2-10


名前が負傷して一週間。降谷は彼女が入院する杯戸中央病院を訪れていた。容体が安定した名前は公安の圧力によるカルテの改竄がなされたうえで、今朝早くに通常の個室へと移されたらしい。退院まで顔を見られないと思っていた降谷にとって、これは朗報である。

楠田陸道の情報を集めるために元々ここを訪れるつもりでいた降谷は、この機に安室として彼女の様子を一目見ておきたいと思っていた。幸い、今日はベルモットの盗聴機もついていない。

たどり着いた彼女の個室のネームプレートには、聞いたことのない名前が記入されていた。部屋番号を確認した降谷が、その扉を開ける。



「―――あ」

降谷の視線の先では、体を起こした名前がググッと上半身を伸ばしながら、口をあくび終わりの「あ」の形に開けて静止していた。

そのまま数秒見つめ合う。
先に言葉を発したのは、名前の方だった。

「えーっと…やり直しを希望します」

ふっ、と降谷の口元が笑みを作る。

「リテイクはなしで」
「ですよね」




***




降谷はベッド脇に用意されたパイプ椅子には座らず、名前を見下ろして「体調はどうですか」と問う。すぐに出ていくつもりなのだろう。微笑むその表情は安室透だろうか。

「……おかげさまで、大丈夫です」

素顔で安室透に会うのはなにげに初めてでは?と距離感に悩んだ名前が無難に答える。すると彼はパチパチと目を瞬かせ、次いで得心したように頷いて個室を見渡した。彼がベッド下やキャビネットの中、テーブルの裏などを確認するのを名前は無言で見守る。5分程で終わったのか、今度はパイプ椅子に座った。

「大丈夫そうです。気付かずすみません」

この個室に移ったばかりの名前が、カメラや盗聴器を警戒している可能性を考えてくれたのだろう。

(ちょっと違うけど、まあいっか)

名前は彼がいつも通りの態度を望んでいるのだと察し、「ありがとう、安室くん」と返す。彼も満足そうに頷いた。

「わざわざ来てくれたの?」
「ええ、ちょうど用事もあったので」

安室透として病院に用事とは、探偵としてだろうか。それとも組織か。

「元気そうで安心しました」
「鎮痛剤も飲んでるし、割りといつも通りかも」
「本当にタフですよね」

口元に手をやって、安室が楽しげに笑う。いつもの安室と違って胡散臭さを感じない笑顔はちょっと心臓に悪い。名前は喉奥で「ぐぅ」と唸った。

「安室くんならもっと早く復活しそう」
「いやそんな、買いかぶりすぎです」

両手を振って苦笑する安室。なんだろう、安室だといちいち大きめのリアクションをしてくれるから、つい遊びたくなってウズウズしてしまう。顔を出しそうな悪戯心を押さえ込んで名前は耐えた。

「そういえば、用事は大丈夫なの?」
「ああ、そんな大したものではないんですが……元気そうな顔も見られたし、そろそろ行こうかな」

パイプ椅子から腰を浮かせた安室が、一瞬気遣うように名前を見た。一人にすることを躊躇っているのだろうか。

「私なら大丈夫だよ。殺しても死なないから」

これが最適解だと思った名前は笑って言った。彼も「いや死にかけたでしょ」とでも言って笑ってくれると思ったのだ。しかし、予想に反して彼の表情はくしゃりと歪んだ。

(え?)

一瞬にして安室透の仮面が剥がれた降谷が、泣きそうな顔で手を伸ばしてくる。

「安室く、……………いったーーい!!」

大きな体でぎゅっと抱き込まれる。これが無傷であったならさすがの名前も頬を赤らめでもしたかもしれないが、あいにく肺に風穴が空いたばかりの重傷だ。まだ抜糸も済んでいない。鎮痛剤を飲んでいても痛いものは痛い。

(…えっ無視!?)

思わず叫んだ名前にも反応を返さず、降谷は無言で抱き締め続けている。狙ってかはわからないが、傷が開かない程度に力を調節しているのだから厄介な男である。でもやっぱり痛い。

「ちょ、」
「……死なない人間なんていない」

距離がゼロになった耳元で、ふいに降谷が呟くように言う。

「え?」
「頼むから…」

また少し、きゅうっと腕の力が増す。痛い。

「頼むから、もっと自分を大切にしてくれ」

泣いているのかと思わせるほど、弱弱しい声だった。

「あなたがしたことは正しい。実際、あなたの行動で一人の命が救われた。同じ状況だったら、きっと僕も同じことをした」

ゆっくり、言い聞かせるように話す降谷に、名前は目を伏せる。実際同じ状況に置かれたら、彼は名前より上手くやっただろう。それでも彼の言葉に、どこかホッとしたような気持ちになる。

「……でも、嫌なんだ。あなたが傷つくのは」

彼らしくない言い分だった。彼女と同じ仕事に就き、国のために命を懸ける男のセリフとは思えなかった。

名前は広い背中に手を回し、右手であやすように優しくさすった。

「……子供扱いしてるだろ」

サラサラの金髪が、名前の肩にぐりぐりと押し付けられる。

「え?いや、一歳しか違わないし」

頬に当たる金髪がくすぐったい。名前は空いた左手でそれをそっと撫でてみた。柔らかい。

「じゃあ、弟扱いか」

顔を上げた降谷が言う。あからさまにムスッとした表情をしている。

「いや、うーん……」
「…なんだよ」

視線をさまよわせて悩む名前を、降谷はジト目で促した。

「弟でもないかなあ。可愛いなーとは思ったけど」

しっくりくる答えが見つからなかったのか、視線を降谷に戻した名前がそう返す。それを聞いた降谷はジッと名前を見つめたあと、体を離しながら脱力したように長いため息を吐いた。

「え、何」
「いや、もう……そういう人ですよね、あなたって」

わかってましたけど、と続ける降谷は、敬語にこそ戻ったものの険のある口調を隠そうともしない。

「あの…なんか呆れられてる?」
「ええ、正しく伝わったようでよかったです」
「………」

ニコリ、と思い出したように安室透の顔で笑う。もう、安室なのか降谷なのかはっきりして。名前は心の中でツッコんだ。


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