5-3


二人とのお茶会を終えた名前は、待機していた部下の車で自宅マンションへと戻った。車を降り、無人のエントランスを通り抜けながら思考を巡らせる。

(首尾は上々かな)

元々彼らに情報を渡すつもりでいた名前だったが、取引という形にすることでFBIの組織的介入やコナンの無茶も制限できたし、なによりコナンという優秀な協力者を獲得できた。

(コナンくんの獲得は当初からの目的だったし。満足満足)

トロピカルランドでの接触も阿笠邸の盗聴器も、全てはここに至るためのものだったのだから感慨も一入だ。もちろん盗聴器の発覚という痛恨のミスに繋がる質問は全て受け流したが。自分のヘマ言いたくない。

自宅に帰ってきた名前は、聞こえてきた水音で先客の存在に気付いた。

「あれ、来てたんだ」
「お邪魔してます」

LDKに顔を出すと、キッチンで何やら作業をしているらしい降谷がジャージャーと水音を立てている。洗面所で手を洗ってからそこへ向かうと、シンクには鍋や調理道具などの洗い物が積まれていた。

首を傾げつつ冷蔵庫を開けた名前の目に、これまた大量のタッパーが飛び込んでくる。「筑前煮」「ごぼうサラダ」「牛肉のしぐれ煮」などご丁寧にも付箋が貼られているようだ。

「これどうしたの?」
「当分の間の作り置き惣菜です」

その言葉に色々察した名前は、飲み物を入れたグラスを傾けながら問いかけた。

「裏、取れたんだ」
「ええ」

スポンジでお玉を洗う降谷が淡々と話す。

「しばらく霞が関には近づきません」
「うん」
「ポアロもさっき辞めてきました」
「そっか」

潜る準備は早々に片付いたようだ。

「先程風見にも伝えましたが、これから当分連絡も取れなくなります」
「うん」

飲み物を飲みながら、名前は手際よく洗い物を終えていく降谷の手元をなんとなく眺めていた。

キュッと音を立てて蛇口の水を止めた降谷が、タオルで手を拭きながらこちらを見る。

「それで、名前さんに話したいことがあって来たんです」
「うん。なんでも聞くよ」

タオルを置き、こちらに数歩距離を詰めた降谷が真剣な表情で口を開いた。

「帰ってきたら…」
「あ、ストップ」

手のひらで制した名前に、降谷が「え?」と目を瞬かせる。聞いてくれるんじゃなかったのか。

「帰ってきてからの話なら、帰ってきてから聞くよ」

名前はふっと笑って言う。死亡フラグっぽいものは全力でへし折っておきたい。むしろ立てさせない。今のはちょっとフラグっぽかった、と直感で判断した名前だった。

「……なるほど」

彼女につられたように、降谷も柔らかく笑った。

「それなら」
「わっ」

(ちょ、なぜファイヤーマンズキャリー?)

唐突に抱え上げられ、名前は肺の中の空気をぐえっと吐き出す。手に持っていたグラスは降谷がキッチンに避難させたようだ。素早い。

男性が女性を運ぶ時ってお姫様抱っこが定番ではなかっただろうか?なぜ自分は今自宅内で消防士搬送されているのだろうか…?一瞬遠い目をしかけたが、ベッドにぼすんと落とされて思考が途切れた。

微笑みながら彼女を見下ろす降谷の顔は、いつもと違ってどこか硬い。

「…時間いっぱい、甘えさせてもらっていいですか」

その頬に手を伸ばしながら、名前は下りてくる唇を受け止めた。




***




「僕がいない間、この部屋に男上げちゃダメですよ」

服を着ながら、どこか不満げな顔で降谷が言う。

「上げないよ…」
「行くのもダメです」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
「伸ばさない」
「はい」

口うるさい男である。

「あと、風邪引いても栄養ドリンクだけとかやめてくださいね」
「わかったから、お母さん」
「は?」
「ごめんなさい」

降谷はため息をついて、「何かあったら風見を使ってくれていいですから」と言った。その優しさを彼にも分けてあげてほしいものだ。ベッドで一人ゴロゴロしながら、彼女はこれから忙殺されるであろう真面目な彼を思った。

準備ができたのだろう。彼が名前の髪や顔に啄むようなキスを落としていく。名前はそれを受け入れながら口を開いた。

「…待ってるからね」

至近距離で名前と目を合わせながら、その言葉を聞いた降谷の眦が柔らかく下がった。食むように唇を重ね、彼女の柔らかいそれを堪能する。やがて名残惜しそうに離れた彼が、胸焼けするほど甘ったるい笑顔で言う。


「必ず、あなたのもとに帰ってきます」



パタンと閉じたドアを見やってから、名前は鼻先まで布団にもぐりこんだ。

(…これで、私が彼らにできることはなくなった)

ここからは彼らの戦いだ。

もし降谷に危険が迫ったとしても、組織への切り札を得た赤井やコナンが、彼に悟られないよう手助けをしてくれることだろう。

もちろん彼が気付いて赤井との因縁の対決が始まってしまうかもしれないが、そこまでは彼女の与り知るところではない。

(降谷くんが生きて帰ってくればそれでいい)

彼女が願うのは、ただそれだけだった。


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