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苗字名前、30歳。

降谷と同じく警察庁警備局警備企画課所属の公安捜査官で、同じく警備局の外事情報部外事課からゼロに引き抜かれてきたエリートだ。外事でさまざまな国際犯罪に対応してきた彼女は、卓越した語学力で多様な言語を操り、優れた諜報能力すら有している。

中でも変装技術は抜きん出ており、ベルモットのようにマスクを使って特定の誰かに変装する術こそ持たないものの、髪型や所作、メイクを細かく変えることで完全なる“別人”を作り出すことができる。正直初見であれば自分も見抜けないだろうと降谷は考える。容姿に合わせて声色を自在に変えられるのも彼女の特技だ。

そもそもゼロの捜査官は、警視庁をはじめとする直轄部隊への指示と教育、協力者運営の管理が主な任務であり、トリプルフェイスである降谷のように長期的な潜入任務に当たるケースは極めて異例だ。

しかし彼女は、その諜報能力の高さもあってか降谷に次いで潜入任務が多い。顔を変えては短期間の潜入捜査を繰り返し、その合間に協力者獲得のため“仮の姿”で度々街に繰り出しているのだという。

『何っていつも通り、“偽苗字名前”の姿で米花町を練り歩いてたけど』

何をしているのかという降谷の問いに、名前はあっさりと返す。“偽苗字名前”は、彼女が米花町界隈に出没する際によく使う仮の姿、すなわちカバーの名前だ。

偽苗字という苗字はもちろん偽名である。一番よく使う偽苗字の姿で下の名前を変えない理由は、確か「下の名前なんて公安でも滅多に名乗らないから支障はない」―――だったか。

「なんであの子供と一緒に?仕事とは関係ないでしょう」

降谷が毛利小五郎を注視するためにポアロに潜入したことは、同僚である名前も知らないはずだ。

ゼロの捜査官は基本的にウラ理事から直接の指令を受け、それぞれの任務に当たる。お互いの任務については協力を要請されでもしない限り共有しないため、降谷がポアロでバイトを始めた理由も伝わっていないはずである。

もっとも、組織関係では何度か彼女の手を借りているため、安室透とバーボンを演じていること自体は知られているが。

『コナンくん?仲いいんだよね』

気に入っちゃって、と楽しそうに話す彼女に少し苛立つ。小学生と仲良くお茶してられるほど暇じゃないだろうが。

「随分と親しそうでしたが」
『半年くらいかな、そこそこ長い付き合いだしね』

もちろん彼は私のことただの女子大生だと思ってるよ、と付け足す。どうやら彼女は以前から、偽苗字名前として喫茶ポアロに通っていたようである。しかしその理由を聞くと、『ノーコメント』と煙に巻かれてしまう。

『降谷くんの邪魔はしないから、その辺はあまり気にしないで』
「……頼みますよ、ほんと」

同僚として信頼はしているが、どうも彼女は降谷のことを年下扱いする節がある(年下だが)。邪魔とまではいかないまでも、しれっと首を突っ込む可能性は大いにありそうで若干の不安が残る。

「そういえば偽苗字名前って何歳の設定なんです?」
『東都外国語大4年の22歳。卒業研究に追われつつ、大好きなポアロとコナンくんに日々癒されてる設定だよ。あとイケメンが好き』
「8歳サバ読んでるんですか」

若干イラつく設定は流しつつ、大幅なサバ読みに少しツッコんでみる。女子大生姿もハマりにハマっていてなんの違和感もないと思っていることは別に言わなくてもいいだろう。

『女子高生でも演じられるよ』

―――30歳が演じる女子高生。

文字にすると色々とえぐいが、彼女なら難なく演じ分けてしまうのだろう。つい想像してしまったのはここだけの話だ。




***




「お姉さん、どこの大学? 暇ならお茶しよーよ」
「…ごめんなさい、暇じゃないです……」

二人の男に行く手をふさがれた名前は、彷徨わせた視線を地面に落とす。隙を見て逃げるつもりなのか、両手は肩に掛けたトートバッグの持ち手をぐっと握りしめていた。

「いきなりごめんね、めっちゃ可愛いからつい声掛けちゃった」
「ダメなら連絡先だけでも交換しよーよ。なんでも奢るからさー」

「すみません」「急ぐので」「約束が」と断り続ける名前にもめげず、男たちからはポンポンと軽薄な言葉が飛び出す。

「いやほんと可愛いよねーモデルさん?」
「一人が嫌ならお友達誘ってくれてもいいよー」
「あの、ほんとに…」

偽苗字名前らしく困惑の表情を浮かべていた名前も、さすがに面倒になってため息をつきかける。

「あれれ〜? 名前姉ちゃん?」

場違いなほど明るい声は、男たちの背後から聞こえてきた。

「やっぱり名前姉ちゃんだ! 」

男たちの間を器用に縫ってこちらに駆け寄るのは、子供らしい無邪気な笑みを浮かべたコナンである。

「コナンくん!」
「名前姉ちゃん、遅いよー!ボクずっと待ってたんだよ! 早く行こうよー!」

名前の上着の裾を引いて早く早くと急かす。

「なんだあ?このガキ…」
「なーボク、このお姉さんは俺達とお話中なんだ。 あっち行ってな」

男たちが露骨に顔をしかめるが、コナンは「ヤダヤダー! 先に約束してたのボクだもん!」と大声を上げる。

「チッ…めんどくせぇ」
「なあもう行こうぜ」

うるさく騒がれては面倒だと判断したのか、最悪、とどちらからともなく吐き捨て、二人は小走りで去っていった。

「コ、コナンくん…」

ほっと息を吐いてからコナンを見下ろす名前は涙目だ。

「名前さん困ってたから、つい割り込んじゃった」

えへへといたずらっぽく笑うコナンに「ううっ」と唸った名前は、バッとしゃがんで彼を抱き締めた。

「名前さん!?」
「うう〜コナンくんカッコよすぎだよ! ありがとう!」

突然抱き締められたコナンは動揺した様子で声を上げるが、耳元で聞こえた涙声に暴れるのをやめる。トントンと背中を優しく叩いてやれば、名前からは「コナンくぅーん」となんとも情けない声が漏れるのだった。




***




「あれ?名前さんなんか機嫌いいですね!」

お礼にとポアロに向かえば、二人分のアイスコーヒーを運んできた梓からそう指摘される。

「えへへ、実はちょっとトラブルがあったんですけど…またまたコナンくんに助けられちゃって!」
「えっ、トラブルって、名前さん大丈夫なんですか!?」
「ただのナンパだったので大丈夫ですよ〜。でもちょっと困ってたので、本当に助かりました!」

ねっ、とコナンに笑い掛ける。彼は照れたようにアハハと笑って頬を掻いた。

「ナンパから助けちゃうなんてさすがコナンくんね」
「いや、大したことはしてないよ…」
「そんなことないよ! コナンくんいつもヒーローみたいだもん」

ほらほら、好きなもの頼んで!とメニューをグイグイ差し出す名前に、コナンは乾いた笑いをこぼした。


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