電力需給の逼迫により切実な節電が叫ばれている今夏。名前のいるリビングはエアコンの設定温度が25度、実際の室温は決して涼しいとは言えない28度できっちりキープされている。
 少し動けば汗ばむし、色んな意欲が削がれていく。その上室温を管理している本人が猛烈な勢いでトレーニングに励んでいるせいで、体感温度ならぬ視覚温度が高止まりしている状況をなんとかしてほしいと名前は思った。要するに暑苦しい。
 名前はソファにごろんと横たわったまま、上半身裸でトレーニングに勤しむ男に視線を向けた。

「ねえ、零くん」
「ん?」

 青い目がこちらを向くが、降谷がスクワットを止める様子はない。

「前はよく河川敷でトレーニングしてたじゃん。室内じゃ物足りなくない?」
「さすがに今は暑いからな」
「職場なら器具も揃ってそうだし」
「貴重な休みにも職場へ行けって?」
「いやぁ……」
「それにこれは自重トレーニングだから、器具も広いスペースも必要ないよ」

 そこまできっちり論破されたらもう「そっか」と返さざるを得ない。
 それに休日までトレーニングを欠かさず家事も手を抜かない降谷と、暑さと体力不足を理由に省エネモードで終日ゴロゴロしてる名前、どちらが自宅カーストで上位かは一目瞭然である。ここは大人しく冷感ボディシートでスッとしとこ。
 重い腰を上げて自室に戻った名前は、パッケージに「極冷」と大きくプリントされたボディシートで腕や首筋を拭き上げた。ちなみにメンズ用のどぎついやつなので、いつもは慎重に使うのだが。

「ひぇっ」

 ボーっとしていてうっかり拭きすぎてしまった。一歩動くだけで、拭いた部分がすうっと冷たくなる。というか冷たいを通り越してもはや寒い。

「ひー…!」

 動く、寒い、動く、寒い。地獄のループを生み出してしまった。完全な自業自得だが、今となってはパッケージの「持続力アップ!」の文字が恨めしい。

「全部零くんのせいだ〜……」

 我ながら理不尽である。
 そして強い清涼感になんとか慣れた頃、リビングでは降谷がトレーニングを終えたところだった。滴る汗をタオルで拭う姿はカメラを探したくなるほどに男前なのだが、今は逆恨みの気持ちの方が強い。
 新しく取り出したボディシートを手に、名前はいたって自然に降谷へと近付いた。

「名前?」

 降谷が名前の接近に気付く。狙うは一筋の汗が伝う、彫刻のように整った褐色の腹筋だ。
 敵意なく近付いた名前が手を差し出すのを、降谷は不思議そうな表情で見つめていた。

「? どうし、んっ」

 筋肉がピクっと強ばるのをシート越しに感じると同時、二人の間に沈黙が落ちる。

「………」
「……え、なに今の」

 えっろ。
 思わず下品な呟きが出てしまった。

「いや何をしてるんだ君は……って寒っ」

 ドン引きした表情で一歩下がった降谷が、腹筋を襲う強烈な清涼感に声を上げる。咄嗟に拭かれた場所を押さえたようだが、その程度で誤魔化せない寒さなのは先程身をもって実証済みだ。いや、そんなことより。

「ね、今のもう一回やらせて」
「はあ…?暑さでついにおかしくなったか」
「暑いってわかってるなら温度下げてよ」
「節電に協力してるだけだろ。言っておくが僕を追い出そうとしても無駄だし、除湿してるから不快指数はむしろ低い方だぞ」

 追い出そうとしたの普通にバレてた。
 名前が一歩踏み込めば、すかさず降谷も一歩下がる。が、壁際に押し込まれないよう微妙に角度をつけてくるあたり相手が一枚も二枚も上手である。

「もう一回だけ!ね、ちょっとだけ!」
「おっさん臭い発言をやめろ」
「いいじゃん、お願い〜」
「それを持ってにじり寄ってくるな」

 じり…じり…とお互いの間合いを保って睨み合う。なんだこれ。
 しかし現職の警察官に、体力も膂力もない名前が敵うはずもなく。

「……君がそういうつもりなら、僕ももう容赦はしない」
「え、なにそのガチっぽいセリフ―――」

 言い終わるより早く、瞬きの間に降谷が肉薄する。

「えっ?ちょっと待っ、あっ」

 何もできないうちにシートを奪われ、あっさり体を拘束され、そして―――

「うそうそ冗談だってあー!」

 容赦しないという宣言通りに全身くまなく拭き上げられ、名前が再び凍える羽目になったのは言うまでもない。



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