4-15


受付で香典を渡し、焼香だけ済ませて葬儀場を後にしたのは変装済みの名前だ。

暗めの茶髪を一つに縛り、切れ長の目元にはスクエアフレームの黒縁眼鏡をかけている。これは、亡くなった部下と初めて仕事をした時に彼女が演じていたカバーの姿だ。公安の仕事以外は基本的に変装が必須の彼女だが、馴染みのない姿では死んだ部下に気付いてもらえないかもと、今回はこの姿を選んでいた。

彼女の足が向かう先には白いRX-7が停まっている。助手席に乗り込むと、運転席の降谷が「おかえりなさい」と声をかけた。

「ただいま。ありがとね、付き合ってくれて」
「いえ」

短く答えて、降谷は車を発進させる。

「この後は?」
「別件が色々詰まってるから、着替えたらまた出るよ」
「そうですか」

優秀な部下を亡くしたのは、いろんな意味で痛かった。後任こそ決まってはいるものの、彼が仕事に慣れるにはまだまだ時間がかかるだろう。それだけゼロとの仕事は特殊なのだ。

「そういえば、キュラソーの件はありがとうございました」
「ううん」

キュラソーから得た組織の情報は、今降谷が慎重に裏を取っている最中だ。裏が取れ次第、彼はより深く組織に潜ることになるだろう。

「彼女が私にしか話さないって言った時はビックリしたけど」
「本当に」

降谷が苦笑する。

キュラソーは約束通り、自身の知る情報を全て開示してくれた。ただし「直接の開示は苗字名前にのみ」という条件付きで。名指しされた人間がゼロなのだから公安的にはなんの問題もないし、彼女自身も「何か問題が?」という態度だった。ただ、この案件に名前を関わらせるつもりのなかった降谷にとっては嫌な条件だっただろう。

おかげで、名前は組織の内情にずいぶん詳しくなってしまった。

「彼女の友達としては、嬉しい信頼だけどね」
「僕は嬉しくないです」
「まあまあ。直接出張るつもりはないんだから」
「当然です」

思いがけず情報を得た名前だが、この案件に直接首を突っ込むつもりはない。降谷が協力を求めていないというのももちろんだが、今更潜るには遅すぎるというのもある。彼女の得意分野は諜報なので、そこが生かせないのなら無闇に近づくべきではないだろう。

(降谷くんが自分の力でカタをつけたがってるのも、よくわかってる)

長年組織と関わる中で浅からぬ因縁もあるのだろうし、彼の手で終わらせられるならそれが一番いい。

そんなことをつらつらと考えていたら、名前のマンションまではあっという間だった。その辺の路肩にでも寄せるのかと思った名前だったが、意外にも彼が停めたのはマンションの駐車場だ。

「寄ってくの?」
「いや、時間はないんですが」

降谷が一瞬言い淀む。

「…一目でいいから、素顔のあなたに会いたくて」

照れたように頬を掻く彼に、名前は思わずウッと心臓を押さえた。なにこれかわいい。

「わ、わかった。じゃあちゃっちゃと行こうか」

結局本当に時間はなかったらしく、ウィッグを取ってメイクを落とした名前に掠めるだけのキスをして彼は去っていった。どうも、変装中の名前には手を出す気にならないらしい。それもそうかと彼女は納得した。




***




シャワーを浴びて、ソファに座った名前が取り出したのは偽苗字名義のスマートフォンだ。警視庁の駐車場で日下部検事を蹴り飛ばしてから、コナンからは探るようなメールが何通か届いていた。

『名前さんってバイクの免許持ってる?』
『はくちょうのカプセルが落ちた時、名前さんはどこにいたの?』
『今度沖矢さんと三人でお茶会でもどうかな』

(三通目怖いぞ三通目)

メールには返信していないし、あれからポアロにも行っていない。そろそろ焦れている頃だろうか。ただメールや電話で追及してこない辺り、変なところで律儀というかなんというか。記録が残るのを警戒しているだけかもしれないが。

(本当はもう一歩踏み込むために、私の弱みでも掴んでおきたいんだろうけど)

残念ながら、名前に弱みと呼べる弱みはない。家族はいないし、友達だって今はキュラソーだけだ。降谷はゴリラなので彼女の弱みにはなり得ない。所属が知られることも、それでクビになるわけじゃないので掴むネタとしてはちょっと弱い。

(しょうがないから、こちらから仕掛けてあげますか)

名前だって、彼らとの取引はしておきたいのだ。それにもう彼らからの追及を悠長に待っている時間はない。

『お茶会のお誘い、ありがとう』

メールを作成しながら、名前は降谷との会話を思い出していた。

(直接出張るつもりはない。……うん、今のところ嘘は言ってない)

彼に嘘はなるべくつきたくないが、残念ながら嘘も隠し事も彼女の得意分野だ。それが必要なら躊躇いはしない。

『日時が決まったら、また連絡くれる?』

(これが本当のギスギスしたお茶会……なんてね)


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