※プラス作品(Twitter)再掲
※一人称視点・名前変換なし



▼降谷

 「お昼ご飯できたよ」と言いに行こうとして、私はふと聞こえたそれに耳を澄ませた。

「パパッパ パッパッパ……」

 歌声と表現していいのか一瞬迷う「パ」の連続。それでもそのメロディは聞き覚えがありすぎるもので、(パジャ〇でおじゃま!?)と目を丸くしてリビングを覗き込む。
 長座布団に横たわる我が子を覗き込み、誰もが知るそれを口ずさんでいるのはもちろん夫だ。「ジャマジャマ」と合いの手を打ちたいのを堪えて様子を窺っていると、歌い終わった彼が私に気付いて「見られたか」と小さく笑った。「見ちゃった」と近付けば、小さな手足がパタパタと歌の続きを催促している。

「破裂音に興味を引かれるのか、いい子に聴いてくれるんだ」
「可愛いね」
「そうだな」
「この子もだけど、零くんも」

 その返しに目を瞬かせて、彼は「まいったな」と照れくさそうに笑う。

「思ったより浮かれてるみたいだ」

 灰青色の目を細めて見つめるのは、小さな手にぎゅうっと掴まれた褐色の指先だ。その光景があまりにも幸せに満ちていて、「家族ってすごいね」としみじみ呟く。彼は「ああ」と返してから私の髪に唇を落とした。

「僕と生きてくれてありがとう」

 顔を上げると、今度は唇同士が触れ合った。

「もう少ししたら、こういうこともできなくなるね」
「目撃されるようなヘマはしないさ」
「ふふ、なにそれ」
「でもまあ、そうだな。今のうちにたくさんしておこう」

 ここに何をしに来たのか私が思い出すまで、あと数分。





▼松田

 テレビ前に設置した木製のベビーゲート。それを掴んで楽しげに揺れる小さな体の隣で、くせ毛の男が一緒にテレビを眺めている。

「すげぇよな、このじいさん。中身還暦なんだろ」
「中身とか還暦とか言わない」
「歌って踊れて絵心あって未だに現役とか半端ねーわ……」

 なんだかすごくリスペクトを感じる。画面の中では白と緑の着ぐるみが軽快に跳ねまわりながら、「ワン〇ンだよ〜!」と特徴的な声で子供たちに語りかけていた。
 「陣平のキャラじゃ無理があるんじゃない?」と私が言えば「やりたいとは言ってねぇだろ」と返ってくる。なんだ、やりたいのかと思った。
 ツンツンと肩をつつき、振り返った陣平の口に小さめのクッキーを放り込む。ちゃんと大人用に焼いたやつだ。一瞬動きを止めた陣平だったが、もぐもぐ咀嚼してから「うめぇ」と小さく呟いた。

「禁煙、頑張ってくれてありがとね」

 妊娠がわかってから煙草を減らした陣平。ここしばらくは吸っている姿を見ていない。
 子供にバレないよう小声で「口寂しいでしょ、もっと食べる?」と聞いた私に、彼は「いや」と首を振った。そう、と答える前に唇を塞がれて瞠目する。

「こっちの方がいい」

 甘い囁きにキュンと胸を高鳴らせ―――る前に慌てて陣平の背後を覗き込む。そしてテレビに夢中な背中を確認して胸を撫で下ろす私に、彼は「お前な……」と呆れたように呟いた。





▼萩原

 誰もが知る朝と夕方の子供向け番組。番組終盤の体操が終わると同時に、体操を完コピしてみせた研二くんが「どーよ!」とドヤ顔で振り向いた。
 二人並んで「すご〜い」と拍手する私と娘。得意げな顔をへにゃっと崩した彼が「おいおい、なんでママと一緒に見学してんだよ。一緒にやらなきゃダメだろー?」と娘に向けてこちょこちょ攻撃を繰り出した。
 そしてひとしきり叫んで笑った娘が逃げ出した後で、腰や首をポキポキ言わせながら私に近付いてくる。

「いやー、久しぶりにあんな動いたわ」
「格好良かったよ、研二くん」
「体操のお兄さんできそうじゃね?俺」

 できるできると頷きつつ、「ママ達のアイドルになっちゃうね」と言うと彼は「よっしゃ」と拳を握る。

「あーでも、もう独り占めされる幸せを知っちまったからなぁ……」

 芝居がかった仕草で肩を抱いてきた彼に「もう独り占めはできないよ」と軽く返せば、垂れ目がちな目が「え?」と瞬いた。そしてその視線が下に向き、服の裾をちょんちょんと引く小さな手に頬を緩ませる。

「ふふ、二人占めっていうのかな」
「なるほど、確かに」
「こっちの方が幸せでしょ?」

 まーな、と頷いた彼が、肩を抱いたまま私の耳に口を近づけてくる。

「でも夜は独り占めしてくれんだろ?」

 返事を待たず、手を引かれて離れていく研二くん。(またそんなことばっかり言って)と内心呆れるが、頬がじわりと熱を持ったのはきっと気のせいじゃない。





▼諸伏

 仕事が忙しく、家にいないことも多い彼。それでも、いる時は家事も育児も私以上に働き者だ。歯磨きの仕上げ磨き係も必ず買って出てくれて、「仕上げはお父さーん」と歌う声が聴こえてくると自然に頬が緩んでしまう。
 その日の夜は早めに子供を寝かしつけた後、彼が少し眠そうにいるのに気が付いた。昨夜は職場で寝泊まりしたらしいし、疲れが溜まっているに違いない。
 「ヒロくん」と呼べば「ん?」と爽やかな笑顔を向けてくれるが、それで誤魔化される私ではない。ラグに正座して膝をぽんぽん、「こっち来て」と強めに言って強制膝枕だ。

「早めに寝てって言ってもどうせ寝ないから、ここでちょっと休憩ね」

 そう言うと彼は「せっかく一緒にいられるのにもったいなくて」と苦笑しつつ、抵抗することなく膝に寝転んだ。

「あ、待って。こっち向きにしよ」

 え?と目を丸くする彼に構わず向きを変えさせ、仕上げ磨きのような体勢に。さすがに歯ブラシはないが、歌を口ずさみつつ頬や顎に触れればなんとなくそれっぽい雰囲気になった。
 顎髭のチクチクした手触りが楽しくてふふっと笑う。すると下から手が伸びてきて、両頬をそっと包み込む。「あのさ……誘ってるわけじゃないんだよな?」なんて、困ったような笑顔で言われて固まってしまう。それから「交代しようか」と意味深に呟かれて、(見るのは口の中だけですか?)と身構えてしまったのは言うまでもない。



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