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会場に戻ると、残っていたゲストと言葉を交わす山路の姿があった。事件前に一服すると出て行った婚約者は結局戻ってこなかったらしい。一人でゲストたちに頭を下げて回る山路は相変わらず疲れた顔をしているが、もう青褪めてはいなかった。

「山路さん、顔色よくなったみたいね」
「え?あ、うん、そうだね……」

抱いていたコナンを下ろすと、「あーっ、コナンくん、どこに行ってたの!」と蘭が駆け寄ってくる。

「ごめんなさーい、蘭姉ちゃん…」

先程までの鋭い視線はどこへやら、すっかり子供らしさを取り戻したコナンを名前は半目で見下ろす。

「連れて来てくださったんですか?ありがとうございました!」
「たまたまよ」

頭を下げてくる蘭を制し、その様子を見ていたコナンにフッと笑いかける。

「ボク、さっきのお話の続き……する?」
「えっ、あっ、いや……もう大丈夫かなー!」

あははー!と後頭部に手をやって笑うコナンに、「そう、じゃあね」と告げて踵を返す。背後で蘭に叱られている彼が名前を追いかけてくる様子はもうない。

エントランスで待っていた協力者とともに、名前はパーティー会場を後にした。




***




「あのロシア人、そういうことだったんですか」
「元々は私の案件じゃないけど、ロシア語の壁にぶつかってたから成り行きで」
「なるほど」

怒涛の一日から一夜明けて、日曜日。
苗字名前のマンションにて、名前と降谷はダイニングテーブルを挟んで向かい合っていた。

「ていうかなんで来てるの?こないだ来たばっかだよね?」
「ダメですか?」
「いやいいけど、なんで見計らったように夕飯出来上がったところで来るかな」
「ダメですか?」
「いやいいけど」

ダイニングテーブルでは、出来立ての夕食がほかほかと湯気を立てている。

「それより僕は、親子丼の具をフライパンのままっていうところに物申したいんですけど」
「は?」

テーブルに置かれているのは、小ぶりなフライパンいっぱいに作られた黄金色の親子丼(の具)と、白米だけが盛られた丼が二つ。それからインスタントの味噌汁が二つと、湯飲みが二つだ。

「食卓に置かれたフライパンから直接すくってご飯にかけるって、男らしすぎるでしょう。三つ葉もないから彩りも悪いし」
「文句あるなら食べなくていいよ」
「すみません」
「食後のわらび餅も禁止」
「すみません名前さん」
「おい名前」
「外で呼ぶようなヘマはしません」
「………」

名前は半目になってフライパンにお玉を差し込んだ。




***




「シャワー借ります」
「いや帰りなよ」

食後、しれっと脱衣所に消えようとする降谷に物申す。

「ダメですか?」
「……いやいいけど」

降谷は基本的に烏の行水だ。聞こえ始めたシャワーの音も、数分後にはすぐに止んだ。

「名前さん、何か着替えあります?」
「ないよ」

いつもヨレヨレのスーツで現れては帰っていく彼は、着替えなど持ってきたこともない。

「今度何か買って置いときます」
「彼氏か?」
「ダメですか?」
「いやいいけど」




***




スーツのスラックスとワイシャツを再び着た降谷が、我が物顔でソファに腰掛ける。

「えっまだ帰らないの?」
「ダメですか?」
「いやいいけど……私ちょっと仕事するよ」
「気にしないです」

気にしろよ。と思いながら名前も降谷の隣に腰掛け、タブレットで前日の報告書を作成する。一方の降谷はローテーブルに置かれていたリモコンでテレビをつけると、見るともなくザッピングしている。

小一時間程で報告書を作り終えた名前が顔を上げる。同時に、動物のドキュメンタリーを眺めていた降谷が視線だけでこちらを見た。

「もう寝ます?」
「寝るから帰って」
「今更でしょう」
「さすがに意識のある男にベッド貸す趣味はないよ」
「つれないですね」
「つれてたまるか」
「諦めません?」
「しつこいよ」

今日はせっかくスーツがヨレていないのだから、そのまま帰ればいいのに。それを指摘すると、降谷は「僕本当は寝るとき全裸派なので大丈夫です」とのたまった。

「なお悪いわ」

半目で睨みつけると、「仕方ないな」とため息をついた降谷がようやく腰を上げる。こっちが悪者のような雰囲気を作らないでほしいものである。



「じゃあ、お邪魔しました」
「はい、またね」

玄関まで降谷を見送るが、「あ、名前さん」と降谷が振り返る。

「ん?」

不意に、唇を何かが掠めていく。

「……」

思わず固まった名前だが、いつもより近い距離にある降谷の顔を見て、ようやくキスされたのだと気付いた。

「……ダメでした?」

距離はそのままに、降谷がほんの少し眉尻を下げる。
名前は降谷の頬に両手を伸ばした。

「………名前さん?」

両頬をそっと包まれた彼の目に期待の色が浮かぶ。

少しの間を置いて、瞼を閉じた彼が再び顔を寄せてきた。それに合わせて名前も唇を近づけ―――


「いでででで」


ガブリと噛まれた下唇を押さえ、目を白黒させている降谷をそのまま外へと追い立てる。

「え?え?……苗字さん?」
「はいごちそうさまでした」
「苗字さ―――」

外に出た瞬間、ちゃんと呼び方を戻した降谷に感心しつつ、彼の鼻先でバタンとドアを閉じる。

(……え、何今の?こわ。安室透だけじゃない。降谷もこわい)

イケメンこわい。と内心でブツブツ呟きながら、名前は少し熱を持った頬をパタパタと仰いで冷ます。寝よう。今すぐ。フラフラした足取りで寝室に向かうと、いつかの降谷のようにベッドに倒れ込んだ。


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