4-13
「なんかこの光景、デジャブだなあ」
降谷の左腕の手当をしながら、名前が言った。
「確かに」
以前腕に怪我をしたバーボンを拾い、彼女のマンションで手当をした時も確か左腕ではなかったか。
「こっちの腕呪われてない?」
「やめてくださいよ」
ふふ、と笑いながら名前が楽しそうに包帯を巻く。
「これで私のマンションだったら完全に前の再現だったね」
そう、今回は降谷のマンションだ。あまりこっちには帰ってこないというわりに、救急箱の中身もバッチリ揃っているし本当にマメな男である。
「よし、できた。シャワー浴びるならラップ巻く?」
「あー…でも多分、これからまた出るので」
「え?ああ、後処理?」
風見くん優秀だし任せればいいのに、と名前が言うと、部下を褒められて嬉しいのか降谷がふっと笑った。
「じゃ、私帰るね」
「ありがとうございました」
玄関まで降谷が見送ってくれるが、そこで降谷のスマホが着信を告げた。噂をすれば風見だろう。降谷はすぐ通話に出た。
名前に向かって手を振りながら、降谷がリビングへと戻っていく。名前もそれに振り返してドアを向いたところで、ふと考えた。
(自ら行ったハニトラには自らカタをつけとくか……)
ちょっと違うが、公安警察の鉄則である。
名前が後ろを振り向くと、リビングで立ったままの降谷はまだ通話中だ。二人の間にはソファとローテーブルがあり、それを越えたとしても彼の歩幅で五歩分はあるだろうか。
そこまで目測で計算した名前は、後ろ手で玄関ドアの鍵を開けた。
その音が聞こえたのだろう。通話中の降谷が視線だけでこちらを見る。その彼にちゃんと見えるよう、名前は音を出さずに唇を動かした。
( 好きだよ )
それを見た降谷が目を丸くしたのを確認してから、名前はサッと彼に背を向ける。鍵を開けておいた玄関ドアのドアノブを握り、内開きのそれを素早く引いた。
ッダーーン!
「ヒッ」
引いたはずのドアが音を立てて閉まる。目の前にある褐色の大きな手を見て名前は戦慄した。
(えっ速…!?今足音二歩分くらいしか聞こえ…いやむしろソファもあったし、えっ、跳ん…?えっ?ていうか電話は?)
一瞬のうちに閉まったドアと、背中に覆いかぶさるようにして感じる体温に名前は混乱していた。降谷が吐いた長いため息が首筋にかかって肩がビクリと跳ねる。
「……名前さん」
「ハイッ」
言い逃げが失敗に終わった名前は、耳元で聞こえた低い声に思わずビシッと姿勢を正す。
「やっぱり、帰しません」
熱っぽく囁かれた言葉に、名前はぞくりと背中を這い上がるものを感じていた。
***
カーテンの隙間から朝日が差し込む頃。
パチリと目を開いた名前は、目の前に広がる褐色の壁に一瞬考え込んだ。
(……あ。あー、そうだった)
目の前は褐色だし、自分は肌色…今はうすだいだいか?ちょっと寝起きで頭が回らないがそういうことだ。思い出した。ついでに一緒にシャワーも浴びたんだった。
「…名前さん?」
掠れた声が聞こえ、彼女のつむじにふっと息がかかる。くすぐったい。ゴロッと彼女を仰向けにした降谷がぼんやりとそれを見下ろし、キスを一つ落としてそのままベッドを抜け出した。
「朝食、用意してきます」
言いながら、クローゼットから出したジャージをサッと着込んで寝室を出て行ってしまう。完全に目が冴えた名前もそれに続くことにして、「服適当に借りるね」と声をかけた。
しっかり抱き潰されたのに数時間後には自然と目が覚め、体にだるさ一つ残っていない。仕事柄お互いタフすぎる二人に、事後の余韻などありはしなかった。
「なんか手伝う?」
「…前も思いましたけど、僕のジャージを着た名前さんっていいですね」
「は?」
ジャージの裾や袖を折って着ている名前を、降谷がしげしげと眺めている。
「どうしたの?おっさんくさいよ」
「舞い上がってるんですかね」
「聞かれても」
結局朝食の準備は手伝わせてもらえず、ただ美味しいご飯を食べるだけの、いつも通りの朝だった。
「ごちそうさまでしたー」
「お粗末様でした」
食器を片付けようと立ち上がったところで、降谷のスマホが着信を知らせる。画面に出ているのは風見の名前だ。名前に断って降谷が通話に出ると、数回相槌を打った降谷がちらりと彼女を見た。
「?」
「いや、僕はこれからポアロだから、苗字さんに行ってもらう。…ああ、頼んだぞ」
通話を切った降谷が、改めて名前と視線を合わせる。
「…どうかした?」
「名前さん」
一度言葉を切り、小さく息を吐いてから彼は告げた。
「キュラソーが目を覚ましました」
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