番外編
※2021年三が日連続更新企画一本目
※付き合う前
※キャラ崩壊注意


(まさか仕事納めができるなんて)

ホッとしたように息を吐きつつ、暗い夜道を疲れの滲む顔で歩くのはウェーブがかった茶髪の女性だ。
華やかなツイードのアンサンブルにチェスターコートを羽織り、首に巻いたマフラーに口元をうずめて寒さを誤魔化している。
彼女はパンプスのヒールをカツカツと鳴らしながら、官公庁立ち並ぶ霞ヶ関を急ぎ気味に歩いていた。

赤信号で一度立ち止まり、コートのポケットから一つのUSBメモリを取り出す。
信号が青になったところでメモリ片手に歩き出せば、交差点を反対側から渡ってきた男がそれをスッと抜き取った。

「お疲れ様です」
「お疲れ様」

よいお年を、とすれ違いざまに声を掛け合い、名前の短期潜入任務が一つ終わった。
これで完全に手が空くわけではないが、年内にキリよく片付けられるというのはやはり気分がいい。

報告書は明日の朝イチに回して、今日はすぐにでも帰って寝よう。連日の厚化粧で肌も疲れているし、早く変装を解いてしまいたい。

ぼんやり考えながら歩いていると、メモリを入れていたのとは反対側のポケットがブーブーと連続して震える。
立ち止まって取り出したのは偽名で契約しているスマートフォンだ。
通知を確認すれば、東都外国語大に通う女子大生たちからメールやメッセージが続々と届いていた。

(あ、もう年明けたんだ……)

歩道の端に避け、絵文字やスタンプを多用してテンション高く返信する。
職場近くの路上で一人、しかも変装姿とは。例年通りとはいえ、情緒もへったくれもない年越しである。

用済みとなったスマートフォンを肩に掛けていたトートバッグに仕舞い、バッグの底板の下から別の一台を取り出した。
暗記している番号宛にショートメールで新年の挨拶を送れば、それを仕舞うより先に着信がある。

「早っ」

メールを電話で返すという行為は、彼のようなイケメンでない限り許されないと思うのは自分だけだろうか。
結局迷うことなく電話に出れば、低い声が前置きなく『あけましておめでとうございます』と告げた。

「うん。今年もよろしくね、降谷くん」
『こちらこそよろしくお願いします』

定番のやりとりがあっさりと終わり、瞬き程度の短い沈黙が流れる。

『……日付変わってすぐおめでとうって、何女子大生みたいなことしてるんですか?』
「ん?ああ、女子大生のノリに触発されて」
『暇人ですか』
「今帰りだからね、それを暇って言うなら暇なのかも」

小さく笑えば、電話の向こうから呆れたようなため息が聞こえた。

『帰るなら早く帰ってください。ただでさえカウントダウンで人出が多いんですから』

確かに今は静かだが、この辺りも少しすれば飲み屋を出た酔っ払いで溢れ返るだろう。
年越しの盛り上がりは若者ばかりのものではないのだ。

「心配してくれてるの?」
『悪いですか』
「いやいやそんな。優しいね」
『………』

無言の理由はおそらく照れではなく呆れだ。
それを可笑しく思いながら深夜の霞ヶ関に視線を巡らせると、名前は少し離れたところに見知った姿を捉えた。

「あ、風見くんだ」
『え?ああ…そういえば一度警視庁に戻ると言ってましたね』
「こんな時間に?大変だね」
『人のこと言えないでしょう。というか苗字さんも霞ヶ関だったんですね』
「変装はしてるけどね。……ね、降谷くん」

名前が呼びかけると、声のトーンが変わったことに気付いたのか『はい?』と訝しげな反応が返ってきた。

「前言ってたアレ、今試しちゃおっか」
『アレって……まさか』
「ちょうど変装中だし」
『いや、僕は別にあなたに頼もうとは』
「暇だし頼まれるよ」
『いやっだから、苗字さん!?』

珍しく焦ったような降谷の声を無視し、名前は「すぐ終わるから」と通話を終えた。
電話のおかげで眠気も疲れもすっかりどこかへ行ってしまった。例年通りの元日に少しくらい変化があってもいいだろうと、名前は完全に軽いノリで動いていた。

交差点で反対側の歩道に渡り、少し疲れの見える背中を追いかける。
あえてヒールの音を響かせるように小走りになれば、少し先で風見が足を止めた。

「あ、あのっ」
「……何かご用ですか」

乱れた息を整える演技をしつつ、躊躇いがちに口を開く。

「…えっと、風見裕也くん…ですよね?私、東都大法学部で一緒だったんですけど……覚えてないですか?」

偽名を名乗れば風見はわずかに眉根を寄せ、「覚えていません」と短く切り捨てた。
名前はへにゃりと眉尻を下げて残念そうに目線を落とす。

「ですよねー…。話したことないしなぁ」

マフラーの先を指先で弄びながら、ぼそぼそと呟くように言葉を続けた。

「実は、学園祭で東都環状線を極小ブロックで再現してるの見て、密かに憧れてた…というか……。でも、話しかける勇気がないまま卒業しちゃって」

以前聞いたエピソードを織り交ぜれば、風見がわずかに目を丸くする。どうやら同じ学部出身という話に信憑性が出てきたようだ。
名前は目線を上げ、風見に向かってふわりと微笑んだ。

「あれ、凄かったです。各駅のホームまでちゃんと再現されてて。感動していっぱい写真撮っちゃった」

まだ画像残ってるんです、とカバー名義のスマートフォンを取り出して見せると、風見の口元が少しだけ緩んだのがわかる。

「それは……光栄ですね」
「ふふっ」
「? なんですか」
「すみません。やっと眉間の皺がなくなったなって、嬉しくって」

嬉しそうに笑う名前に、風見が照れを誤魔化すように首の後ろを掻く。
すると飲み会を終えた人々が店から出てきたらしく、辺りが少し騒がしくなった。

「あっ、今更ですけど、あけましておめでとうございます」
「…あけましておめでとうございます」
「年明け早々風見くんに会えるなんて、今年は運がいいかも。…そうだ、名刺お渡ししてもいいですか?」

名前はそう言って、ゴソゴソとトートバッグの中を漁り始める。
ガヤガヤと騒々しい笑い声が、徐々に二人のもとへと近づいてきた。

「名刺ですか」
「ふふっ、いきなり連絡先を聞く勇気はないので……あ、あった」

バッグの内ポケットから取り出したのはアルミ製の名刺ケースだ。

「私、今は厚労省で秘書官してて―――」

ケースから名刺を一枚取り出したところで、その手を風見がそっと引いた。
え、と目を丸くした名前を庇うように立った風見のすぐ傍を、大声で話す酔っ払いの集団が通り過ぎていく。
途中、大きくふらついた男性が風見の背中にドンとぶつかり、名前は思わず身を竦めて彼の上着をギュッと掴んだ。

そして完全に集団が遠ざかったところで、背後を窺っていた風見が名前に視線を戻す。

「失礼」
「あ、いえっ、ありがとうございました」

名前は慌てて体を離し、頬を染めてうろうろと視線を彷徨わせた。
それから少し折れてしまった名刺に視線を落とし、それを自身の胸元に引き寄せる。
目を伏せて小さく深呼吸してから、窺うように風見を見上げた。

「…あの……もし嫌じゃなかったら、これから一杯だけ付き合ってもらえませんか…?」
「え?」
「名刺渡して別れて、そのまま会えなくなったら…嫌だなって……」

眉尻を下げながらの渾身の上目遣いに、風見の喉仏が小さく上下したのを見て名前は勝利を確信した。

(よーし、タネ明かししながら一杯くらいご馳走してあげよう)

「あっちに行きつけのバーがあるので…」と自然な流れで風見と腕を組もうとしたところで、名前は鋭い殺気を感じてその場を飛び退いた。
直後、名前の腕があった場所にブンッと音を立てて高速チョップが振り下ろされる。この威力、当たったら間違いなく折れていた。

「風見……相手が誰であろうと不要な接触を許すな」

もちろんチョップの主は降谷である。
見慣れたスーツ姿で現れた彼は、完全に目が据わっていた。

「ふ、降谷さん!?」
「苗字さん、あなたも距離が近すぎます」
「いや、目的が目的だし」
「苗字さん?えっ!?」

突然登場した上司に目を白黒させている風見に、名前はコートの右袖に隠し持っていたスマートフォンを差し出した。
それは風見に庇われた時に抜き取った、彼のスマートフォンである。

「あっ、あの、状況が……」

意味もわからずそれを受け取った風見に、名前はニッコリと笑いかけた。

「抜き打ちのハニトラテストだよ」
「は、」
「以前うちの部下にやったら見事に引っかかって、風見くんも危ないんじゃないかって降谷くんと話したことがあって。そしたら「風見は大丈夫です」って自信満々に言うから、いつか試してみようと」
「そ、そんな…!」

降谷の期待を裏切ってしまったと、風見の表情が絶望に染まる。

「スマホを抜かれたことにも気付かないとは致命的だぞ」
「はいっ!も、申し訳ありません!」
「そもそも相手は君のことを調べてから来るものだ。話に多少の説得力があったところで油断はするな」
「ごもっともです!」
「それから君は―――」

名前が新年初説教を他人事のように眺めていると、降谷は「今回は相手が悪かったな」と慰めるように風見の肩を叩いた。
完全に委縮していた風見も、シメのフォローに感極まって泣きそうである。相変わらず飴と鞭の使い分けが上手い。

「さて苗字さん、帰りますよ」

言い終わるより早く、踵を返した降谷に腕を引かれる。

「え、私あっちに車停めてるよ」

つられるように早足で歩きながら振り向くと、風見が目を丸くしてこちらを見ていた。
しかし残念ながら名前にも状況はよくわからない。

「明日の予定は?」
「朝イチで登庁するけど」
「じゃあ朝ここまで送ればいいですね」
「いや来るの?うち」

そして泊まるの?と思わず目を瞬かせる。

「いけませんか」
「いやいや元気そうだし」
「めちゃくちゃ眠いですよ」
「そうは見えないけど」
「年の瀬で疲れてないわけないでしょう」
「だとしても、いつもはもっとこう…前後不覚なレベルになってから」
「朝ご飯のリクエストは?」
「しょっぱい玉子焼き…あっ」
「取引成立ですね」

しまった、つい食欲に負けた。
ふ、と笑った降谷の男前ぶりに誤魔化されそうになりつつ、名前は悔しさに眉根を寄せた。
そうこうしているうちに目の前に現れたのは、すっかり見慣れた白のRX-7だ。

「ほら、乗って」

そう言って降谷が助手席のドアを開ける。
反対の手は名前の腕を掴んだままなので、逃走も現実的ではなさそうだ。

そもそも名前が降谷を泊めるのは彼が限界まで疲れている時限定であって、どう見ても普段通りシャキッとしている同僚と同衾する理由はない。
かと言ってこの男にソファは狭いし、家主である自分がソファで寝るのも微妙に悔しい。

「苗字さん」

促すように名を呼ばれ、名前はため息混じりに思考を放棄した。
ここでゴネたところで貴重な睡眠時間が減るだけだ。

(……まぁ、でっかい大根と寝るとでも思えばいいか)

大根を思い浮かべたら味噌汁が飲みたくなってきた。

(朝食は玉子焼きと味噌汁と……元旦っぽくないな。餅買ってあったっけ)

そんなことを考えながら名前が助手席に乗り込むと、降谷は満足そうな笑みを浮かべてドアを閉めた。


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