2-11


今度こそ安室をベッドから見送ろうと思った名前に、あろうことか彼はニッコリ笑って「あなたも一緒に行きましょう」と言い出した。

「はあ?」
「割りと元気そうですし、少し一緒に歩きませんか」

そう言う彼に悪びれた様子はない。さっき何か呆れさせたようだから、その仕返しだろうか。思わず「みみっちい」と零しそうになった口を閉ざし、名前は試しにベッドから降りてみる。

「いや、うん……。まあ、行けそうだけども」
「決まりですね」
「……」

このゴリラ、みんな自分と同じくらい頑丈だと思ってるんじゃなかろうか。少なくとも名前のことはタフで壊れにくい人間だとは思っていそうだ。私が傷付くのは嫌なんじゃなかったのか、と名前は遠い目をした。

「ちょっと待ってて」

名前がベッド横のキャビネットを開けると、マスクが一箱と数種類の伊達眼鏡が置かれている。部下だろうか。病室で変装のオンオフは難しいので、このくらいがありがたい。さすが優秀である。名前は野暮ったくならないハーフリムの眼鏡とマスクを装着し、安室に続いて病室を出た。

(あ)

廊下に出て、ふと振り返ると個室のネームプレートには聞いたこともない名前が記入されている。公安が用意した名前だろう。

(そういえば今日、名前呼ばれてない)

彼もよくわからない名前は呼びたくなかったのだろうか。そんなことを考えながら、名前はいつもよりゆっくり歩く安室に続いた。




***




「あれ?毛利先生じゃないですか!」

(おいー!これ絶対私ここにいちゃいけないやつー!)

安室が話しかけた相手を見て、名前は動きそうになった表情筋をグッと押し留めて心の中でツッコんだ。毛利の傍らにはコナンもいる。数歩分後ろで立ち止まった名前を気にも留めず、安室は続ける。

「どこか具合でも悪いんですか?」
「ちょっと女房がな…お前はなんでここに?」
「知り合いが入院していると聞いて、お見舞いに来たんです」

言いながら、安室が背後の名前を手のひらで示す。名前はとりあえずペコリと会釈するが、内心は穏やかでない。

(仕返しにしてはリスク高すぎない?君そんな子じゃなかったじゃん?仕事とプライベートは分けるタイプじゃん?)

名前は必死で混乱を押し隠していた。

安室が示した先にマスクと眼鏡をした病衣姿の女を見つけ、毛利は会釈を返しながら「おっ綺麗なお姉さん!」と鼻の下を伸ばした。目ざとすぎである。

「おいっお前の彼女か?」

コソコソ話しかける毛利に、「違いますよ…」と安室が苦笑しているのが見える。困るなら連れてくるなと言いたいが、ここはとことん存在を消して大人しくしていようと名前は決めた。

チラッと視線を下げると、コナンは安室を見て驚愕の表情を浮かべている。バーボンがいることに驚いているのだとは思うが、それにしても焦りすぎだろう。名前が思わず目を眇めるが、余裕がなさそうな彼は気付きもしない。

「今はちょっと別の知り合いを探していまして…。コナン君は前にもここに来た事があるって看護師さん達が言ってたけど…」

安室はそんなコナンに向けて言葉を続ける。

「知ってるかな?楠田陸道って男…」
「誰?それ…知らないよ?」

途端に焦りを隠して子供らしい表情を貼り付けたコナンに、事情を知らない名前でさえピンとくる。安室は「ホントに知らないかい?」と念を押すように問うが、彼は自信たっぷりに肯定した。

案の定、「知らない」と言う前に対象の特徴を尋ねなかったことを安室に指摘され、唖然とするコナン。しかも安室はそれを「君はすごいよ!名前だけで知らない人と確信できるんだから」と褒めてみせたのだから、コナンにしてみれば居心地の悪いことこの上ないだろう。

(くすだりくみち)

名前は口の中でその名を転がす。何度か繰り返すが聞いたことはなさそうだ。

「ガキの言う事を真に受けるなよ…。会った事があっても名前を知らない奴はザラにいるし、アダ名とかでしか知らない奴もいるからよ」

毛利からコナンへの思いがけないフォローが入ったところで、エレベーターを待つ子供がチン、という到着音とともに声を上げた。

「ゼロー!」
「!」

(えっ)

ゼロという単語にわかりやすく反応した安室を、名前はコナンとは違った驚きをもって見つめた。喋っていいなら今すぐ「反応しすぎだから!」と裏拳でツッコミを入れたいところである。

もちろん安室を注視していたコナンはその反応を目撃しているし、「子供の頃ゼロというアダ名だった」と毛利に説明する安室を観察するような目でジッと見つめている。これはよくない流れだ。そう判断した名前は、仕方なく安室に話しかける。

「安室くん」
「!はい」
「私そろそろ病室に戻るね、お見舞いありがとう」
「……そうですか、お大事にしてくださいね」

コナンの視線が、突然視界に入り込んだ名前に移る。毛利が「もうお戻りですか!?全然話してないのに〜」と体をくねらせると、ピンと張っていた空気が緩むのを感じる。

「ちゃんとご挨拶もできずにごめんなさい。それじゃ、失礼します」

再度会釈をしてその場を立ち去る。その背中にコナンの視線を感じるが、「バーボンの知り合いの女」を気にしているのか、それとも。

(いやほんと、なんで私ここにいるんだろう)

病室に戻った途端、勝手に歩き回っていたことを般若顔の看護師長に怒られる名前だった。解せぬ。


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