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コナンたちが会場に入ったころ、名前はすでに協力者とともに会場内にいた。

着ているのは深いボルドーのマーメイドドレスで、彼女のメリハリあるボディラインを上手く引き立てている。ハイブランドのジュエリーとタイトにまとめた夜会巻きも相まって、上流階級のゲストたちにも見劣りしていない。

目の粘膜ギリギリに引いたアイラインは目尻で少し跳ね上がり、切れ長の目元を演出する。普段よりぷっくり厚めにラインをとった唇と、上向きにすっと通った強めの眉、口元のほくろなど、細かく盛り込まれた要素が彼女を今回限りの勝気な女性に仕立て上げていた。

ウェルカムドリンクで喉を潤しながら、協力者と談笑するフリを続ける。大学病院の外科部長である彼は、職業のわりに強面なのでキツめの女性像がよく合っていた。

「乾杯用のシャンパンです」

スタッフがシャンパングラスを運んでくる。持っていたグラスと交換した名前は、協力者の分も受け取ると彼に二つとも渡して小さく声を掛けた。

「三分ほど外します」
「はい」

名前は高いヒールをカツカツと鳴らしながら会場内を歩く。途中、少し離れたところにいる背の高い男性に目を向ける。広い肩幅に長い手足、眠たげな目元にパーマがかった短く暗い金髪。スラブ系の特徴に当てはまる。ロシア人だろうか。隣には白人女性が寄り添っている。

視線はすぐに外し、次は入口付近の壁にもたれて立つ男性とすれ違う。こちらは白髪でふくよかな体型の日本人だ。いくつもの皺が刻まれた顔は険しい表情を浮かべていて、胸元のループタイのモチーフは―――大鷲だ。手にはアタッシュケースを持っている。パートナーはいないようだ。

歩く速度を変えずに会場を出て、トイレに行ってから会場へ戻る。ちょうど乾杯のタイミングだった。
協力者に礼を言ってシャンパングラスを受け取り、乾杯の挨拶に合わせてそれを口に運ぶ。挨拶を終えた山路は早速ゲストと談笑しているようで、いくつもの頭の向こうにちらりと顔が見える。

(山路光久……接触したいけど、まだ難しいか)

確かに人の多い場所は後ろ暗い取引にはうってつけだ。しかしここは婚約記念のパーティー会場。招待客はリスト化されているし、悪事には向かないだろう。それでもこの場所を指定したというのなら、主催者である山路本人の関与も疑うべきだ。

現在、会場付近には名前直轄の部下である警視庁公安部の男が、彼の部下とともに控えている。なるべく秘密裏に現場を押さえたいところだが、山路が手を貸しているのであればそうもいかないかもしれない。

先程確認した事件ホイホイの子供や、胡散臭い笑みを貼り付けた同僚の存在を思い出して名前は頭を抱えた。




***




バイブ音を響かせるスマートフォンを片手に、パーティー会場を抜け出した山路は焦っていた。控室に入り、電話に出る。

「も、もしもし」

荒い息遣いが聞こえたのか、電話の向こうでクックッと嫌な笑い声が聞こえる。

『パーティーは順調か?』
「い、今始まったところだ。 …なあ、さっさと済ませてくれ!」

揶揄うような声に、山路は思わず声を荒げた。

『まあそう慌てるな…。こっちはまだドライブを楽しんでるんだからよォ』

声とともに低いエンジンの音が聞こえている。それ以外には何も聞こえないが、山路はそこに男以外の誰がいるのかをよく知っていた。

「頼む、手荒な真似はしないでくれ…!」
『ああ、それはあんたの誠意次第だ。こちらとしても今回限りの付き合いにはしたくないんでね』

最後までよろしく頼むよ、山路さん。
耳に残る冷たい声に、山路は通話の切れたスマートフォンをただただ握りしめていた。




***




「本日はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ!お忙しいでしょうに、まさか先生にお越しいただけるとは」

協力者である男と、主催者の山路が談笑する横で名前は愛想笑いを貼り付ける。山路の顔色の悪さにはすぐに気付いたが、彼の隣にいる婚約者は気にも留めていないようだ。

「光久さん、私ちょっと疲れちゃった。一服してくるわ」
「あ、ああ。気を付けて」

つまらない、という表情を隠しもせず、彼女はヒールを鳴らして会場を出る。主役の一人なのだからもうちょっと愛想よくできないものか、務まってないぞ?と、名前は余計なことを考えた。

「申し訳ない。あまりこういう場には慣れていないようで」
「いえ、お気になさらず。 …君も何かつまんできたらどうだい?」

協力者からの目配せに「そうね」と首肯し、山路に会釈をしてビュッフェコーナーに足を向ける。山路に接触できたらとは思ったが、周囲との距離が近すぎる。

(まずはこっち)

「あっ、ごめんなさい」

テーブルの間を抜ける際、男と体がぶつかり咄嗟に謝る。長身の男が振り返り、眠たげな目を眇めて二コリと笑う。もう一度軽く会釈をしてすれ違いざま、上着の裾に指先を差し込んで薄型の盗聴器を貼り付ける。なんとも古典的な手法である。

続いて向かったのは目的のビュッフェコーナー。その手前で見知った顔がウロウロしているのを見つけ、少し考えてから声をかけた。

「ちょっとボク、何ウロウロしてるの?蹴飛ばされるわよ」
「えっ、あっ、ごめんなさーい」

瞬時に子供の顔を貼り付けて振り向いたのは、事件ホイホイでおなじみのコナンだ。彼が挙動不審だとよからぬことが起こりそうで本当にこわい。

「何か欲しいものがあるなら言いなさい。取ってあげるから」
「あ、じゃあ……そこのサンドウィッチがほしいなあ」

何もいらないというのも怪しまれると思ったのか、コナンはパッと目についたサンドウィッチを指差した。

「これね」

添えられたトングを手に取り、チェーフィングディッシュに並ぶ種類豊富なサンドウィッチを少しずつ皿に盛って「どうぞ」と手渡す。

「ありがとう! ねえお姉さん、入口の辺りでアタッシュケース持ってた小太りで白髪頭のおじさん、どこに行ったか知らない?」

そちらが本題だったのだろう、手に持ったサンドウィッチの皿には見向きもせず質問を投げかけてくる。

「さあ…知らないけど。 こういうパーティーでアタッシュケースなんて、物々しくって目立ちそうね」
「うん、僕もそう思って気になったんだけど…。 目を離した隙にいなくなってて」
「煙草でも吸いに行ってるんじゃない?会場内は禁煙だもの」
「そうかなあ…でも」



ガシャン!



背後でけたたましい音が鳴り、ハッと振り向く。

「う、ぐ…ぐぅ……」

振り向いた先では料理の乗った皿を落とした女性が、苦しそうに天井を仰いで首元をかきむしっていた。

「え?」

誰が漏らした声だっただろうか。シンと静まった会場に女性の呻き声が大きく響いたかと思うと、その体がゆっくりと後方に傾いていく。その体は後ろのテーブルにぶつかり、皿やグラスを巻き込んで耳障りな音を立てながら床に倒れ伏した。

途端、パーティー会場は割れんばかりの悲鳴に包まれる。


……ああほらやっぱり。
コナンに罪はないが、今日だけはちょっと恨ませてほしい。


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