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杯戸町の繁華街。古びた雑居ビルの三階に、その裏カジノはあった。店内に鎮座するバカラ台を、明らかに堅気ではない男や、派手な装いの女たちが囲んでいる。

摘発を恐れる裏カジノは、一ヶ月に一回ほどの頻度でその場所を変える。そのため客達の物々しい雰囲気に反して、店内はいたって簡素だ。愛想のいい黒服たちが甲斐甲斐しく客の世話をし、種類豊富な飲食物を無料で振る舞っている。

そんな異様な雰囲気の中、バカラ台の一ヶ所を陣取る女がいた。

潤いをなくしたアッシュグレーの髪は何度も掻きむしられたのか無惨に絡まり、目の下には深い隈が刻まれている。タンクトップとショートパンツから覗く手足は青白く、豊満な胸の上に浮き出た鎖骨が彼女の病的な容貌を強調していた。

「No more bet」

ディーラーがベットの終了を静かに告げ、カードを配る。配り終えたディーラーが、続いてカードを開いていく。開かれたカードを見て、バカラ台を囲む客たちからは一喜一憂する声が漏れた。

女はカードの内容を見て眉根を寄せ、親指の爪をガジガジと齧る。一目見て負けが込んでいることがわかるほど、女の顔色は悪かった。

チッ、と舌打ちした女が、席を立って黒服に声をかける。

「マティーニ」
「はい、ただ今」

酒の注文を済ませた女が、店内に据え付けられた革張りのソファに体を沈める。するとそれを待ち構えていたかのように、大柄な男が隣に腰掛けた。

「荒れてんな、お姉ちゃん」
「うるさいな…すぐ取り戻すから放っといて」

初対面にもかかわらず気安い男を、女が横目で睨みつける。

「お姉ちゃん、金に困ってんの?」
「あ?」
「割りのいい仕事紹介してやろーか」
「余計なお世話」

すげなく切り捨てる女に男が笑う。

「キレイなツラしてんのにもったいねーな」

男の指が、女の目の下を這う。濃い隈をそっと撫でてからその手を後頭部に回し、ぐっと引き寄せる。

「………あんたさあ、走るの得意?」

唇が触れ合いそうになったところで、女が口を開く。

「はあ?」

こんなタイミングで何を言っているのか。きょとんと目を丸くした強面の男に、女が言葉を続ける。

「苦手なら、心の準備しといた方がいいんじゃない?」
「どういう―――」

意味だ。

男の口がそれを発する前に、カジノのドアがけたたましい音を立てて開かれた。


「警察だ!その場を動くな!」


ドタドタと足音を立てて踏み込む男たちに、室内が騒然とする。咄嗟に売上金を隠そうと足掻くスタッフや、身を寄せ合う女たち、怒号を飛ばす男など、反応は様々だ。

そんな中、ソファの前に一人の捜査官が立った。

「あなたが、ここのオーナーですね」

声をかけられた男は、呆然とした表情で眼前の捜査官を見つめる。

「賭博場開帳等図利罪で逮捕します」

淡々と告げられる言葉に、男の脳内は疑問符で埋め尽くされていた。

どうして。なぜ。あり得ない。

そもそも客は一階のインターホンを鳴らし、カジノ内のスタッフに承認されない限り三階には上がれない。三階に上がれば入店前に黒服の身分確認だってある。この方法で、これまで警察の捜査を掻い潜ってきたのだ。普通の・・・警察に摘発できるはずがない―――

「………残念」

ぽつりと呟かれた言葉に、男は油の切れた機械のようにぎこちない動きで隣を見る。

「割りのいいお仕事、なくなっちゃったね」

視線の先では、病的な容貌の女が妖艶な笑みを浮かべていた。




***




大捕物が行われている雑居ビルから少し離れたコインパーキングに、ワンガンブルーのGT-Rが駐車されている。名前は周囲を確認してから運転席に入り込むと、ハンドルに置いた両手に突っ伏した。

車内にはクレンジングシートも常備しているが、今日はこのまま帰ってしまおう。さっさとシャワーを浴びて、全身に染み付いた煙草や酒の臭いを取りたかった。

体を起こしシートベルトを締めようとして、後部座席に置かれたバッグが視界に入る。ふとそれを手に取り、中から一つの指輪を取り出した。

(ミステリートレインねえ)

行き先不明のミステリートレイン「ベルツリー急行」。それの乗車に必要なパスリングだと、園子に渡されたのはパーティー潜入任務の少し前のことだ。
特に興味はなかったが、コナンも行くと言うし、急な仕事が入らない限りは参加してもいいかと受け取ったのだった。

名前は指輪の入ったバッグを再び後部座席に戻すと、気休めだとはわかりつつも、車用のファブリーズを車内と自分に振りかけてから愛車のエンジンをかけた。



マンションに向けて愛車を走らせながら、名前の脳裏にはここ数日顔を合わせていない同僚が浮かんでいた。

(ついにポアロの安室透ファンに刺される理由ができてしまったなぁ……)

それは事故のようにささやかなキスだったが、さすがになかったことにはできないだろう。しかしその一方で、名前は小さな違和感に気付いていた。

そもそも降谷は、同じベッドに寝ようが仕事で一緒に車中泊しようが、これまで一切手を出してこなかった男だ。安室やバーボンの時はわからないが、少なくとも降谷零という男の貞操観念は高いと名前は考えている。

(……何かあったのかな)

彼が公安の仕事でどうこうなるとは思えない。彼の精神を揺さぶる何かがあったとしたら、それは潜入中の組織に関わることだろう。あの時は気が動転してごちそうさまとか言ってしまったが(どちらかといえば言われるべきは名前だ)、少し考えればわかることだ。

そんなことをつらつらと考えていた名前は、あることに気付いて車を停めた。

助手席側のパワーウィンドウを開け、細い路地に身を隠すようにして立っている男に声をかける。


「カッコいいおにーさん、よかったら乗ってかない?」


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