの顔が一気に赤くなる。
これは…。へぇ、なるほど。
付き合い始めて間もない、って感じかしら。

「いいじゃない、プライベートな呼び方があるならそっちの方が楽でしょ」

「で、でもそんな今は仕事中と申しますかっ!」

「おれは前から敬称なんざいらねえと言ってるんだがな。なまえ、こいつも気にしねえっつってんだ。普通の呼び方でいいだろ」

「承太郎様まで…っ!」

スーツで堅苦しく装ってはいるけれど、顔を真っ赤にして困り果てるなまえは、間違いなく恋する乙女というやつで。
我が母親ながら可愛らしいとさえ思えてしまう。

そうだ。彼女も…母さんも、本当は普通の女なんだ。
いつも親父がいなくても不安そうな表情を見せず、それでいて親父やあたしを温かく、優しく迎え入れてくれる母さん。
あたしたちにとっては特別な存在のように感じられるけれど、それでも幽波紋を使えるだけの、それ以外は基本他の人と大差のない一人の女。

不安だって、寂しさだってあるに決まっている。

「ねえ、あんたはなまえのこと…大切?」

一度なまえから手を離し、承太郎にだけ聞こえるように大きく一歩近づき、小さな声で問いかける。

あたしの唐突な問いに僅かながら驚いたように見えたけれど、答えはすぐに出された。

「当たり前だろ」

「そう。なら、絶対に裏切ることだけはしないで」

「…お前が何のことを言っているのかは分からねえが、あいつが悲しむようなことはしねえよ」

「…絶対よ」

承太郎が、あたしが言う“裏切り”をどういう意味で捉えたかは分からない。
けれど、あたしには十分なコタエ。

もとの時間軸に戻って更に先、何が起こるかなんて分からない。
でも、それでも。
あたしの帰る場所は、母さんと父さんのいるところだ。

「あーあ、あたしはなまえとデートしたかったけれど、急用を思い出したわ。残念だけれどあとはあんたに任せる」

「わ…っ!?」

再びなまえの手を取り、少し強引に引き寄せる。
柔らかい頬に一度口づけ、そのままの勢いで承太郎の方へとなまえの背を押した。

承太郎が若干ふらついたなまえを難なく受け止めたのを視界の端に写しながら、あたしは身体を反転させてさっさと歩きだす。

「…っおい、」

「二人でデートして帰りなさいよ〜」

「徐倫さん!…また、何処かでお会いできますか…?」

「…ええ、会えるわ。必ずね」

律儀にお辞儀をしてあたしを見送るなまえに、ひらひらと手を振る。

数年後の未来で、また。

心の中でそう告げて、あたしは人混みに紛れた。

もうすぐ、もとのあの場所へ戻るような気がする。

闘う理由を、帰るべき場所を再確認したあたしは…今までよりずっと、強くなれたんじゃないだろうか。


end

以下、おまけという名の蛇足。
通りすがりの生存院さん。



街を歩いていると、見知った顔を発見した。

承太郎となまえさんだ。
一瞬声をかけようかと思ったけれど、どうやら別の女性も一緒らしい。

会話とかは全く聞こえないが…なんだか、承太郎と女性がなまえさんを取り合っているように見える。

なまえさんの友人だろうか。

しかし、最初は女性の横顔しか見えなかったけれど、正面から見ると承太郎に少し似ているような気がする。

…いや、それでいてどことなくなまえさんにも似ているような…。

二人の間に子供が生まれたらあんな感じになるのだろうか。
なんて、流石に気が早いかな。

今度、今日見かけたことを教えてやろう。
そしてわざとらしく「あれは二人の子供かい?」なんてね。

少し意地悪かもしれないけれど、あの二人はどうもお互いに不器用だから。
たまには無理矢理意識させなくちゃ、進展なんかしない気がする。

僕は二人に見つからないよう、こっそりその場を後にした。



『執事シリーズで6部徐倫ちゃんが過去の両親と出会ったら』とのリクエスト。
頂きました素敵設定がッ!半分くらいしかッ!盛り込めていない…ッ!
6部徐倫ちゃんと3部承太郎さんはなんとなく仲悪そうだなーという勝手なイメージが膨らんでしまいました。

少しでも楽しんで頂けましたら光栄でございます…!




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