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女性の死因は青酸カリによるシアン中毒死だった。直前まで食べていたサンドウィッチに毒が盛られていたのではないかと見られている。

青酸カリはメジャーな毒だが、決して簡単に手に入れられるものではないし、全国的に見ても殺人事件の凶器になることはあまりない。にもかかわらず、ここ東京では青酸カリによる殺人事件が多発している。特殊なルートでもあるのだろうか。今度調べなきゃな。名前は警察による捜査が始まった現場を眺めながら現実逃避していた。


―――殺人事件の容疑者になってしまった。


日本最難関の大学を出てストレートで国家総合職試験に合格。キャリア街道をひた走ってきたのに、なんということだろう。努力って報われない。

「つまり容疑者はこのサンドウィッチを配膳したスタッフと、被害者の女性と一緒に出席していたパートナーの男性、この会場で再会したという学生時代の友人の女性、犯行時間に一人だけ会場にいなかった男性、そしてビュッフェコーナーでサンドウィッチの近くに立っていた女性の5人というわけですな!」

言うまでもなく最後の5人目が名前である。そして会場にいなかったという男性が、アタッシュケースを手に持った大鷲のループタイの男性だ。

一生懸命捜査してくれている目暮警部には悪いのだが、容疑者をつらつらと大声で挙げていく捜査手法があるか。さすが推理ショーの街である。

「目暮警部、このお姉さんなら犯行時刻ボクと一緒にいたよ!」

ここでコナンから思わぬフォローが入る。

「そうなのかね?コナンくん」
「うん! 僕がサンドウィッチが食べたいって言ったらお皿に盛ってくれたよ!」
「そうか……。 サンドウィッチそのものに毒を仕込んでいたのなら、それを子供に食べさせるなんて危険なマネはしないはず」

顎に手を当てた目暮警部がふむ、と頷く。

「いえ、毒の入ったサンドウィッチを子供に食べさせないよう、あえて自ら皿に盛った可能性も考えられます」
「!」
「毒を盛った本人なら、どれが安全かわかるはずですからね……」
「あ、安室君……」

目暮警部の背後から、推理モードと言わんばかりに目をギラギラさせた安室が現れる。

えっ私今同僚に追い詰められてるのかな?殺人事件の容疑者として?それとも私って気付いてない?名前は思わず半目になって言葉を失った。

「……まあ容疑者でもなんでもいいわ。 自分の潔白は自分が一番わかってるから、どうぞ自由に捜査してちょうだい」

はあ、と大きくため息をつく。 「お姉さん…」コナンが気遣わしげにこちらを見るが、「気にしないで。 騒ぎ立てる方が怪しまれそうだもの」と不快感露わに吐き捨てた。




***




「わ、私は彼女を殺してなんかいない! ただでさえ恋人が殺されて頭がぐちゃぐちゃだっていうのに、変な疑いをかけないでくれ!」

名前の目線の先で、被害者の恋人である男性が目暮警部に訴えている。

「ふむ…。 では疑いを晴らすためにも、会場に入ってからの行動を順を追って教えていただけますかな」

目暮の言葉に男はぐっと息を呑むと、記憶を辿るように話し始めた。

あれから、容疑者として挙げられた5名が順番にアリバイを確認されていた。面倒なことはさっさと終わらせたかった名前は、自分から名乗りを上げて最初に済ませている。目暮だけでなく毛利や安室、コナンといった面々に囲まれた時間は正直生きた心地がしなかった。

最終的に手荷物の確認もボディチェックも自分から申し出たことで、早々に容疑から外れたようだ。まあ本当に何もしていないのだから当然である。

パーティーバッグの中身をテーブルに出した時、盗聴用に持ってきたイヤホンを安室が手に取ったのはさすがにヒヤッとしたが、特に手を加えていないBluetoothイヤホンだったので疑われずに済んだ。アプリと連動させるタイプの盗聴器にして本当によかった。にしても安室は本当に気付いていないのだろうか?自分の変装技術が少し恐ろしくなった名前だった。




***




容疑から外れたということもあり、名前はさっさと協力者の近くへ戻って壁の花を決め込んでいた。一応の演出として協力者から労いの言葉はかけられたが、その後は「ほっといてちょうだい」と怒りが継続している設定である。

警察官や探偵たちの目が自分から離れているのをいいことに、名前は盗聴用のイヤホンをさりげなく片耳に装着した。スマホの盗聴用アプリを起動すると、イヤホンからノイズ混じりの音声が聞こえてくる。しかし対象のロシア人男性はパートナーの女性との会話には英語を使っているようで、なかなか迂闊なことは話さない。

名前が長期戦を覚悟したところで、男に動きがあった。どこかに電話をかけ始めたのである。

『……俺だ』

ビンゴ、と名前は心の中で笑む。ロシア語だ。

『いや、まだ交換は済んでない。……会場で殺人事件が起きてな、サツや探偵の目もあるし目立つことは避けないと―――…ああ、しばらく身動きが取れそうにない。ヤツが容疑者の一人なんだ。全くついてない。そっちは……ああ、わかった。大切な人質だ。丁重にな』

電話を切った男は、傍らのパートナーに「大変なことになってしまったね。不便をかけるがもう少し待てるかい?」と英語で優しく声をかけている。

(なるほど、“人質”ね。 あの人の顔色の悪さにも説明がつきそうだ)

名前は髪を整える仕草でイヤホンを外すと、協力者のもとへ行きそっと耳打ちをした。彼が歩き出すのを眺めていると、視界の端に青い顔で所在なげにしている少女たちが映る。

「……あなたたち、大丈夫? 顔色が悪いわ」

無理もないけど。と続けると、会場の端に立ち尽くしていた蘭と園子がこちらを向く。近くにいたスタッフに温かい飲み物を頼み、二人を椅子に座らせる。

「二人で来たわけじゃないでしょう。 保護者はどこに?」
「あ、あの……今あっちで捜査に協力していて」
「この子の父親、探偵の毛利小五郎なんです」
「ああ、あの」

捜査を続ける面々に視線をやると、視線に気付いたのか安室がこちらを向いた。

「蘭さん、園子さん」

駆け寄ってきた安室は二人の顔色の悪さを見て、「気付かずにすみません」と眉尻を下げた。

「大丈夫です、こちらの方が気にかけてくださって」

蘭の言葉に安室が名前を見る

「先程は失礼なことをすみません。二人をありがとうございました」
「……いいえ」

オールバックって色気の暴力なんだな…と関係のないことを考えながら、短く返す。同じスーツでも「公安の降谷零」とイメージが重ならないよう選ばれた装いは、派手な顔立ちの彼によく似合っていた。

「安室さん、犯人わかりそうですか?」
「うーん、まだ決め手に欠けますね。でも容疑者は絞れてきましたよ」
「へー! じゃあそろそろ、おじさまの推理ショーかしら」

スタッフが運んできた飲み物で体を温めながら、少し顔色の戻った園子が言う。

「僕としてはぜひ見たいところですが…」

言葉を切って苦笑する安室が視線を向けた先では、いつも通り的外れな推理をしてしまったのか、毛利が笑ってごまかしながら頭をポリポリと掻いていた。

「もう…お父さんったら」

蘭が呆れたように肩を落とす。それを横目に、今日は推理ショーは難しいのでは?と名前は考える。洞察力に優れた安室の前では、おちおち腕時計も構えていられないだろう。このまま安室が犯人を暴いてしまう方が簡単な気がした。

二人の調子が戻ったことに安心した安室が捜査に戻ると、タイミングよく名前の協力者も戻って来る。

「じゃあ、私は行くわ」
「あっ、ありがとうございました!」

仕事中だというのに、うっかりお節介を焼いてしまった。そう思いながらも、明るさを取り戻した二人の声を聞いて「たまにはいいか」と思う名前だった。


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