長編「FAKE」ハロ嫁IF

時間軸
※降谷と付き合ってる
※コナンには正体を明かしてる
※↑FAKE本編の時系列と矛盾が生じますが、あくまでIFとしてお読みください



 間近に控えたハロウィンに世間が浮き足立つ中、コナンは目隠しをされた状態で公安の車に揺られていた。

 事の発端は警視庁前で起こった外国人焼死事件だ。
 爆破に巻き込まれた灰原を庇って小五郎が大怪我をし、事件の手がかりとして3年前に殉職した捜査一課の刑事、松田陣平の存在が浮上。そして彼と組んでいた佐藤刑事とコナンが当時の状況を確認する中で、松田が殉職前日に同期の墓参りに行っていた可能性が浮かび上がってくる。
 その寺で聞き込みをすべく飛び出していった佐藤を見送って、コナンは小五郎が搬送された日比谷救急病院に向かい、そこで前日に行われた警備訓練の警備対象である村中夫妻と偶然会ってお茶をして、それから自らを尾行していた公安捜査官の存在に気付き―――現在に至る。

 わざわざ目隠しまでされた時点で、行き先の秘匿性の高さは理解していた。事件の捜査にストップがかかったことも聞いているし、となればそこで待つ人物が誰であるかも容易に予想できる。
 そしてその人物の首に首輪型爆弾がつけられていたこと以外ほとんど読み通りと言っていい展開の中、コナンの想定から大きく外れた出来事が起こった。

「あ、コナンくんだ」

 目隠しから解放された目をパチパチと瞬かせながら、その人は緊張感の欠片もなく言う。

「名前さん!?」

 コナンは受話器を握り締めたまま声を上げた。別の捜査官と共に遅れてシェルターに到着したのは、コナンのよく知る人物だった。
 緩く巻かれたピンクブラウンの髪をふわりと揺らし、色素の薄い大きな目を瞬かせる若い女性。相変わらず雑誌の読者モデルかと思うほど華やかで完成された佇まいだ。

「どうして名前さんまで」
『彼女には、できる限り君と行動を共にしてもらいたいと思ってね』

 きっと何よりの助けになる。繋がったままの電話越しにそう答えたのは特殊強化ガラスの向こうで床に座り込む安室透、もとい降谷零だった。
 カツカツとヒールの音を響かせて、捜査官達から離れた名前が近付いてくる。彼女はガラス越しの降谷を見てからその場にしゃがみ込むと、コナンが持つ受話器の背にぴたりと耳を当てた。

「あの、安室さん、なんでそんなところにいるんですか? それに、どうして私を……」

 どこか不安げに瞳を揺らしながら名前が言う。が、それを見たコナンは(ここで演技する必要あんのか?)と呆れ顔になった。
 名前が日頃演じる“カバー”は派手めな容姿の女子大生だ。しかしコナンは彼女の正体を知っている。警察庁警備局警備企画課所属の警察官、つまりは降谷の同僚である。卓越した変装技術と類まれな語学力の持ち主で、コナンとは比較的良好な関係を築いているものの、未だ謎の多い人物でもあった。

『お忙しいところすみません、苗字さん』

 演技中の名前をあっさり本名で呼ぶ降谷に、それはそれでいいのかと動揺するコナン。
 名前も名前で小さく溜息をつくと、早々に演技を諦めたのか次にその口から飛び出したのは彼女の地声だった。

「わざわざ連れて来なくても、風見くん経由で連絡くれればいいのに」

 直後、背後で捜査官達が狼狽える気配がする。名前が風見を気安く呼んだことに驚いたのだろう。

(そりゃそうか、ゼロと接触できる警察官は限られてる。ここにいるのは安室さんの部下だろうから、名前さんと面識がなくても不思議じゃない)

 ここに連れてくるよう指示を受けた時も、名前の正体までは知らされなかったのだろう。コナンは捜査官達の動揺を即座にそう分析する。
 そして先程小学1年生に頭を下げる降谷を目撃したばかりの彼らに、ほんの少しだけ同情した。

『風見には今別件で動いてもらっています』
「え、大怪我したって聞いたけど」
『もちろん病院には行かせましたが、後は彼の意向を尊重しました』
「鬼上司〜」
『あなたに言われたくはありませんね』

 呆れたように反論する降谷。そして次の瞬間、驚くほど柔らかく微笑む降谷にコナンは目を見張る。

『……苗字さんの顔が見たかった。それではここに呼んだ理由になりませんか?』

 え!?と咄嗟に隣を見やるコナン。すると鉄壁のメンタルを誇る名前の横顔から、降谷のセリフに対する僅かな動揺が見て取れた。

(こ、この二人って、もしかして…!?)

 それはそう邪推するには充分すぎるほどの反応だった。だとすればなんてハイスペックなカップルか。
 名前は睨むように降谷を見つめ返して、受話器も拾えないほどの音量で「まったく、この男は」と小さく呟く。

「……しょうがないなぁ。でも爆弾は門外漢だし推理力にも自信はないし、あくまで手足としてコナンくんの指示で動くだけだよ」
『それで充分です』
「それに、ずっと付きっきりってわけにもいかないからね」
『それも承知の上ですよ』

 どうやら交渉は成立したらしい。
 降谷は名前からコナンに視線を移すと、『さて』と切り出した。

『さっきはどこまで話したかな。……ああ、そうだ。3年前の11月6日の話だったね』

 どこか遠くを見るような目をして彼が語ったのは、その日同期で集まって墓参りに行ったこと、そして渋谷の雑居ビルで起こったとされているガス漏れ騒ぎの真相だった。
 当時すでに殉職していた、爆発物処理班の萩原研二隊員。その彼を除く4人が揃った最後の日の出来事を、降谷は俯きがちに話して聞かせた。その声がどこか寂しげに聞こえるのは気のせいではないだろう。

「その事件は一切報道されていないよね。ガス漏れ事故で表向き処理された」
『公安が介入して、全ての情報を上が封印したんだ』

 情報操作をあっさり認めた降谷。
 そして今回限り使える風見の連絡先と当時使用された爆弾の写真、そして降谷を含む同期組が写った写真が部下を介してコナンのスマホへと届く。

『健闘を祈る』

 椅子に座り直した降谷がそう語りかけるのを、コナンは本日二度目の目隠しをされながら聞いていた。
 そして暗闇の中、名前が女子大生のカバーに声色を戻して「私にも目隠しお願いします」とか相変わらず緊張感のない声で話しているのが聞こえてくる。

「……名前さん、この場所知ってるんじゃないの?」

 そう問いかけたコナンに「内緒」と楽しげに返す名前。きっと目隠しの向こうでは、“ゼロ”の戯れに捜査官達が困り果てているに違いない―――
 見えもしない光景に確信を抱きながら、コナンは小さく溜息をついた。




***




 公安所有の地下シェルターで降谷やコナンと話したその翌日、名前は少年探偵団を伴い、見るからに怪しい廃ビルへと足を踏み入れようとしていた。

 この日、村中夫妻に誘われて渋谷ヒカリエの式場見学に訪れた面々。名前もまた「結婚式場!?すご〜い!見た〜い!」と女子らしく目を輝かせ、少年探偵団の保護者的な名目でその場に同行していた。
 そして見学の最中、新婦であるクリスティーヌに彼女の友人から「どうしても渡したいものがある」との呼び出しがかかる。しかし打ち合わせを控えた夫妻はその場を離れられず、そこで代わりに行くと申し出たのが少年探偵団だった。
 面倒事の気配を察して逃げようとするコナンと灰原だったが逃走は失敗に終わり、結局名前も一緒に指定の場所へと向かう羽目になったのだった。

「ここですね……」

 手書きの地図を手に、光彦がどこか不安の滲む表情でビルを見上げる。
 周囲を高い建物に囲まれたビルは昼間にもかかわらず薄暗く、年季の入った外観からもどこか不気味な雰囲気が漂っていた。駐車スペースには白い車が一台。他に人の気配はなく、とても友人を呼び出すような場所には思えなかった。

 そもそも村中夫妻は現在何者かに脅迫されている身だ。ここに何らかの罠が仕掛けられていたとしても不思議はない。

「な、なんか思ってたのと違うな」

 眉を顰めた元太に「ほんとだね」と同意する名前。しかしここまで来て引き返すわけにもいかず、一同は細い階段を6階まで上る。

 そして辿り着いた部屋は無人だったが、窓際では大きな布で覆われた何かが異様な存在感を主張していた。
 地図にも「プレゼントは覆われた布の中」とメモ書きがあり、あからさまに怪しい。

 少年探偵団の面々をその場に残し、まずは一人で入ることにしたコナン。名前も唯一の大人という武器を使い、ついてこようとする子供たちを手で制してそれに続いた。
 そしてコナンが布を捲し上げると同時にそれが滑り落ち、中に隠されていたものが露わになる。カバーがゴトンと落ちて現れたそれは、昨日見た画像に写っていたものとよく似ていた。

 名前はハッとして振り返った。
 ドアの上部には廃ビルに似つかわしくない新品のドアクローザーが設置されていて、「爆弾だ!」とコナンが叫んだ直後、ランプが点滅してワイヤーの巻き取りが開始する。

「みんな下がって!」

 名前が声を上げた直後、ワイヤーに引っ張られたドアが勢いよく閉まる。驚きに目を見開く子供たちの表情が一瞬で見えなくなって、名前は素早くスマホを取り出した。

「爆発まで二分もない! なんとかして脱出するから、先に下りててくれ!」

 ドアの向こうで躊躇する子供たちに「いいから早く行け!」とコナンが一喝すると、灰原が「行くわよ」と戸惑う彼らを促した。
 足音がバタバタと遠ざかっていく中、コナンもまた取り出したスマホで爆弾を撮影し、窓を開けて外壁を伝う排水管を確認する。

「――というわけで、その場で待機ね」
『了解しました』

 スマホ越しに低い声が応えるのを確認して、名前は通話を終えたスマホをポケットに突っ込んだ。そしてピンクブラウンの長い髪を一つにまとめながら、コナンに向かって「それで」と口を開く。

「コナンくんは何してるの?」
「せっかく二液混合型爆弾の現物がここにあるんだ。液体火薬を採取する絶好のチャンスだと思ってね」
「…思っても普通はやらないからね、それ」

 それが成功すれば中和剤の精製が可能になるとはいえ、カウントダウンの真っ最中に実行に移すなんて正気の沙汰じゃない。名前は呆れ半分に感心しつつ、転がっていた電気ポットを手にするコナンを見守った。

「ここからの脱出は私がなんとかするから、そっちは任せるね」

 一人で大丈夫そう?と聞けば、「うん」と短く返ってくる。まったく末恐ろしい高校生である。

「あ、名前さん。窓のすぐそばに排水管があったよ。下りるのに使えると思う」
「うん、外から見た」
「……あ、そう」

 入る前から脱出経路の確認に抜かりがない名前に気の抜けた声で返しつつ、コナンは手際よく二剤を採取する。一方を電気ポットに入れ、もう一方を脱いだパーカーに染み込ませたらしい。さすが機転が利くな、と名前は感心しきりだ。
 コナンはその両方を外に投げると、開けた窓から「みんな!それを頼む!」と叫んだ。

 そして爆弾のカウントダウンが10秒を切る頃、二人の姿はビルの外にあった。排水管を伝って慎重に下りていく名前の背にコナンがぎゅうっとしがみついている。

「みんなー!もうちょっと離れててー!」

 名前が下に向けて言えば「でも」と心配そうな声が返ってくるが、そこは名前がただの女子大生でないことを知る灰原。「いいから言う通りにするわよ」と彼らを促してくれるのがありがたい。

 そして名前の体感でカウントがゼロになったその瞬間、ついにそれは訪れた。
 閃光と轟音、そして割れた窓から迸る爆炎の熱。熱されて赤くなった排水管が留め具ごと外壁から外れるのを見て、コナンが名前の背で「げっ」と呻く。
 一方の名前は慌てることなく腰に手を回すと、そこからあるものを取り出した。

「てっ、手錠!?」

 驚くコナンをよそにそれをガチャンとパイプに嵌め、パイプを両方の足先で挟み込んだままギャリギャリと金属音を立てて滑り降りていく。
 湾曲したパイプが二人の背後で継手から外れて落ちていくのが音でわかる。さらに手錠がパイプの継手を越えるたびにガンッと強い振動が走るが、名前はもう片方の輪をきつく握りしめたまま離さなかった。

「車が!」
「みんな、避けて!」
「うわあっ」

 下で子供たちが騒ぐ声に混じって、車のエンジン音と耳を劈くようなスキール音が聞こえてくる。
 それを大して確認もせず、名前は手錠から手を放すとパイプを蹴りつけて跳躍した。

 歩美がきゃあっと悲鳴を上げるのを聞きながら、背負っていたコナンを抱え直した名前がボコンと大きな音を立てて車のルーフに落下する。衝撃を逃がすように数回転がった名前は、車体を大きく揺らしながら最終的にボンネットの上へと着地した。

「い…っ、たぁ……」

 背中の痛みに呻きながら顔を上げれば、フロントガラス越しの部下と目が合った。無表情ながらも若干引いているようなその顔をスルーして、名前はコナンを抱えたままボンネットから降りる。

「コナンくん、大丈夫?」
「う、うん……」

 心なしかコナンも引いているような。
 そこに子供たちが感動したように駆け寄ってくるが、火の粉は降りかかるわ瓦礫は落ちてくるわで慌ててビルから距離を取る。窓から投げた電気ポットやパーカーはボコボコの車から降りた部下が回収するのが見えた。

 そしてサイレンを鳴らしながら駆けつけた消防車が放水作業を始める中、子供たちは規制線の中で互いの無事を確かめ合う。コナンに抱き着く歩美を見て元太と光彦がショックを受けているのが無性に微笑ましい。

「姉ちゃん、すごかったな!」
「スタントマンみたいでした!」

 凹んでいた二人から打って変わって興奮気味の賞賛を浴びながら、名前は「いやいや〜」と緩く謙遜する。

「必死だったし、全身めちゃくちゃ痛いよ。ほら、手もこんな」

 そう言って、手錠を握りしめていたために真っ赤になった手のひらを差し出してみせる。剥けた皮が我ながら痛々しい。
 ちなみに手錠ではなくネックレスを使ったという強引すぎる説明を子供たちが訝しむことはなかった。純粋万歳。

「……さすがにキュラソーみたいにはいかなかったな」

 ぽつりと落ちた呟きはコナンと灰原にしか届いていない。それを聞いた二人がきょとんとした後で小さく笑うのを見ながら、名前はようやく肩の力を抜いた。




***




 10月31日。ハロウィン当日の夜ともあって、渋谷駅前のスクランブル交差点は仮装した人々で溢れかえっていた。

 名前は人波に流されないよう注意しながら、忙しなく周囲に目を走らせる。仮装こそしていないものの、その見た目はいつも通りちょっと派手めの女子大生。しかしその表情には隠しきれない不満が滲んでいた。

(誰も来ないし)

 コナンと二人でビルの爆破から逃れて以降、捜査一課の刑事が拉致されたり、コナンと一緒に渋谷中央警察署の地下会議室での会議に参加したり、松田刑事に変装した高木刑事がジャック・オ・ランタン集団に攫われていくのをコナンと一緒に追いかけたりと色々あった。それはもう、映画かと思うほどの目まぐるしさで色々あった。

 そしてこの日、名前はコナンや蘭と一緒に小五郎のお見舞いに来ていたのだが、掲示されていたポスターから真相に辿り着いたコナンが突如スケボーで飛び出して行ってしまったのだ。
 コナンが言い残した「連絡するから!」の言葉通り連絡はすぐに来たのだが、彼の言う待ち合わせ相手がなかなか現れない。

―――渋谷の交差点の真ん中に博士が来るから、協力して。

 コナンの指示通りに動くと言ったのは自分だ。しかしこうも意図の読めない指示があるだろうか。いつか彼が社会人になったら、降谷並みに部下を酷使する鬼上司になるに違いない。などとつらつら考えながら、名前は乱れた髪を整える。

(一回電話で確認した方が)

 名前の思考を途切れさせたのは、突如上空に咲いた大輪の花火だった。

「!」

 花火ボールと呼ばれるそれを、名前は何度か目にしたことがある。となれば彼がキック力増強シューズを使うほどの事態が起こっているということだ。
 少しして今度は爆発音のようなものが鳴り響き、名前はどこからともなく愛用の双眼鏡を取り出した。米国製で軍用仕様のそれは、暗視機能もついた優れ物である。

「あ」

 スコープを覗き、思わず小さく呟く名前。ふらつきながら黒煙を上げるヘリコプターが今にも墜ちてしまいそうだ。

「……え、やばっ! あのヘリ墜落しそうじゃない!?」

 瞬時に思考を巡らせた名前がそう叫ぶ。今の容姿では真面目に避難誘導をしたところで説得力がないし、そもそも二次災害を恐れて規律正しく避難させていたのでは間に合わない。
 顔を上げた人々が上空の様子に気付き、悲鳴を上げながら次々と逃げ出していく。そして流れに身を任せながらその場を離れた名前に、そのヘリに誰が乗っていたのかを知るすべはなかった。



 その後名前がスクランブル交差点に戻ってきたのは、車も人も完全にいなくなった頃だった。誰もいない渋谷というのは、それだけで異様な雰囲気が漂っている。
 そこに博士の代理だという少年探偵団が現れ、そして間を置かずスケボーに乗ったコナンが到着する。詳しく聞いている時間はないが、爆弾魔の方はなんとかなったらしい。

(ここはコナンくんに任せるしかないか)

 周囲では水色の液体火薬とピンクの液体火薬が坂を流れながらスクランブル交差点へと迫っている。これが合流してしまえば一巻の終わりだ。
 それを止める方法を思いつけない名前は、地下シェルターで宣言した通りコナンの手足になるしか道はなさそうだ。

「できるか?」

 新しいベルトを受け取ったコナンの問いかけに、少年探偵団の面々が自信満々に応える。そしてサスペンダーの端を持った4人と同時に走り出す名前。まずはこれをどこかに固定しなければ始まらないらしい、ということで非力な子供達のお手伝いである。

 その後、4か所に固定されたそれの中心で巨大なボールが膨らんでいく様はさすがに(なんだこれ…)と呆れ半分に眺めてしまったし、張力に耐え切れず固定箇所を壊したサスペンダーを子供やロシア人に混じって「せーの!せーの!」と必死に引っ張ったりもした。
 部下たちを風見らの応援に総動員してしまったことを後悔しながらも、なんとか液体火薬の遮断に成功。これで大爆発のおそれはなくなった。

 そして逆流した液体火薬が起こす波から慌てて避難―――するフリをして、名前は誰にも悟られないようにその場を離れた。




***




「はあ……しんど」

 中和剤の散布にあたっていた部下と合流して送ってもらい、一人で愛車に乗り込んだところでようやく深く長い溜息が出る。
 正直、終盤はもう何が何やらだった。降谷のような剛腕ならまだしも、名前が一人いたところで大した意味はなかったような気もする。もちろんそれは結果論だが。

「これ全然落ちないし」

 呟きながらスラックスの裾を捲ると、ふくらはぎの辺りまで肌が液体火薬の色に染まっているのが見える。

「明日絶対筋肉痛だし……」

 肩や首をほぐせばポキポキと小気味のいい音がする。普段使わない筋肉まで悲鳴を上げているのがよくわかった。

 この貸しはきっちり降谷に請求しようと心に決めて、名前は愛車であるワンガンブルーのGT-Rを走らせる。
 そして人目につかない場所に車を停めると、今度は取り出したスマホを素早くタップした。それからハンドルに突っ伏すようにして体を休めていれば、コンコンと助手席側の窓がノックされる。

「お疲れ様です。名前さん」

 定型の挨拶をしながら乗り込んできたのは、少し前まで首輪型の爆弾を巻かれて隔離されていた男だった。

「降谷くんもお疲れ様」
「変装、解いたんですね」
「あの格好で運転はちょっと」

 さすがにただの女子大生が乗り回せる車ではない。降谷も「確かに」と頷いた。

「まずは手当てだね」
「なんだかこの流れ、既視感があります」
「思った。降谷くんの怪我の手当てするの、もう何回目かな」

 ふふ、と小さく笑いながら、名前は降谷の頬に手を伸ばした。無数の擦り傷が痛々しい。

(あれ?)

 よく見れば傷だけじゃなく、煤けたような汚れもある。微かに焦げたような匂いがするのも多分気のせいじゃない。
 名前は頬の汚れを指先で拭って、「もしかして」と口を開いた。

「ヒカリエから落ちてきたあのヘリ、」

 降谷くん乗ってた?と続けることは叶わなかった。後頭部に回った手がくしゃりと髪ごと引き寄せて、ちょうどセンターコンソールの真上で唇が触れ合う。
 ん、と漏れた吐息に気をよくしたのか、角度を変えながら貪るような性急なキスが続く。

「、ふ……、っ」

 ついには無遠慮に侵入してきた熱い舌に、名前は制止するようにドンと胸を叩いた。瞼を開けて見つめてくる瞳はいつになく熱っぽくて、奥底で火が燻っているようだ。
 命の危機に晒され続けて気が昂っているのは名前にも理解できる。理解できるのだが。

「……っ、外だってば…!」

 こんなところで流されてたまるか。
 唇が離れたところですかさず咎めるように言うが、しかし男は懲りなかった。
 すみません、と囁くように言いながら再び整った顔が近づいてきて、名前はそこに「こら」と容赦なく手のひらを押しつける。不満そうに見つめてくる瞳も無視だ無視。

「手当てが先」
「……はい」

 諦めたように苦笑して、助手席のシートバックに体を預ける降谷。名前も運転席に座り直すと、シートベルトを装着してようやく愛車を発進させた。

 窓の外を流れる街並みは変わらないのに、そこに人がいないだけでまるで別世界のようだ。液体火薬の中和が済んで交通規制が解かれるまでの束の間の光景だが、そこには不思議な清々しさがあった。

「名前さん」

 助手席にちらりと視線を向ければ、彼の表情もまたどこか晴れやかに見える。

「少し、話をしてもいいですか」
「話?」
「昔の話なんですが、名前さんに聞いてほしくて」

 このタイミングで彼が語ることといえば、きっと警察学校時代に同期だったという彼らの話だろう。3年前に取り逃がした爆弾魔を捕らえたことは、彼にとっては因縁の決着とも言えそうだ。

「うん。聞かせてほしいな」

 名前はいつもよりゆっくりと車を走らせながら、今日に繋がる物語に耳を傾けた。



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