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偽苗字名前。コナンが度々行動を共にする女子大生の名だ。

明るく染められたピンクブラウンの髪に、色素の薄い大きな瞳。メイク映えする華やかな顔立ちと長い手足に、華奢でありながらもメリハリのある体型は今時の読者モデルのような佇まいである。

そんな派手な見た目に反して彼女はいつも穏やかで、ほわほわとしていて、子供が好きだ。コナンを「とても頭がよくて正義感の強い小学一年生」だと信じて疑わず、何か困ったことがあると助言を求めてくることもある。あまりにも純粋に信頼してくれるものだから、コナン自身も悪い気はしなかった。

付き合いが長くなるにつれてコナンからは子供らしい振る舞いが減り、まるで同年代に対するかのような語調になることもある。そしてそれを彼女が気にしている様子はない。阿笠博士や灰原とまではいかないものの、コナンにとって比較的素に近い自分が出せる貴重な存在なのだ。




***




名前と初めて出会ったのは、黒ずくめの男たちによって体が縮んでしまったまさにその日のことだ。

トロピカルランドの隅で警察官に保護されそうになっている時、「あの、その子、私の弟です!」と、緊張した面持ちで間に入ってくれたのが最初だった。「今日一緒に来てたんですけど、はぐれちゃって…。ね! そうだよね!」と必死な顔で訴えてくる彼女の勢いに圧された新一は、「助かった」と思う間もなく同意したのだ。

その後工藤新一の家まで付き添ってくれ、「ここまででいい」と言うコナンに事情を聞くこともせず、最後まで怪我の心配をしてくれていた彼女を新一は好ましく思った。
「困っているみたいだったから、素通りできなくて」と照れたように眉尻を下げる彼女に、裏があるようには見えなかったというのもある。

ちなみになぜあんなところにいたのかという質問には、「迷子になった」という答えが返ってきて、思わず半目になったのはここだけの話だ。後に彼女は蘭と同じく方向音痴だと判明した。



「あ、あの時の」

そんな彼女と次に会ったのは銀行の前だった。初対面の時はまだ江戸川コナンという名前もなく、最後まで名乗れずじまいだったことを思い出す。

「お姉さん、あの時はありがとう! 僕、江戸川コナンっていうんだ」
「コナンくんね。私は名前、偽苗字名前っていいます」

話しながらミニ丈のワンピースの裾を押さえ、コナンの目線に合わせてしゃがんでくれる彼女は相変わらず好印象だ。「名前さんって呼んでもいい?」と聞くと、「うっ可愛い…もちろんです…」と心臓を押さえていた。

その後、「通帳に記帳するだけだからよかったらお茶しよう」という彼女の誘いを受け、一緒に銀行に入ったところでまさかの銀行強盗に出くわす羽目になるのだが―――解決に一役かったコナンを「コナンくんすごい! かっこいい!」とキラキラした瞳で見つめる彼女に、「目立ちすぎたか」と少し焦りはしたものの、やはり悪い気はしなかった。



ふと彼女との出会いを思い出していたコナンは、目線を手元のスマートフォンに移す。ちょうど先程、件の彼女からのメールを受信していたのだ。

『コナンくんおはよう! 実は大学の友達からリアル推理ゲームのチケットをもらったんだけど、よかったら一緒に行きませんか?』

いつもニコニコと笑みを浮かべている可愛い人を思い浮かべ、口元が緩むのを感じる。

そんな彼女からの魅力的な誘いに是と返答すべく、コナンは返信のアイコンをタップするのだった。




***




「おはよう」
「あ、苗字さん。おはようございます」
「久しぶりですね」

登庁して職場に顔を出すと、同僚が珍しいものを見るかのような顔で挨拶を返す。無理もない。最近は登庁が必要となるような案件もなく、外では警視庁公安部の部下を手足のように使っていたので、名前本人が警察庁に登庁するのは実に一ヶ月ぶりのことだった。

「手渡し希望の報告書を出しにね」

書類でパンパンに膨らんだ長3サイズの封筒を振ってみせる。今日はこれを届けに来ただけだ。

「それより何かあった?」

大柄な男たちが額を突き合わせて相談しているので、何か緊急の案件かと声を掛ける。

「ああ…これです」

無線のイヤホンを一つ渡されたので片耳に装着する。彼らが睨み付けていたのはデスクに置かれたタブレット端末のようだ。
イヤホンからはジジ、というノイズと共に不明瞭な男の声が聞こえてくる。なるほど、これはタブレットのスピーカーから直接聞いたのでは全く聞き取れないだろう―――と一瞬で納得してしまうほどには質の悪い動画だった。

「ロシア語…」
「ええ、対象が対象なので外注もできず、ノイズだらけでソフトでも上手く拾えないのでどうしようかと」

画面を見やすいように、男の一人が場所を譲ってくれる。
ディスプレイに映されているのは、照明の少ないバーカウンターに並んで座る外国人男性二人。警視庁公安部の潜入捜査官がやっとの思いで盗撮してきたものだという。彼の上司である同僚が動画を確認したが、翻訳の宛がなく他の同僚たちに相談していたようだ。

名前はつい、と画面に触れて動画を最初から再生し直すと、再生速度の設定を2倍速に変えた。途端に速度を増すノイズ混じりのロシア語に、もう一方のイヤホンを装着していた同僚が眉根を寄せる。しかし誰もそれを邪魔しないのは、彼女が画面を見つめてぴたりと静止していたからだ。

時間にして10分ほど経過したところで、早回しの動画が終了して名前がイヤホンを外す。

「“7日後、ヤマジのパーティーで例の物の受け渡し”“目印は大鷲のモチーフのループタイ”“カモフラージュにパートナーを見繕っておけ”“公安が張っているだろう、気取られるなよ”―――7日後の土曜日なら空いてるから、私潜ろうか」

名前が言葉を切ると、じっと待っていた男たちからワッと歓声が上がる。名前が要約してみせた内容こそ、彼らが待ち望んでいた情報だったのだ。しかも現場に入るとまで言ってくれている。名前の諜報能力を買っている同僚たちからしたら、この上なくありがたい申し出だった。

「さすが苗字さん、助かります」
「ロシア語もできたんですか?」
「読み書きはまだ。それより今付いてる捜査官、一度外そうか。感付かれてそう」
「了解です」
「じゃあ私これ出してくるから、パーティーの方、準備よろしくね」

複数の野太い声が了承するのを聞きながら、名前は封筒片手に踵を返した。


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