2-7
コナンや哀の正体を知っていたり沖矢の正体を疑っていたりと、思いがけず多くの情報を手に入れている名前だったが、一方で組織については知らないことの方が多い。
(阿笠邸の盗聴でジンとウォッカ、ベルモットっていうコードネームは知ったけど、顔はわからないし)
基本的に、降谷が名前に組織の情報を漏らすことはない。同じ部署でも、協力を求められない限り他人の任務にはノータッチ、それが原則のゼロでは当然のことだ。
名前が彼にしたサポートと言えば、せいぜい空いた時間に頼まれて車を出したり(なぜか彼の愛車は大破していた)、カモフラージュのために変装姿で行動を共にしたりと、そんな程度のことだった。
だから名前は、目の前で薄っぺらい笑みを貼り付けている安室透という男にかけるべき言葉を知らない。
「名前さん、コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「あっ、お願いします」
シェリーの死が彼に与えた影響は正直わからない。ただ、彼の様子を見る限り、彼女の保護は彼自身の強い願いだったのだろう。
(哀ちゃんの様子を見ると直接の面識があったわけじゃなさそうなのに、どんな繋がりだろう)
情報は何にも勝る武器だ。
それが不足すると、こうして無力な自分を痛感することになる。
カラン、とポアロのドアベルが音を立てる。
「いらっしゃいませ!あ、コナンくん!」
入り口に目をやると、こちらを指差しながら梓に声をかけるコナンが見えた。カウンターに座る名前は、隣の席に置いていた荷物をどかしてコナンを迎える。
「名前さん」
「コナンくん、こんにちは」
コナンは席には座らず、どこか焦ったような表情を浮かべていた。
彼から連絡があったから席を取っていたのに、と名前は首を傾げる。
「名前さん、すぐ出れる?話したいことがあって………」
彼の視線が、二杯目のコーヒーを運んできた安室の様子を窺っている。
「コナンくんは、何も飲まないのかい?」
「……うん。すぐ出るよ」
コナンは組織のバーボンだとわかった安室のことをあからさまに警戒しているようだ。名前は淹れられたばかりのコーヒーとコナンの様子を見比べて、安室におずおずと向き直った。
「安室さん、すみません。私も行きますね」
「…わかりました。またお待ちしています」
「はい、また」
後ろ髪を引かれる思いでポアロを出ようとした名前は、一瞬だけカウンターの安室に視線を向ける。
手付かずのコーヒーを見つめる彼の表情は、名前の位置からは窺えなかった。
「それで、どうしたの?コナンくん」
「あ、えっと……」
バーボンのいるポアロから名前を引き離そうとしたのだろうが、それをどう説明すべきか悩んでいるコナンに名前は助け舟を出すことにした。
「ああ、もしかして開始時間早まった?」
「え?」
「だって沖矢さんとの約束、今日だし。まだちょっと時間あるけど、何かあったのかなって」
「あ、えっと、うん!そうなんだ。沖矢さんから買い出し頼まれちゃって」
なるほど、と名前は頷く。
「じゃああっちのスーパーでいいかな?」
「うん!」
***
買い物を済ませた名前とコナンは、沖矢とともに工藤邸のキッチンで料理を始める。
今日はかねてから沖矢と「コナンも呼んで三人で夕食と晩酌を」と約束していた日だ。夕方の早い時間に集合した三人は、まず夕食の仕込みをすることにした。
名前はピンクブラウンの長い髪をポニーテールにしてキッチンに向かう。
「ホォー、手際がいいですね」
「本当ですか?ありがとうございます」
「先日大量のインスタント食品を買い込まれていたので、料理はされないのかと」
「うっ……できることは、できるんです……。やらないだけで」
椅子に立ってテーブルを拭いていたコナンから、「大量のインスタント食品…?」と呆れたような呟きが聞こえる。
「だって、誰か食べる人がいるならまだしも……自分一人にためにって、あんまりやる気も出なくて」
「なるほど」
「あ、沖矢さん……」
「はい?」
名前が野菜を切る手を止めて呼びかけると、米を研いでいた沖矢が顔を上げる。
「あの、先日はすみませんでした。勢いで変なことを言ってしまって」
「ああ……いえ、気にしていませんよ」
「何かあったの?」
ミステリートレインで言い逃げしたことを謝る名前に、コナンが首を傾げた。
「灰原さんを怖がらせるようなことを言うなと、名前さんに言われてしまったんですよ」
「……はは、なるほどね……」
苦笑するコナンは、彼の物言いが誤解を生みやすいことを理解しているようだ。
「名前さん。ついでにレンコンもスライスしておいてもらえますか。後で揚げましょう」
「あ、了解です。レンコンチップスですか、いいですね」
沖矢と名前という不思議な組み合わせでの料理は、意外にも和気藹々と進んだ。
***
この日コナンと合流する前、名前は部下にこちらから連絡するまで一切連絡をしないように伝えてあった。
先日のミステリートレインで、一時的とはいえコナンから向けられていた疑いの視線。何が原因かはわからないが、コナンが名前のことを疑っていたのならそれは赤井(仮)とも共有されていると見るべきだろう。
そして名前は向けられている疑惑の種類を確かめるため、まず組織と関わりの深い哀の信頼を勝ち得ようと動いた。
「お節介で困っている人を放っておけない偽苗字名前」として全力で茶番を演じた結果、コナンからの疑いは確かに薄まっていた。つまり、組織に関係する人間かどうかを疑われていた可能性が高い。
そしてその疑惑がおおよそ解消された今、きっと二人は偽苗字名前の裏にあるものを確かめようとする。
(疑われるに至った原因も、確かめておかないと)
パエリアのフライパンに蓋をしながら、名前は再び気を引き締めた。
***
「んー!美味しい!豪華!」
「本当、これだけ並んでるとお店みたいだね……」
大きなダイニングテーブルには和洋折衷の料理が所狭しと並び、それに合うお酒を沖矢がさりげなく勧めてくる。
「パエリアにワインって合うんですねえ」
「ええ、少し軽めの赤ワインがよく合うんですよ」
「私甘いお酒しか飲めないと思ってたので、ちょっと嬉しいです」
頬を緩める名前の顔は、すでにほんのりと赤い。
「ちなみにレンコンチップスにはクラフトビールが合いますよ」
「へえ、私にも飲めるかなあ」
「いくつか用意してあるので、飲み比べてみますか」
この男、容赦ないな。名前は心の中で感心していた。アルコール度数の違うものを複数種類飲むと、酒の総量がわかりにくくなって飲みすぎてしまいやすい。
親切で気が利く男を装いつつ、実際には飲み慣れない女をガッツリ潰そうとしているのだからなかなかに冷酷である。
「名前さん、大丈夫?普段こんなに飲まないんじゃない?」
コナンも一応は心配している様子を見せるが、本気では止めてこない辺り、今日この場で名前を潰すことに異論はないようだ。まったく恐ろしい高校生である。
名前はコナンがたまに見せる容赦のなさも気に入っていた。
「ふふ、つい舞い上がっちゃって……。人と一緒に食べるご飯って、美味しいよねえ」
結局、テーブルが片付けられてデザートが並ぶ頃には、名前の瞼は半分閉じかかっていた。
デザートと共に差し出されたのは、沖矢お手製のチョコレートカクテル「ジェントルマンズ ショコラ」だ。
紳士とは名ばかりのそれは、ウイスキーとブラックチョコレートリキュール、コーヒーリキュールに気持ち程度の生クリームが加えられた、実にアルコール度数20%前後の代物である。これはレディキラーと名高いロングランドアイスティーと同程度の度数だ。完全にとどめを刺しにきている。
それを「おいしい…」とちびちび舐めていた名前の頭が、ついにこっくりこっくりと舟をこぎはじめる。
「おっと」
沖矢が名前の手からグラスを取ると、ぐらりとその体が傾いた。それを受け止めながらグラスをテーブルに置いた沖矢は、名前を抱き上げてソファへと横たえる。
「沖矢さん」
その彼の背後から差し出されたのは、彼女のバッグから取り出された一台のスマートフォンだった。
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