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苗字名前は美人だが、彼女の顔には欠点となるような特徴も、チャームポイントとして挙げられるような箇所もない。

「究極の美人とは、平均的で左右対称の顔立ちである」との研究結果に示されるように、彼女の容貌は一見して美人だとわかるものの、似顔絵にするには特徴に乏しく、言葉で他人に伝えるにも難しいものだった。

白い肌にアーモンド型の目、すっと通った細い鼻梁は世界的にも平均的で美しいとされている要素だ。それは彼女にも当てはまるが、「整いすぎて特徴がない」というのはなんとも皮肉である。しかし諜報活動においてはアドバンテージであるそれを、彼女は最大限に活用していた。

加えて、名前には「癖」がない。人間誰しも無意識のうちに癖を持つものだが、彼女は意図的に訓練することでそれを無くし、反対に変装時にはあえて「癖」を作ることでより人間らしいカバーを演出していた。「彼女のカバーはまるで別の人生を生きている本物の人間のようだ」―――同僚たちからの評価は、そこを強みと考えている名前にとっては最大の賛辞だった。




***




「婚約記念お披露目パーティー?」

ポアロに集まって束の間のティータイムを楽しむのは蘭と園子、コナン、名前の4人だ。名前は園子の言葉をオウム返しにして首を傾げた。

「山路製薬っていう会社の社長さんで、婚約記念のパーティーに招待されてて。私と蘭たちは行くんですけど、人数の制限もないし名前さんもどうですか?」

後で安室さんや梓さんも誘うんです、と続ける。

「次の土曜日だよね、えーと」

手帳を開いてスケジュールを確認した名前は、しかし次の瞬間へにゃりと眉尻を下げた。

「ごめん、ゼミの飲み会だー」
「えー!名前さんのドレス姿見たかったのにー!絶対綺麗なのにもったいない!」
「まあまあ園子、予定があるなら仕方ないよ」
「だってぇー」
「ご、ごめんね、うーん…」

飲み会、断れるかなあ、OBの先輩も来るしなあ……とウンウン唸りながら、くるくるとサイドの髪をいじる。

「名前さんごめんなさい、予定があるなら無理には…」

申し訳なさそうに言う蘭に、名前は慌てて「気にしないで、私も行けるなら行きたかったの」と両手を振った。

「パーティーならご飯も美味しいんだろうなあ」
「そーですよー、スイーツもきっと豪華ですよ! 次こそ絶対行きましょうね!」
「ふふ、うん。いつかのためにドレス買っとこうかな」
「それなら今度一緒に行きましょ!」

その後しばらく、思い出したように「名前さんのドレス姿…絶対いろんなイケメンが釣れたのに」とぼやく園子に、名前と蘭は顔を見合わせては苦笑するのだった。




***




『園子姉ちゃんからのお誘い、結構悩んだでしょ。名前さん、悩むとよく髪の毛いじるもんね』

帰宅後、コナンからのメールに「そんな癖があるなんて自分でも気付かなかったよ…さすがコナンくん!」とキラキラした絵文字付きで返信する。当然だと言わんばかりのドヤ顔を浮かべている彼を想像して笑みが漏れる。

「はい」

続いて着信を告げたのは、苗字名前名義のスマートフォンだった。

『例の件ですが、パートナーとして1895を手配しました』
「了解。先方との調整は任せるよ」

パーティーのパートナーとして手配されたのは、公安が管理する協力者の一人だ。大学病院の外科部長なら、製薬会社社長のパーティーに招待されていても違和感はないだろう。彼は40代前半の日本人男性であると記憶しているので、そのパートナーであるならそれに合わせたカバーを作らなければならない。

(30代前半で関係は恋人。ダークブラウンの髪を夜会巻きにしてドレスはボルドーのマーメイド、瞳は髪と同色、メイクは…ちょっとキツめで自信ありげに)

まず容姿の設定を組み立てると、衣装部屋にしている一室に向かう。

有事に備えて都内の至るところに変装道具の保管場所を持っている名前だが、自宅の衣装部屋はもはや専門店のような品揃えである。壁際のオープンクローゼットや部屋の大半を占める4列のハンガーラックには大量の衣装がギュウギュウに掛けられ、扉付きのクローゼットの中には箱に入ったウィッグや小物類が所狭しと並ぶ。
よく使う定番ものはトルソーやヘッドマネキンに掛けられており、室内にあるドレッサーも左右の棚や吊戸棚と組み合わせた立派なものだ。

名前はハンガーラックの隙間を縫うようにして進みながらウィッグやドレス、パンプスを手に取り、ドレッサーに一通りのコスメを並べる。その間、名前の脳内ではすでにパーティーで使う仮初の経歴が組み立てられていた。




***




ある日の深夜2時ごろ、ある捜査の指揮を執っていた名前は、ようやく自宅マンションに帰宅した。

静まり返ったエントランスを抜け、エレベーターで自室のある階へ向かう。ドア脇のリーダーにカードキーを通し、内開きのドアを開くとガンッと何かにぶつかった。ぐっぐっと押し込むようにして何とか体を滑り込ませると、玄関から廊下にかけて大柄な男が倒れ込んでいる。

「……」

パンプスの先で足をチョンチョンとつつくが反応がない。仕方なく空いているスペースにパンプスを脱ぎ、男をまたぐようにして部屋に入った。リビングに荷物を置き、さっとシャワーを浴びてから玄関の様子を見に行くが、うつ伏せに倒れた男が動いた様子はない。

男のそばにしゃがみ込み、顔を隠している髪を摘まんで持ち上げる。本来の輝きを失ったくたびれた金髪の下から、褐色の肌を持つ整った顔面が現れた。せっかくの美貌には隠し切れない疲れが滲んでおり、無防備に閉じられた瞼が彼の限界を伝えている。

「…う……」

形のいい眉がぎゅっと寄り、ピクッと震えた瞼の下からグレイッシュブルーの瞳がのぞく。

「………お邪魔してます……」
「はいよ」
「いま…何時ですか……」
「3時になったところ」
「…うわあ」

まじか…と呟きながらも動く様子のない降谷の頭をツンツンつつく。一体何時間前からここに倒れていたのか。

「お疲れのところ悪いけど、自分で動いてよー」
「はい……」

のそのそと起き上がると、靴を脱いでヨレヨレのジャケットを脱ぎ捨てる。歩きながらネクタイもぽとりと落とし、リビングを抜けて寝室のベッドに倒れ込んだ。

「子供かっ」

ツッコミながら脱け殻を拾い集め、リビングのソファに放る。器用にベッドの半分を空けて倒れ込んだ降谷に布団を掛け、残る半分に潜り込んだ。

降谷がポアロでのアルバイトを始めてどのくらい経っただろうか。ただでさえ忙しい身で、バイト時間を捻出するためにかなり無理をしているのだろうと察した名前は、「ん"ん"」という唸り声とともに抱き寄せられても特に拒みはしなかった。




***




降谷が「苗字名前」名義のマンションに訪れるようになったのは、ここ二・三年のことだ。ペースは数ヵ月に一回とさして多くはなく、降谷が身体的な限界を迎えている時に限られる。基本的にここを訪れる時はこの上なく疲れ切っているうえに、目が覚めたらすぐに出ていくことが多いので、ポアロの安室透ファンに刺されるような男女の関係はない。

同じ職場といえど年単位の長期潜入任務をこなしたことのない名前に、何年も安室やバーボンを演じてきた降谷にのし掛かる身体的・精神的な負担は推し量れない。うっかり同情してスペアのカードキーを渡したことを後悔することはあれど、取り上げて無かったことにするほどでもないと半ば諦めていた。

ベッドに入ってからきっかり三時間後、名前は部屋に漂ういい匂いに空腹を刺激されて目が覚めた。寝室を出ると、LDKのカウンターキッチンで降谷が朝食を準備している。目が覚めるともういないなんてこともザラなので、珍しいと思いながら声を掛けた。

「おはよう降谷くん」
「おはようございます。もう準備できますよ」
「時間大丈夫なの?」
「食べたらポアロです」
「うげえ」

昨日あれだけボロボロになっていて、翌日は本業でもない接客業だなんて、名前でなくとも遠慮したいところだ。起きてシャワーを浴びたのだろう、くすんだ金髪は本来の輝きを取り戻していた。

「おかげさまで結構寝られたので大丈夫です」
「寝たっていうか気絶だったけどね」

名前の指摘に「ですね」と苦笑いを浮かべる。
顔を洗ってダイニングテーブルに向かい合うと、今更ながら照れたような表情を浮かべる降谷が視界に入った。自分の失態を苦々しく思っているようにも見える。

「………昨日は、すみません」
「別にいいよ。今更だから」
「はあ…」

このやりとりももう何回目だろうか。

いただきます、と名前が食べ始めると降谷もそれに倣う。ガツガツとかきこむように食べる降谷を視界に入れながら、名前の箸も出汁巻き玉子と味噌汁を往復する。相変わらず男にしておくのがもったいないほど完璧な和朝食だった。


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