番外編(赤井IF続き)


「…って、流されるわけないでしょう」

近付く口元を手で押さえると、手のひらに触れた彼の薄い唇がクッと弧を描いたのがわかった。
拒まれたというのにどこか満足げな表情で、赤井が体を離す。

「今のは惜しかったな」
「冗談やめてください」
「悪いが本気だ」
「……本気でもやめてください」

心臓に悪すぎる。
そう思ってわりと本気で言った名前だったが、「その頼みは聞けないな」と流されてしまった。

「すまなかった。今日のところは送ろう」

コートのポケットでは、ブーブーと振動するスマートフォンが存在を主張している。目的地を聞かれて答えると、車がなめらかに走り出した。

(今日のところはって…)

怖い言い方はやめてほしい。
名前は思わずため息をついて、動き始めた景色を眺めながらポケットに手を入れた。




***




「おい、出てこい!」

そこにいるのはわかってんだ、とお決まりのセリフを叫ぶのは拳銃を右手に構えた男だ。
名前は怯えるサラリーマン男性を片手で制しながら、建物の陰でタイミングを窺っていた。

(拳銃を所持してるって情報はなかったな…)

ここ数日で手に入れたのだろうか。あいにくOL姿に変装している名前は丸腰だ。

(もう少し近付いてきてくれれば…)

とある取引現場を押さえようと近くの会社に派遣社員として潜り込んだのが一週間前。
情報では取引は翌日のはずだが、現場付近をうろつく不審な男を発見したため尾行した。
しかしそこに運悪く潜入先の社員が通りがかってしまい、声をかけられる前に死角に押し込んだところで男に気付かれて現在に至る。

「あ、あの……」
「シッ、黙って」

状況がわからず混乱した様子の社員を黙らせていると、サプレッサー付きの銃から威嚇の一発が放たれた。パシュッと特有の音を立てて撃たれた銃弾は、当たりはしないもののすぐ近くの地面を鋭く抉る。

「ヒッ」

隣の男性が息を呑む。
と、ジャリッと地面を踏みしめる音が聞こえた。焦れた男が近付いてきているらしい。

(……よし)

それに耳を澄ませ、制圧可能な距離まで近付いたところでバッと飛び出す。

「うわっ!?」

すぐに飛び掛かろうとした名前の目の前で、男の銃がギンッと弾き飛ばされた。

「え?」

一瞬戸惑う名前だったが、このチャンスを逃すわけにはいかない。素早く距離を詰め、男の右側頭部に後ろ回し蹴りを叩き込んだ。パンツスーツでよかった。

地面に倒れ込んだ男を後ろ手に拘束したところで、名前は少し離れたビルの辺りに視線を向ける。

(いや、えっ………大使館は!)

今のは絶対に赤井だ。名前は確信していた。動いている的に対してあんな正確無比な狙撃、他にできる人間が思いつかない。
にしても大使館に常駐すべきFBI捜査官が外に出てきてどうする?自由すぎない…?と呆れ顔を隠せない名前だった。




***




(あー、しくじったなー)

翌日、名前は本庁のデスクで項垂れていた。取引前日に関係者を確保してしまったことで一週間の潜入がパーだ。
取引も中止だろうし、また別のアプローチを考えなくては…とウンウン唸る名前の隣で、デスクチェアがギシッと音を立てた。

「あ、降谷くん」
「お疲れ様です、苗字さん」
「…あれ?今日登庁の予定はないんじゃ、」

名前の言葉を遮るように、彼女のデスクに一枚のチャック付ポリ袋が置かれた。中に入っていたものがコトリと音を立てる。

(げっ)

「これ、見覚えがありますよね?」

低い声で話す隣の男の顔が見れない。

「…7.62mmのNATO弾ですね……」
「なんで敬語なんですか?」
「イエ、別に」

わざわざ鑑識課から持ち出してきたのだろうか。怖い。

「これが弾き飛ばしたという拳銃も確認しましたが、まぐれ当たりとは到底思えませんでした。しかも対象は銃を構えながら歩いていたんですよね?そこにあれだけの正確性を持って当てられる人間となると、僕には一人しか思い浮かばないんですが」

(私もです)

「苗字さん」
「……ハイ」

観念して隣を見た名前に、降谷は口元だけで微笑んでみせた。目は笑ってない。

「知ってたんですか?」

あっそういえば数え年で本厄だったな、あとでお祓いに行こう。迫力のある笑顔を眺めながら、名前は思わず現実逃避した。


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