※プラス作品(Twitter)再掲
※名前変換なし



▼松田陣平の場合

「隠してること、全部吐けや」

 這うような低い声には、その筋の人間かと思うほどの迫力があった。

「……隠してること?」
「まどろっこしいのは嫌いなんだよ。さっさと吐け」

 責めるような口調に、思わずビクリと肩が跳ねる。元から口も態度も悪い男だけど、今日は随分と不機嫌だ。

「スマホばっか気にしやがって。そのくせやたらと気ィ遣ってくんのはなんだ?ご機嫌取りか」
「そんなつもりじゃ」
「じゃあなんだよ」
「それは……」

 口ごもれば深い溜息が一つ。

「言っとくけど、別れるつもりはねぇからな」

 思いがけない言葉に「え?」と間抜けな声が出た。そして訪れる長めの沈黙。聞けば、どうやら私は浮気を疑われていたらしい。

 「違うの」と慌てて説明したのは数日前に知らされた父の大病だ。手術予定日は今日。遠く離れた田舎にすぐ帰れるはずもなく、心配させるのが嫌で陣平にも話せなかった。
 それから気を遣っているというのは、緊急出動続きで疲れた様子の陣平に甲斐甲斐しく世話を焼いたことを言っているのだろうか。それだって父のように彼が倒れてしまったらと思うと、気遣わずにはいられなかったからだ。

「そういうことかよ……」

 くせ毛をくしゃりと握り潰して、安心したように、それでいて苦々しげに陣平が呟く。

「お前な、一人で溜め込んでんじゃねーよ。俺がなんのためにいるかちったぁ考えろ」
「わっ」

 次にくしゃくしゃと掻き回されたのは私の髪だ。

「それから……悪かった、疑って」

 気まずそうな表情に肩の力が抜ける。
 スマホが着信を告げたのはその時だった。知らされたのは父の手術の成功。安堵の涙を流す私の頭を、大きな手が今度こそ優しく撫でてくれる。

「で?どうしたいんだよ」

 言ってみろ、と青みがかった瞳が真摯に見つめてくる。

「お前がしたいこと、全部叶えてやるからよ」

 私が、したいこと―――

「お父さんに、会いたい…っ」

 しゃくり上げながら答えれば、「おう」とぶっきらぼうな返事が返ってきた。

「お前、明日明後日休み取れよ」
「え?」
「俺も取るから」
「え、仕事は」
「ハギがどうにかすんだろ」

 まさか一緒に行ってくれるのだろうか。

「娘さんは俺に任せてください、とか言っとけば安心すんじゃねーの、親父さんも」

 きょとんと目を瞬かせて、その光景を想像する。

「ふ…っ、あははっ」
「何笑ってんだオメー」
「だって、似合わない…っ」

 あ?と凄まれても全然怖くない。不安もすっかり吹き飛んでしまった。
 頼もしい言葉の数々にどれだけ支えられているのか、きっとこの男は知らないのだ。





▼降谷零の場合

「僕はそんなに頼りないか」

 言われた意味がわからず、私は灰青色の瞳を見つめ返した。

「スマホを手放さず、急に優しくなる。浮気を疑われる人間の典型行動だ」
「う、浮気?そんなこと」
「いや、君の場合元々優しいから、いつもより気を遣われている気がする……という表現が正しいか。ただし食や服の嗜好にも外出頻度にも変化はなし。スマホだって、連絡を待ちわびているというよりは恐れているようにも見える。そしてふとした瞬間に見せる不安そうな表情。それらを鑑みた結果、誰か君の大切な人が予断を許さない状況なんじゃないかと思ったんだけど……」

 そこで一度言葉を切って、彼は「違っていたら、不謹慎な想像だから忘れてくれ」と続けた。
 少し前に知った父の大病。彼も私も仕事ばかりで一緒にいた時間は短いのに、まさかそこまで見抜かれてしまうなんて。
 三徹明けの顔色の悪さを見れば倒れた父が脳裏をよぎって普段より気遣いたくもなるし、遠く離れた田舎で今まさに手術中の父を思えば不安にもなる。忙しい彼に心配をかけたくなくて黙っていたこともお見通しのようで、どうして言わなかったのかと責められることはなかった。代わりに「よく話してくれた。ありがとう」と頭をポンポン撫でられ、「僕にできることは?」なんて優しく聞かれて口ごもってしまう。
 わがままは言いたくない。でも―――

「今日は夜まで一緒にいてほしいな、なんて……」

 ちらりと見やったスマホは沈黙したままだ。手術の結果がわかる時、できれば一緒にいてほしい。そう思ってお願いすれば、「君は欲がないな」と苦笑されてしまった。もっとわがままを言ってもよかったらしい。
 そしてその日は本当に夜まで一緒にいてくれて、手術の成功を知って安堵した私を抱き締めて眠ってくれた。朝起きたらもういなかったけれど、そこはまあいつも通りなので慣れたものだ。

 そして週末、お見舞いのために帰省する私を彼が見送りに来てくれた。
 「これ、よかったら向こうで出しておいてくれないか」と差し出されたのはよくある茶封筒。なんだろうと覗き込めば、茶色で印字された書類が見えた。これ、テレビや雑誌で見たことある。これをここで大っぴらに開くのはまずいと思いつつも、指先が勝手に限界まで書類を広げていく。
 ―――夫になる人、降谷零。

「会いに行くならいい報告ができた方がいいと思って。……いや、むしろ悪化させるかな」

 顔を上げれば苦笑しながら頬を掻く姿が見える。

「もちろん君が嫌なら……」

 続く言葉を遮るように、その胸の中に飛び込んだ。


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