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辺り一面の炎、立ち上る黒煙、仲間の無事を確かめる声、頼りない放水の音―――

名前はこめかみに涙が伝うのを感じ、浅い眠りから覚醒した。こめかみを乱暴に擦ってカーテンを捲れば、まだ朝日すら昇っていない。

部下を含め数人が死傷したサミット会場の爆破事件だが、死んだ捜査官が公安の人間である以上、彼らの死は事件解決まで両親にすら伝わらない。そしてその後行われる葬儀に、名前は上司として参列することはできないだろう。それが彼らの常だった。

苗字名義のスマホを取り出した名前がアプリを起動する。降谷の現在地を拡大しながら確認すると、そこには公衆電話が設置されていることがわかる。すぐにイヤホンを装着した彼女の耳に、案の定降谷の声が聞こえてきた。

『例の件はどうなってる?』

できれば風見も声も拾いたいと、名前は音量を最大まで上げる。

『…2291を……手筈に…』
『わかった』

(2291…協力者か)

公安警察の協力者はすべてゼロによって管理されている。それでも登庁してデータベースを確認することすらできない今の名前には、それがどんな人物なのかわからなかった。

『……降谷さ…』
『なんだ』
『爆……現場で苗字さんに……ました』

不意に出た自分の名前に、名前は現場に駆け付けた時のことを思い出す。降谷は無言で続きを促している。

『部下の安否……わからな…中、怪我の心配を……くださって……無事…よかったと』
『そうか』

短いが、少し柔らかくなった降谷の声音を聞いて名前は目を閉じる。

『……強い方です』
『ああ…そうだな』

ふと、伏せた瞼に光が当たるのを感じ、名前はカーテンの隙間から空を見上げた。日が昇り始めている。彼も今、この光景を眺めているのだろうか。鮮烈な朝焼けを、名前はその目に焼き付けた。




***




「名前さん…! 来てくれてありがとうございます」

偽苗字に姿を変えた名前が妃弁護士事務所を訪れると、蘭が出迎えてくれる。父親が突然逮捕されたというのに、彼女は周囲に心配をかけないよう気丈に振る舞っていた。

「ううん、私なら時間はいくらでもあるから気にしないで。なんでも手伝うし、遠慮せずに言ってね!」
「ありがとうございます、名前さん」

蘭の両手を包み込むようにして言うと、彼女は疲れた顔を少し綻ばせた。

「そういえば、コナンくんは今どこに?」
「阿笠博士のところに行くって言ってましたよ」

博士がすごいドローンを作ったと哀からメールが来ていたし、独自で現場検証でもしているのだろうか。阿笠邸から盗聴器を引き上げてしまったことが悔やまれる。

(あ、そうだ)

探偵事務所の家宅捜索に出向いたのは風見だと聞いている。降谷なら、コナンの動きを把握できるよう何らかの仕掛けを施しているのではないだろうか。

「ごめん、ちょっとお手洗いお借りしていい?」
「あっ、はい。案内しますね」

蘭に案内してもらったトイレの個室で、名前は苗字名義のスマホを取り出した。アプリを起動してイヤホンを装着すると、運よくコナンや哀の話し声が聞こえてきた。

(ペンライトの盗聴器が音声を拾えるとなると、盗聴というより盗撮…?スマホに遠隔操作アプリでも仕込んだかな)

なんにせよこれは僥倖だ。名前は耳を澄ませて彼らの会話の把握に努めた。

『IoT圧力ポット?』
『圧力ポットの他にフライパンやお鍋や食器類も散乱してたから、爆発した場所は施設内にある飲食店の厨房だったようね』

部下との通話が途切れた時、彼は一階にある飲食店に立ち入ろうとしていたはず。彼が連れていた部下に重傷者はいるものの、その場にいた人間で死亡したのは彼だけだった。先行する形で店内に入り、入口付近でその身に爆発を受けたのだろうか。

『なんだよ!爆弾じゃなかったのかよ!』

哀が見つけた情報が思うようなものでなかったためか、コナンが感情的になる。それを阿笠が宥めるが、名前はふと気付いた違和感に眉根を寄せていた。

(……どうして今、IoT圧力ポットが爆発物じゃないと決め付けられたんだろう?)

コナンや阿笠はまだしも、哀は普段から料理をしているはずだ。彼女はあまり圧力鍋は使わないのだろうか。

(誤った使用や構造上の欠陥によるものがほとんどだけど、圧力鍋による爆発事故や火災は少なくない)

それをスマホで遠隔操作できるIoT家電なんて、遠隔地からの起爆装置としてはうってつけではないだろうか。現場にはガスが充満していたというし、その方法さえ明らかになれば―――

『小五郎のおっちゃんが、送検された!』
「!」

(すでに送検されてたのか)

先程名前に向かって笑顔を見せてくれた蘭だったが、その時すでに毛利は送検されていたらしい。それを押し隠していたとは、本当に健気な少女だ。

(なんとかしてあげたいけど、無力だなあ)

苗字名前として立ち回れない以上、今の自分にできることはほとんどない。イヤホンを外し、名前は事務所に戻った。




***




その弁護士が現れたのと、コナンが事務所に戻るのはほぼ同時だった。

「私、橘境子に「眠りの小五郎」を弁護させてください!」

短い髪に丸眼鏡をかけたその弁護士は、これまでも公安事件を数多く扱ってきたという。ただしその勝敗は全敗で、それを聞いた蘭の顔があからさまに歪む。

(公安事件で弁護側が勝つのは確かに絶望的な確率だけど…)

それにしても、弁護士が負けて当然のような態度でいいのだろうか。やらせてくださいと意気込むわりに、あまりやる気は見えなかった。


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