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※一部グロ注意


(ああー、眠いー)

名前が偽苗字名義のマンションに帰宅したのは、翌朝のことだった。結局ぐっすり寝てしまった名前をそのまま寝かせておくことにした沖矢は、翌朝、目を覚ました彼女をマンションまで送ってくれたのである。―――というのは彼ら目線での話で、もちろん彼女はその間ずっと起きていた。

(阿笠邸の盗聴器か……さすがにすぐ回収しに行ったのは怪しかったな。しくじった)

全身の筋肉を弛緩させ、熟睡している人間を演じるのは名前にとっては簡単なことだった。そして彼らの会話から疑惑の原因を知った名前は、過去の自分の軽率な行動を後悔した。

(……それに)

名前は偽苗字名前名義のスマホを手に取る。目を閉じていたので確実ではないが、昨日沖矢はこのスマホにハッキングか何かを仕掛けたようだった。削除したデータの復元を試みていたようだし、連絡帳に登録されていた人物も一晩の間に見事全員調べ上げたようだ。

このスマホに後ろ暗い部分はないからそれは構わないが、盗聴・盗撮可能な遠隔操作アプリなどが仕掛けられていたら非常に困る。

今にも落ちてきそうな瞼を無理やりこじ開けた名前は、自宅に置いていた苗字名前名義のスマホから一通のメールを送り、すぐに返ってきた返信を確認してから意識を飛ばした。



***




目を覚ました名前は、メイクを落としてシャワーを浴びてから、再び偽苗字名前に変装し直した。ピンクブラウンの髪を簡単に巻き、適当なワンピースにコートを羽織って外に出る。電車に乗って向かったのは、大型のゲームセンターである。

何種類もの機械音が騒がしく鳴り響く店内で、名前は一人、ガンシューティングゲームをやり始めた。ガウンガウンと激しい音を立てて、画面に現れる敵を駆逐する。あまり人気のあるゲームではないのか、彼女が正確無比なシューティングを披露しても人が集まる様子はない。

途中、一人の男が筐体の横を通り過ぎる。男が通り過ぎる瞬間、名前は流れるような動作で彼にスマホを手渡した。男が通り過ぎた後は再び銃声を轟かせ、画面に見える敵を全て殲滅する。リザルト画面ではファンファーレが鳴り響き、彼女が最高得点を獲得したことを告げていた。

続いて彼女が向かったのは、UFOキャッチャーのコーナーだった。一通り見て回って好みの景品がないのを確認した彼女は、“偽苗字名前”が好きそうなモフモフとしたぬいぐるみに狙いを定める。一つ、また一つと順調に獲得していると、先程の男が背後を通り過ぎる。コートのポケットに重みが加わったのを感じながら三体目のぬいぐるみを獲得した名前は、周囲に視線を走らせてからポケットのスマホを確認した。

『データを抜かれた痕跡はありますが、入れられたものはないようです』

起動していたメモ帳には、その一文だけが入力されていた。

名前は張り詰めていた気が緩んだのか、肺が空になりそうなほど長いため息をついたあと、三体のぬいぐるみを抱えて帰路についた。




***




部下から慌てた様子で電話がかかってきたのは、その日の深夜のことだった。

公安がマークしていた犯罪組織の取引現場を押さえたはいいが、一方の組織がスナイパーを用意していて捜査官が一人狙撃されたのだという。幸い怪我の程度は軽いらしいが、スナイパーの潜伏位置を特定できず、部下を含む三名の捜査官が物陰に身を隠したまま身動きが取れずにいるらしい。

愛車に乗り込んだ名前はタブレットでマップを起動し、負傷した捜査官の位置や周囲の建物の立地状況から、スナイパーの潜伏位置に大体のアタリをつけた。そしてその近辺を包囲するために必要な人数と配置を示して部下に送信すると、愛車を発進させる。

必要な人員を動かすため、今まさに現場にいる部下を介さなければならないという二度手間がもどかしいが、ゼロという立場上致し方ない。グッとアクセルを踏み込んで現場に急行した。



現場に到着する少し前に、包囲完了の連絡が届く。さすが優秀な公安捜査官たちだ。少し離れたところに駐車した名前は、スナイパーの視界に入らないよう注意しながら、建物の陰や内部を通り抜けて部下のもとへ向かった。

「!苗字さん」
「状況は」
「あれから一発、発砲がありましたが負傷者はいません。方角は先程いただいた指示の通りでした」
「なるほど、まだ逃げられてはいないか」

それはよかった、と呟いた名前が周囲を見渡す。残り二人の捜査官とはそれぞれ少し距離がある。三人とも銃を構え、どこにいるともわからないスナイパーを牽制しながら耐えていたようだ。

「被弾した捜査官は?」
「搬送済みです」
「よし」

最初の発砲のあと、新たな負傷者を出さずに大半の捜査官がこの場を離れられたのは不幸中の幸いだ。おそらくその捜査官たちも今はスナイパーの包囲に加わっていることだろう。
とはいえ、名前が潜伏場所の候補として挙げた範囲にはビルが三棟あり、闇雲に突入するわけにもいかない。

「あっちの二人に状況は伝わってる?」
「それが、東側にいる方は無線の調子が悪い上に携帯の電源も切れており……」
「伝わってないか」

はい、と部下が苦い表情で頷く。命の危機に晒された中で状況がわからないというのは多大なストレスだろう。

しかし、声の反響しやすい倉庫街ではむやみに大声も出せない。加えてこの暗闇では、身振り手振りで伝えるにも限界がある。相手は暗視スコープを使っているだろうし、包囲しているとはいえ決してこちらが優勢というわけではないのだ。

不意に、東側の倉庫の陰で人影が動く。件の捜査官だ。連絡手段がなく、状況がわからないストレスに耐えかねたのだろう。こちらと合流しようとしているのかもしれない。

「チッ……焦れるなよ…」

頼むから動いてくれるな、と名前が祈ったのも束の間、男が建物の陰から飛び出した。

「バカ!戻れ!」
「苗字さん!」

反響しないギリギリの声量で叫びながら、同じく飛び出した名前が男を力いっぱい蹴り飛ばす。火事場の馬鹿力か、男が物陰に吹っ飛ばされたのを確認したところで、ドンッと強い衝撃を背中に感じた。

「苗字さん!?」

蹴り上げていた足を勢いよく踏み下ろすことで転倒を防ぐ。

(響いてるよ、バカ)

急速に感覚を失っていく足でなんとか死角に体を隠すと、スマホを取り出して部下に電話をかける。コール音が始まる前に膝が崩れて座り込んだ。

『苗字さん!無事ですか!?』
「叫ぶな、響いてる」
『す、すみません』

冷静沈着な男が慌てる声をどこか遠くで聞きながら、名前は身をもって感じた弾道の入射角からスナイパーの位置を素早く計算する。

「西側の、ビル……5階より…たぶん、上」

肺を損傷したのか、急激に息苦しさが増す。込み上げるものを吐き出すと、地面が暗闇でもわかるほどの赤に染まった。

『すぐに突入させます!』

ご無事で、と祈るような声とともに通話が切れる。力の抜けた腕からスマホが落ちた。

(だから、響いてるって)

どこか他人事のように考えながら、下がった視線が胸元を染め上げる赤を捉える。遠ざかる意識に浮かんだのは、暗闇を照らすように輝く金色だった。


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