5-1


彼女との約束の時間が迫る中、コナンは落ち着かない様子で工藤邸のリビングをウロウロしていた。

「まあ落ち着け、ボウヤ。焦っても仕方がない」

声をかけるのは、沖矢に変装した赤井秀一だ。

「……結局、何も決め手が見つからなかった」

ガシガシと頭を掻くコナンには悔しそうな表情が浮かんでいる。

「彼女が敵でないのは確かなんだ。目的を見誤ってはいけない」

二人の目的。それは彼女が信用するに足る人物なのかをはっきりさせ、最終的には味方に引き入れることだ。

偽苗字名前と苗字名前が同一人物だというのは、二人の中でほぼ確定している。ただ彼女がそれを認めるとは思えないコナンは、交渉の切り札にできるカードを手に入れておきたかった。

だが、それを約束の日時までに見つけることはついにできなかった。

「経歴から見ても、彼女は生粋の諜報員だからな。そう易々と弱みを掴ませてはくれないだろう」
「……赤井さんは、あの人が味方になってくれると思う?」
「降谷くんの件もある。それに立場上、全面協力というのは難しいだろうな」
「だよね…」

もし公安警察のゼロが味方してくれるのなら、こんなに心強いこともないのだが。

どちらにせよ、まずは彼女の真意を引き出さなくては。
どうしてコナンに近づいたのか、どうして阿笠邸に盗聴器を仕掛けていたのか―――その理由と目的が知りたい。そして、今までの偽苗字名前は完全に偽物だったのか。彼女を友人と認識していたからこそ、コナンは明らかにしておきたかった。

コナンがグッと拳を握り締めたところで、工藤邸のインターホンが来客を知らせた。

「! 来た」
「俺が行こう」

赤井が首元の変声機のスイッチを押し、玄関に向かう。

「こんにちはー」

すぐに名前の声が聞こえてきた。コナンの表情に緊張が走るが、すぐに現れると思った二人がなかなか現れない。

(…?どうしたんだ?)

「沖矢さん?」

リビングで待っていたコナンが玄関に向かう。

「あ、コナンくん」

確かに、そこに彼女と沖矢はいた。

しかしコナンは、動いている彼女・・・・・・・を見るのは初めてだった。

「……え?」

にっこり人好きのする笑顔を浮かべ、彼女はコナンを見つめている。


「………苗字名前、さん」


黒髪黒目の整った容貌。黒いスーツとトレンチコートに身を包んで、ゼロの彼女はそこに立っていた。




***




「あ、これ美味しい。さすが、お母様がイギリス人なだけありますね」
「知っていたか」
「秘密でした?」
「いや」

コナンとは表向き初対面のはずの彼女は、工藤邸のリビングで優雅に紅茶を楽しんでいる。そして彼女が談笑している相手は赤井秀一だ。

――今日はお招きいただきありがとう。コナンくん、赤井さん。

偽苗字名前の声をやめた彼女は、開口一番そう言った。

思わず絶句したコナンだったが、赤井はどこかで察していたらしい。彼は特段驚く様子もなく、あっさり沖矢の変装をやめた。それだけ彼女の能力を認めていたということかもしれない。

そして今は、なぜか当初の予定通りお茶会の真っ最中だ。

コートを脱いだ彼女は、ソファに姿勢よく腰掛けて赤井の淹れた紅茶を口に運んでいる。赤井も気を張っている様子はなく、コナンは完全に出鼻をくじかれた気分だった。

「それより、その姿で出歩いていいのか」
「え?」
「あまりに君の目撃情報が得られないから、普段から変装しているんだと思っていたが」

赤井の指摘に、彼女は正解だとあっさり認めた。

「ただ今日は表向きお仕事なので。今も何も知らない部下が近くで待ってますよ」

彼女はさらっと言うが、これは彼女を無理に引き留めることも、害することもできないという牽制だ。コナンは思わず緩みかけていた気を引き締めた。

「……苗字さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「どうぞ?」

意を決して話しかけたコナンに、彼女はにこやかに視線を向ける。コナンは彼女の一挙手一投足を見逃さないよう視線を鋭くした。

「阿笠博士の家に盗聴器をつけてたの?」
「え、そんなのつけてたかな」
「…それを回収したよね?」
「記憶にないなあ」
「盗聴の目的は?」
「話が見えないよ」
「……灰原には、何か吹き込んだの?」
「お友達に“吹き込む”だなんて」
「じゃあボクに近づいた目的は?」
「仲良くなるのに理由が必要?」
「…トロピカルランドで出会ったのは本当に偶然?」
「えっ、もしかして人をストーカー扱いしてる?」

ショックだなあ…と眉尻を下げて悲しげにする彼女に、コナンは苛立っていた。

(この人、最初から真面目に答えるつもりなんてない)

飄々とした表情からは何も読み取れないし、馬鹿にされているような気さえする。これでは駆け引きどころの話じゃない。

コナンの表情に何を思ったか、彼女はカップを置いてコナンに向き直った。

「ねえコナンくん。コナンくんは、私が組織側の人間だと思ってる?」
「……思ってないよ」
「そこは疑わずにいてくれるんだね、ありがとう」

そう言って微笑む姿すら、今のコナンには裏があるようにしか見えない。彼女は「知ってるかな」と前置きした。

「人間ってね、訓練次第で瞳孔の開き具合も汗の量もコントロールできるの。脈拍や体温さえもね。……それができる人間と駆け引きしようなんて、不毛だと思わない?」

笑顔で言いながら、彼女はすっと目を細める。相手の力量を見誤るなと言わんばかりの冷たい眼差しに、コナンは背筋に冷や汗が伝うのを感じた。

「私の正体はもう明らかだし、組織との繋がりもない。君たちに危害を加えるつもりがないのも、これまでの言動でわかってくれてるんじゃないかな」
「……うん」
「じゃあ駆け引きはやめて、もう少し建設的な話をしよう」

会話の主導権は、完全に彼女が握っている。赤井は二人のやりとりを静観しているし、今は彼女の言う「話」に耳を傾けるしかなさそうだ。コナンは苦い感情を押し隠して頷いた。


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