5-2


コナンに向けた厳しい目つきを引っ込めた彼女は、再び口元に笑みを乗せて二人に向けて話し始めた。

「キュラソーが警察病院に入院しているのはご存知ですね」
「ああ」
「うん、知ってるよ」

意識のない彼女が救急車に運び込まれるのを見ていたコナンにとって、その行き先が警察病院であることは明白だ。

「では、ずっと意識不明だった彼女が最近目を覚ましたことは?」
「! そうなの!?」

コナンは思わず身を乗り出す。彼女は警視庁に侵入して逃げ果せるほどの人物だ。組織の幹部として、かなり重要な位置にいたのではないかとコナンは目していた。

「彼女は組織のNo.2であるラムの腹心。彼女の知り得るすべての情報を、公安はすでに手にしています」

彼女の言葉に、コナンは全身がぶわっと粟立つのを感じていた。その情報が欲しい。赤井ですら、彼女の言葉に驚いているのがわかる。

「現在降谷が裏取り中ですが、進捗状況を見るに概ね相違はないでしょう。裏が取れたら、彼は組織に刃を振るうためにより一層深く潜ることになる」

息を呑んで見つめる二人に、彼女はふっと笑いかけてみせた。

「そんな時に、あなたたちの助力が得られたらと思ってここに来たんですが」
「…ボクたちに、その情報を開示するつもりがあるってこと?」

逸る気持ちを抑え、コナンは静かに問いかけた。

「取引をしましょう」

彼女はコナンの質問に直接は答えず、ニッコリ笑って二人を見る。

「取引?」
「二人には私の要求を飲んでもらいます」
「拒否したら?」
「お渡しする情報の質と量が変わります」

彼女の笑みは崩れない。

「俺が君に無理矢理吐かせるとは思わないのか?」

赤井の物騒な問いかけにすら、彼女は微笑んだままだった。

「武闘派ではないので、痛いことはやめてくれると助かります」

(……よく言うぜ)

コナンの脳裏には、彼女が日下部検事に叩き込んだ痛烈なミドルキックが思い起こされていた。




***




彼女の要求は至ってシンプルだった。

まず赤井に対しては、FBIとしてでなく赤井個人として動くことを求めた。

「何故だ」
「単純に、FBI捜査官の質を低く見積もっているからです」

あんまりな言い草に、赤井の眉間にわずかな皺が寄る。

「以前、キャメル捜査官に偽苗字名前を尾行させましたよね」
「え?」

思わずコナンが声を上げ、そんなことしてたの?と書かれた顔で赤井を見た。

「残念ながら大変お粗末なものでした。諜報の心得がない人間は、あの組織には近づけない方がいい」

感情的になりやすいジョディ捜査官も同様です、と彼女は続ける。同僚が組織に潜入している以上、足を引っ張りかねない人間は遠ざけておきたいのだろう。

「なるほど」
「不快に思われたなら謝ります」
「いや、結構。元からそのつもりではいたからな」

納得した様子の赤井は、彼女の要求を受け入れるようだ。

「次にコナンくん。君には二つの要求があります」
「…聞かせてくれる?」

一体どんな要求が来るのかと、コナンは居住まいを正して彼女の言葉を待った。

「まず一つ。君は一切表に出ないこと」
「え?」
「君の頭脳は高く評価してるの。でも君はあくまで高校生、まだ未成年だから」
「!」

さらっと言われた言葉に、コナンが思わず硬直する。

「あ、言ってなかったかな。知ってるよ、工藤新一くん」
「いっ、いつから!?」

コナンの問いに彼女はニッコリ笑った。あっこれ答えてくれないやつだ。コナンは彼女のやり方が少しわかってきていた。

「ともかく、未成年の君が最前線で動くことは立場上容認できません。これまでいろんな捜査に首を突っ込んできたみたいだけど、それって本来なら彼ら警察官を処分しなきゃいけないようなことなの」

君に捜査情報をペラペラ喋っちゃう警官もいるみたいだし。ぼそっと続けられた言葉に、コナンはギュッと身を縮こまらせる。

「大人の立場も、理解してくれる?」
「……わかったよ」

どうやらコナンは司令塔的な立場でいればいいらしい。関わるなと言われたわけではないのだからと、彼は諦めてそれを受け入れることにした。

「二つ目は?」
「私の協力者になってくれない?」

公安の協力者。コナンはつい最近、その存在に触れたばかりだ。

「協力者って、羽場二三一や橘境子弁護士みたいな?」
「うん」
「えっと、それは…」
「もちろん未成年を番号で管理するような真似はしないよ」

彼女が言うには、推理が必要な状況や暗号の解読などで協力が得られればそれでいいのだそうだ。

「それだけ?」
「うん。それ以上のことは何も求めてないよ。もちろん、捜査への介入もね」
「…はは」

コナンが二つ目の要求も承諾すると、彼女は「ありがとう」と目を細めた。

「ちなみに、もう何度か手伝ってもらってるけどね」
「え?」
「リアル推理ゲームに誘ってその中に本物の暗号を紛れ込ませたり、知り合いのミステリー作家のプロットと称して実際の事件のトリックを解かせたり。あとは―――」
「も、もういいよ!わかった!わかったから!」

淀みなく話す彼女をコナンは慌てて止めた。全然気が付かなかった。マジかよ。




***




二人に組織の情報をもたらした後、「後のことには私は関わらないので」と言ってさっさと立ち上がった彼女を、二人で玄関まで見送る。

「ねえ。苗字、さんは……」
「ふふ、名前でいいよ」
「……名前さんはさ、どうしてここまでするの?」

自分で関わるつもりはないらしい彼女が、二人の助力を得るためと言ってここまで来た本当の理由はなんなのだろう。どうせ答えはもらえないだろうと思いつつ、コナンは聞いた。

「安室…降谷さんはさ、名前さんに関わってほしくないんでしょ?っていうことは、ここに来たのって名前さんの独断だよね」
「まあ、そうなるね」
「降谷さんが知ったら怒るんじゃない?」

彼女は「怒ると思うよ」とあっさり認めた。

「でも、それより大事な目的があるし」
「目的?」
「降谷零が生きて帰ってくること。それが私の唯一の願いだから」

微笑んだままさらりと言う名前にコナンは瞠目した。

(え、二人ってもしかして……)

コナンの隣で、赤井がふっと小さく笑う。

「やっぱり君は恐ろしい人だな。敵でなくて本当によかった」

赤井の賛辞に、名前は殊更自信ありげに笑ってみせた。

「目的のためなら手段を選ばないところ、褒めてくれたのは赤井さんじゃないですか」
「人間らしさを隠すのが上手すぎる。彼の方がよっぽど人間味があったぞ」
「わ、また褒められちゃった」
「いや、今のは褒めてねーだろ…」

コナンのツッコミをスルーして、「じゃあ行きますね」と彼女がドアに向き直る。

「あ、ちなみに」
「?」
「私が時間までに戻らなかったら、協力者がここでの音声を全部降谷くんに転送してくれることになってました。だからなんにも心配してませんでしたよ」

最後にニッコリ笑いかけて彼女が去っていく。隣で赤井が本格的に笑い始めたのを聞きながら、コナンはしばらく立ち尽くしていた。

(結局、知りたかったこと全然答えてもらえてねーし……)


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