2-6
「ええっ!?毛利探偵事務所に送ったじゃと!?先週のキャンプの時の映像をか!?」
蘭と園子、名前、そして少年探偵団の面々が集まった客室で、阿笠博士が驚きの声を上げた。どうやらキャンプで火災から助けてくれた女性を探そうと、光彦の撮影した動画が毛利探偵事務所に送られていたらしい。そしてその話の最中、哀の顔色がどんどん蒼白になっていく。
「あの女の人って、ミステリートレインのパスリングしてたから、ここで会えるかもって話してたんだよね?」
「まだ見てねぇけどなー」
そのキャンプの話を知らず、なおかつ推理力に自信のない名前でもさすがに見当がついてしまった。つまりその動画を何らかの方法で降谷が見たのだろう。解毒薬を使って大人に戻った、シェリーの姿を。
「哀ちゃん」
「!」
蘭と元太の間で小さな体をさらに縮こまらせていた哀が、名前の呼びかけにビクッと肩を揺らす。阿笠博士の隣―――つまり哀のほぼ正面に座っていた名前が小さく手招きすると、少し躊躇ってから彼女は名前の左隣に移動してきた。
「……どうしたの?」
「ううん」
短く返して名前は哀の右手を握る。
「!」
「哀ちゃんの調子が悪そうだったから……。ほら、手も冷たい」
気づかわしげに彼女を見やると、戸惑ったように視線が外された。
「大丈夫よ」
俯いたまま彼女が言うが、握った手が振りほどかれることはなかった。
ブブブ、と彼女のスマホが振動する。利き手を名前が握っているため、左手で少しぎこちなくそれを取り出した彼女が、画面を見て絶句した。そして、彼女の右手が名前の手をそっと抜け出す。
「……哀ちゃん?」
哀は返答なく座席を降り、客室のドアへ向かって歩き出した。
「あ、哀君、どこへ行くんじゃ?」
阿笠博士の問いに、哀は「トイレ。風邪薬も飲むから、ちょっと長いかも」と返して客室を出ていく。それについていこうとする蘭を、名前が止めた。
「私もちょうどトイレ行きたかったから、哀ちゃんと一緒に行ってくるね!」
***
名前は客室を出ると、向かって左の角に哀の気配を感じながら、彼女がどっちに行ったのかわからない体を装って「あれ?哀ちゃん?どっち行ったのかな…」としばらくウロウロした。
すると哀が向かった方でドアの開く音がする。名前は気取られないようそっと近付いた。
「……さすがは姉妹だな、行動が手に取るようにわかる」
発された言葉に、哀が息を呑むのがわかる。聞こえてきたのは、先日聞いたばかりの男の声だった。名前は知り合い集結しすぎじゃない?と遠い目をしながら、耳をそばだてる。
「さあ、来てもらおうか…こちらのエリアに……」
沖矢の意味深な物言いに哀がその場を駆け出したのを察知して、名前も足音を立ててそこに姿を現した。
「!」
「……あのっ、沖矢さん!」
「名前さんもいらしていたんですね」
眼鏡をそっと上げる沖矢の表情は読めない。
「ごめんなさい、さっきの聞いてしまいました……。でも!」
「……なんでしょう」
「沖矢さんの言い回し、たまに難解すぎて怖いです!」
「は」
「哀ちゃんのこと、怖がらせるのはやめてください!ではっ!」
ぎゅっと眉根を寄せて言い放って、名前は哀を追いかけた。言い逃げである。
大人と子供のリーチの差もあり、哀の姿はすぐに捉えられた。7号車のB室に逃げ込んだ彼女を見て、名前は一拍置いてドアをノックする。
「哀ちゃん?」
ドアの向こうから、哀がハッと息を呑む気配がした。今の彼女にとって、彼女を一人にするつもりのない名前は厄介この上ない存在だろう。しかしそれでも、彼女にはこのドアを開けてもらわなければならない。
「大丈夫?入ってもいい?」
「……なんで来たの!」
泣きそうな声で哀が叫ぶ。
「哀ちゃん、ずっと何かに怯えてるみたいだったから……放っとけなくて」
「……」
「私、頼りないかもしれないけど、哀ちゃんの力になりたいよ。何もできないかもしれないけど、そばにいることならできる」
それじゃ、ダメかな?
優しく言い聞かせるように言葉を続けると、哀が「危険なのよ!」と声を上げた。
「私のそばにいるのは、危険なの……。お願いだから、一人にして」
「哀ちゃん……」
名前は覚悟を決めたように息を吸い込む。
「っ、ごめん!」
まだチェーンロックのかかっていなかったドアは、ガチャッと音を立てて簡単に開いた。客室に勢いよく踏み込んだ名前は、目を見開いてこちらを見る哀を力いっぱい抱き締める。
「!」
「哀ちゃんごめん!私こう見えて頑固だし、お節介なの」
「……知ってるわ」
強張っていた哀の体から、少し力が抜ける。
「哀ちゃんがそばにいさせてくれないなら、きっと心配しすぎてもっと危険なことすると思う」
「………」
「哀ちゃんは一人で抱え込みすぎだよ。……ちょっとは年上を頼って、ね?」
体を離して笑いかけると、哀が諦めたように「あなたはあまり年上って感じがしないけどね」と毒づいた。「うっ」と唸った名前にようやく哀が微笑んだように見えて、名前は感激して瞳を潤ませる。
「哀ちゃん!」
「ひえっ」
その時、開けっ放しだったドアから妙齢の美女が飛び込んできて名前は飛び跳ねかけた。
「あ、あら、あなたは…?」
「えっ、えっ?」
名前を見て怪訝そうに首を傾げる女性と、見知らぬ美女の登場に完全にパニックに陥っている名前。見かねた哀が声をかけるまでその小さな混乱は続いた。
***
ドォン、と爆音が聞こえてしばらくして、哀が「もういいわよ」と名前の腕に触れた。名前はきつく閉じていた瞼を開け、両耳を塞いでいた手を外す。
「終わったわ」
「ほ、ほんと……?」
「ええ」
あれから、名前の存在を気にして話すに話せないでいる二人に、名前は「何も見ません!何も聞きません!お話があればどうぞ!」と言って座席の端に座り込むと、両耳を塞いでぎゅっと目を閉じて必死で見ざる聞かざるアピールをした。それを見た美女―――工藤有希子が名前の排除を諦めて哀に作戦を伝え、なんやかんやあって怪盗キッドの協力を得つつ組織の目を逃れたようである。
なぜ名前がそれを把握しているかというと、もちろん二人から死角となる方の耳でバッチリ聞いていたからだ。ずるい大人である。
「哀ちゃんは、もう大丈夫なの?」
「ええ。ありがとう」
「うう……私、何もできなかったなあ」
「そんなことないわ」
哀はそう言うと、名前の隣に腰掛ける。
「今更だけど、実はちょっと体が辛いの。ここで休んでもいいかしら」
「!」
もちろんだよ、と言うと、哀は名前にもたれるようにして体の力を抜いた。
***
「でも、ホントに驚きました!灰原さんが7号車のB室にいたなんて」
「名前お姉さんも一緒だったんだね!」
「うん。哀ちゃんが体調悪そうだったから、付き添ってたの」
爆破の影響で近くの駅に停車したベルツリー急行。そこでの下車を余儀なくされた名前たちは、人波に沿って歩いていた。
「哀ちゃん、よく眠ってるね」
「うん……疲れもあったみたい」
客室で名前にもたれて眠ってしまった哀は、今は名前に抱き抱えられる形で眠り続けている。少し離れた場所でキッドと電話をしていたらしいコナンが、名前のもとに戻ってきた。
「名前さん、灰原と何か話した?」
「え?」
「あー、その……一緒にいたって聞いたから」
今日一日どこか探るような目つきで名前を見ていたコナンの目は、今は少し和らいでいるように見える。
「うーん、私は正直何もできなかったんだけど……。でも、哀ちゃんの力になりたいっていうのは伝えたよ」
ちょっとは信頼してもらえたのかな、と名前が顔を綻ばせるのを、コナンがホッとしたような表情で見つめていた。
(……にしても)
名前がチラッと視線を向けた先には、キャスケットを目深に被った金髪の男の後ろ姿がある。
(降谷くんはシェリーを死なせたと思ってるんだよなあ……)
彼が何を思ってシェリーを保護しようとしたのか、その理由を名前は知らない。ただ、結果的に目の前で死なせてしまったことを、真面目な彼が悔やみ続けるだろうということはわかる。
(……大丈夫だよ、降谷くん。彼女はちゃんと生きてるよ)
いつかそれを、彼に伝えることができればいい。
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