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「そのアタッシュケースの中身を、お見せいただけますかな?」

目暮が問いかけたのは、アタッシュケースを持った初老の男だ。

「これは仕事道具だ。 守秘義務もあるし、容疑者が俺一人に絞られて署で取り調べを…ってんなら見せてやるがよ、今はダメだ」
「ふむ、パーティーに仕事道具ですが」
「お祝いついでに、社長さんに新商品を売り込もうと思ってな」

なるほど、と頷いた目暮が「犯行時刻には何を?」と問うと、男は「煙草を吸いに行っただけだ」とすげなく答えた。

「そういえば、あなただけパートナーがいないようですが…」
「あっ、この方は、パートナーの方が直前に来られなくなって! でもとてもお世話になっている方なので、おひとりでもぜひどうぞって僕が誘ったんです」

どこか慌てた様子で、男の代わりに山路が答える。その回答に納得したのか、次の質問は学生時代の友人だという女性に向けられた。その様子を見た山路が安堵のため息をつくのを、安室とコナンが見つめていた。




***




「山路さん、大丈夫ですか? 顔色が悪い」

名前が蘭たちに声をかけた頃、協力者の男は、顔を青褪めさせている山路を気遣うように話しかけた。

「あ、ああ、先生…その……」
「せっかくの祝いの場がこんなことになったんだから無理もない。 彼に容疑はかかっていないんです、控室で休ませても?」

男は目暮に問いかける。

「失礼ですが、あなたは?」
「東都大学病院で外科部長をしています。 よろしければ控室まで付き添います」
「お医者様でしたか。それでしたら刑事も一人付き添わせましょう。高木くん!」
「はいっ」
「お二人を控室に」
「わかりました!」

背筋をピンと伸ばして返事をした高木を伴い、二人は控室に向かう。

「刑事さんは廊下で待っていていただけますか?」

控室前でそう言われた高木は「え?でも」と戸惑うが、「どうも彼はかなり気疲れしているようなので…。 初対面の刑事さんの前では緊張も和らがないでしょう」などと言われてしまえば、了承せざるを得ない。

控室に入る二人を見送って、高木は一人、困ったように頭を掻いた。

「先生…、ありがとうございます」

顔は青褪めたまま、しかしどこかホッとした様子で山路は椅子に腰掛ける。

「いえ、礼には及びません。 ああそうだ、私のメールアドレスはご存知でしたか?」
「あ、たしか以前いただいた名刺に」

慌てたように懐をまさぐる山路を手のひらで制し、男は新しい名刺を一枚取り出した。

「アドレスが変わったので、お渡ししておきます」
「ああ、ありがとうございます」

山路がそれを受け取る瞬間、男はその耳元に口を寄せる。

「―――いつでも動ける、頼りになる方を知っています。もし警察にも知られたくないトラブルがあるなら、すぐにメールをください」
「!」

バッと勢いよく顔を上げた山路は、男がシーと口元に指を立てるのを見て言葉を飲み込んだ。

「では、私は戻ります。 山路さんはここでしばらく休んでおられるといいでしょう」

コクコクと頷く山路に笑いかけ、男は控室を後にした。




***




(…なるほど、別れた恋人が人質にね。 「都内をドライブしている」と聞いただけで、現在地は不明。 逆探知したいな)

山路からはすぐにメールが来た。

彼の会社が大きくなった背景には指定暴力団である「嶋野組」の存在があり、新薬の開発で会社が飛躍的な成長を遂げると、度々脅迫を受けるようになったらしい。今回の婚約も組にあてがわれた女性とのもので、そのために恋人と別れざるを得なくなったのだとか。

そしてその婚約パーティーはロシアンマフィアと嶋野組の麻薬取引現場の隠れ蓑にされ、山路が万一にも裏切らないよう、元恋人が人質として嶋野組構成員に連れ回されている。

慌てて打たれたメールは支離滅裂な部分も多く、事前情報から名前が推測した部分も多分に含まれてはいるが、概ねこんなところだろう。

『添付ファイルを開いてください。インストールが完了したら、その状態で相手に電話を掛けて、なるべく時間を稼いで』

逆探知用のソフトを添付したメールを山路に送る。これは通話が始まると同時に通話相手に逆探知を仕掛け、指定した先に位置情報を送ってくれる優れものだ。もちろん違法である。

しばらくすると通話が始まったのか、連動させたアプリが起動し逆探知の開始を告げる。そのまま少し待っているとマップ上に現在地が表示され、赤いマーカーが少し動いたところで静止した。通話が切られたらしい。

手に入れた情報を手に、名前は会場に視線を走らせる。 視線の先に捉えたのは、同僚の“カバー”―――安室透である。




***




証拠探しのため移動していたのか、安室は名前が思ったより近くにいた。

名前はパーティーバッグの名刺入れから一枚の名刺を取り出すと、スタッフからボールペンを借りて走り書きをする。そしてパーティーバッグの口を開けたまま肩にかけ、安室透に向かってカツカツと歩を進め―――グキッと足を捻った。

「いっ…!」

体勢を崩した拍子に肩からバッグが滑り、開いていた口からステンレスの名刺ケースがカシャーン!と大きな音を立てて落下した。

音にハッと振り向いた安室が、ケースから飛び出した大量の名刺を見て膝を折る。

「大丈夫ですか、手伝います」
「……ありがとう」

名前自身もしゃがみ込む。大きな褐色の手が手際よく名刺を集めていくのが見えた。

「………今何人動かせる?」
「!」

苗字名前の声で小さく問うと、傍目にわからない程度に安室が目を見張る。 視線が素早く顔や体を滑った後、音を出さずに唇が「苗字さん」と動く。おい今胸見た?

ていうか本当に気付いてなかったんかい、と再び自分の技術を恐ろしく思いながら、手元に隠していた一枚の名刺をさりげなく安室の袖口に滑り込ませた。彼もそれに気付くが、この場で取り出しはしない。

安室が集めた名刺を受け取り、立ち上がって名刺ケースにしまい直す。同じく立ち上がった彼のスーツに皺が寄っているのを見て、「ありがとう、助かったわ」と言いながらそれを直した。スーツから手が離れる際、ジャケットのポケットに自分のスマホをそっと落とすことも忘れない。

スマホの画面には逆探知した地点が表示されたままだ。マーカーは止まってしまっているが、移動範囲の計算には役立つだろう。

「どういたしまして」

安室透らしく柔らかく微笑んで立ち去った彼が、袖口から手のひらに落とした名刺を横目で確認するのが見える。

『山路の人質 嶋野組構成員と**号線北上中 確保を』

安室が名前のそばにいる隙に上手く麻酔銃が使えたらしく、彼が戻った先では眠りの小五郎による推理ショーが始まろうとしていた。




***




青酸カリによる殺人を犯した犯人は、被害者の学生時代の友人だった。

学生時代の被害者が犯人の恋人を寝取り、その後の同窓会で結婚をアピールしていたにもかかわらず、今日パートナーとして連れて来た男性(大学教授だそうだ)に出会った途端あっさり捨てて乗り換えたのだという。捨てられた元恋人は自殺してしまい、それを知った犯人は彼女への復讐を決意した―――というのが犯行の動機らしい。

正直痛ましくはあるが、警察官になって長い名前にとってはよくある話でもあった。

推理ショーや犯人の涙ながらの自白を壁際から眺めながら、名前の視線は疑いの晴れたアタッシュケースの男とロシア人男性の一瞬のアイコンタクトを捉えていた。

警察が犯人を連れて引き上げるのに乗じて移動するのだろう。名前もその流れに乗ろうと傍らの協力者に声をかけ、壁から離れる。

涙を流しながら肩を落とす犯人とその背中を押す目暮警部、他の警官に声をかけながら引き上げの準備をする高木刑事、そしてそれを神妙な面持ちで見守るコナンと―――目が覚めたのか、開き切らない瞼をパチパチと瞬かせている毛利。その光景に名前がチラッと視線をやったところで。

ゴトン

「!」

何かが落ちる音に背後を振り返ると、長身を屈めた安室が落ちたスマートフォンを拾い上げるところだった。

「スマホ、落ちましたよ」

拾ったそれをにこやかに渡される。

えっ今わざと落とした?こわ。安室透こわ…。「あら、ありがとう」と澄まし顔でそれを受け取りながら、鋼鉄の表情筋の下で一瞬泣いた。

「まったく……本当に人使いの荒い人だ」

小さく呟かれたセリフは、慌ただしく動く周囲には聞こえなかっただろう。仕方ないな、と言わんばかりのその薄い微笑みは、安室というよりも降谷のそれに見えた。


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