16. 花笑みに触れる



「この人がヒロさん?爽やかー」

 名前が指差したのは、小さな画面で降谷と並んで笑う黒髪の少年だ。

「ああ。これはわりと最近かな」
「夏服だもんね。学ランいいねぇ、男子高校生!って感じで」
「そうか?中高と学ランだから代わり映えしなくて」
「いいじゃん〜〜〜」

 青春っぽい、と頬を緩ませる名前に、降谷は呆れたように笑った。
 昨日名前が森から回収した携帯電話は通話もメールもGPSも使えなかったが、名前のそれと充電器の規格が同じだったことは幸いだった。後日時間を取ってしっかり調べようと書斎のパソコンにバックアップを取り、その後は必然的にカメラロール鑑賞会開催の運びである。ヒロ、もとい諸伏も降谷と同じく警察官を目指していること、それから彼の兄が現役の警察官であることも、降谷の解説でこの時知った。
 正直、森の中心部に入って五分で後悔した名前だったが、死に物狂いで頑張った甲斐があるというものだ。多分半年分は走った。

「わ、何これ。ヴァンパイア?」
「具体的に言えばドラキュラ伯爵。秋にやる文化祭の出し物で……って、あんまりじっくり見るなよ」
「やだ。じっくり見る〜」
「おい」

 手に持った携帯を取られないよう体ごとそっぽを向き、宣言通りじっくりと画面を眺めた。
 先の尖った黒い爪や牙も、裏地が真っ赤なマントコートも、エキゾチックな容姿の彼におそろしく似合っている。カチカチとボタンを押して次へ進めば、続けて現れたのは人に撮られたらしい全身写真に、振り向きざまのどアップ。これ学校内にファンクラブがあったら売買されそう、と名前は下世話なことを思った。

「こら、いい加減にしろ」
「あ」

 背後から伸びてきた褐色の手が、容赦なくそれを抜き取っていく。
 もっと見たかったのに、と拗ねる名前に降谷がスッと携帯を向けた。続いて響くカシャッというシャッター音。

「え、なにいまの」
「ふはっ」
「撮った?しかも笑った?ダブルで失礼」

 せめてツーショットにして!と横っ腹にタックルし、くっついた状態でほら、と促す。が、なぜか撮る気配のない降谷に、名前は再び携帯を奪ってインカメラを起動した。

「ほら、カメラ見てよ」

 ほらほらと急かすが、画面に映る降谷は顔を逸らしたままカメラを見てくれない。結局、名前一人がにっこり笑った謎ツーショが誕生してしまった。不完全燃焼。

「もー、ちゃんとカメラ目線してよ。もう一回撮るよ?」
「……近いんだよ」
「痛っ」

 ズビシ、と頭頂部からいい音が鳴った。なぜチョップ。




***




 砂利の隙間から逞しく生えている雑草を引き抜き、草を集めて作った山に放る。その作業を無心で繰り返していれば、日除けにかぶった帽子の下で一筋の汗が頬を伝った。

「短期間で結構生えるもんだね」
「まあ、こっちは根から枯らしてないからな」
「あー」

 二人がいるのは家の正面、一面に砂利の敷かれた空間だ。庭と言うには殺風景すぎるが、一応前庭ということになるのだろうか。術式を使って簡単に雑草の除去ができた裏庭とは違い、砂利の間に枯れ葉が入ると取り除きにくいという理由から、こちらは手作業で抜くしか方法がなかった。

「零くんが来るまでは生やし放題だったから、これでも綺麗な方だけどね」
「確かに」

 降谷が小さく笑う。名前一人では戸建ての管理は難しく、わりと荒れ放題だったこの家。降谷が来てからは見違えるように“普通の家”だ。
 これが終われば冷たい麦茶とおやつが待っている。冷凍庫のあずきバーを思って名前がペースを速めたところで、敷地の真正面から「うわっ」という声が聞こえてきた。

「マジで男いるじゃん」
「かーちゃんが言ってた通りだわ」
「……!」

 そこにいたのは名前と同年代の男子三名。もっと言えば小学校時代の元クラスメイト達だ。名前が術式で傷付けてしまったリーダー格の少年もいる。その姿を認めて、名前は帽子のツバを掴んでパッと俯いた。
 ショッピングモールでも図書館でも、彼らとは出くわさないよう気を付けていたというのに、どうしてここに。

「あーそっか。ここ親いないんだっけ」
「死んだじゃん、中学上がる前」
「じゃあ二人っきり?やっべ」
「親いないと連れ込めんのかー。うらやま」

 親がいないことを連呼され、名前は目線をさらに落とした。親がいないなんて今更だ。両親が事故で死んだのは小六の終わり、名前が学校に行かなくなって一年後のことだった。
 対向車線にはみ出してきたトラックと衝突し、父がいた運転席は見る影もなくぺしゃんこ。一瞬意識を飛ばした名前が気付いた時には、後部座席の母が顔を赤く染めて呻いていた。胸から下は押し込まれたシートに潰されていて、助けようがないのは名前にだってすぐにわかった。それでも助けたかった。助けを呼ぶために外に出ようとした。しかし、その手を瀕死とは思えないほどの力で掴んだのは母自身だった。お母さん、と呼ぶ名前の声はすでに届かず、彼女が呼ぶのは愛する夫の名前だけ。「助けて」と縋る掠れた声と、ギリギリと締め付けられる手首の痛みは今もよく覚えている。

 はあ、と目の前から溜息が聞こえる。無意識に手首に触れていた名前は、ハッとして顔を上げた。そうだ、このままでは降谷に迷惑をかけてしまう。

「零くん、先に戻って、」
「なあ、君達暇なのか?」

 小声で話しかけた名前を遮るように、降谷が声を上げた。その視線は少年たちに向けられている。そして「は?」と訝しげな彼らを見て立ち上がると、砂利を踏みしめながらゆっくりと近付いた。
 驚いたのは、降谷が近付くごとに彼らの目が見開かれていき、そして彼を見上げたまま全員揃ってぽかんと口を開けていたことだ。なるほど、その身長差は10cm以上、下手したら20cm近い。ストイックに鍛えた降谷の体は数字以上に大きく見えたことだろう。

「暇なら手伝ってくれ。お茶くらいは出すよ」

 そう言いながらキャップのツバを上げると、Tシャツから覗く前腕の筋肉が強調される。名前はなんだか彼らがかわいそうになってきた。

「……や、やんねーよ……」
「暇じゃねーし……」
「い、行こ」

 戸惑いを隠さず立ち去る少年たちを見送ってから、降谷は何事もなかったかのように戻ってくる。巻き込んだことを謝らなくてはと、名前は立ち上がって降谷に向き合った。

「あの……零くん」
「別に、まともにやり合わなくたっていいんだ。逃げてもいい」
「え?」
「僕は口も手も出るタイプだから、次は容赦しないけど」

 そう言って降谷は悪戯っぽく笑う。その笑顔があまりに柔らかくて、名前は喉がぎゅっと詰まったように言葉が出なくなった。どうして彼はこんなに優しくしてくれるんだろう。いつも欲しい言葉をくれるんだろう。こんな風に守られてしまったら、憧れずにはいられないのに。
 名前は目線を落とすとゆっくりと息を吸い、それから意を決したように口を開いた。

「……あのね、零くん。私、」
「まだ何か用か?」

 え、と目を瞬かせた名前だったが、降谷の視線が敷地外に向いているのがわかってそれを追う。するとそこには一人、リーダー格の少年だけが戻ってきていた。塀の隣に佇む彼は、気まずそうに視線を彷徨わせてから口を開く。

「……そいつと話したいんだけど。二人で」

 そいつ、とは名前のことだ。降谷がわかりやすく眉根を寄せるのが見えて、名前はそのTシャツの裾を引っ張った。

「零くん、私なら大丈夫だから」

 気遣わしげな視線が名前を見下ろしてくる。大丈夫、ともう一度言い聞かせるように言えば、降谷は仕方ないと言わんばかりに溜息をこぼした。

「何かあったら呼んでくれ」

 すれ違いざまに小さく呟いて、降谷が家の中へと戻っていく。それを見届けてから、名前は少年のもとに近付いた。

「あの……話って、なに?」
「……あのさ」

 少年は言いにくそうにモゴモゴ言い淀んでから、突然ガバッと勢いよく頭を下げた。

「あの頃はごめん」
「え?」
「ユーレイ女とか呼んでて……ほんとごめん」

 名前は目を丸くしてその姿を見ていた。そういえばさっき、降谷との二人暮らしをからかう声に彼は混ざっていなかったような。

「……急にどうしたの?」

 思わず問いかけた名前に、少年は頭を上げると後頭部をガリガリ掻いた。

「あー、えっと、俺、小六の時インフルで40度以上の熱出して、肺炎まで起こして死ぬとこだったんだ」
「それは……大変だったね?」

 なぜ今その話?そう思いながらも一応定型文で返す。その前年に肝試しで怪我を負っているわけだし、二年連続で災難ではある。怪我をさせたのは名前だが。

「そしたら変なのが見えるようになって」
「え」
「どこ出掛けてもいるんだ、気色悪いやつ。……特に人が多いとこ」

 確かに、臨死体験を経て呪いが見えるようになることもあると言うが。

「周りには言えなかった」
「……うん」
「こんなの、小さい頃から見えてたらそりゃ言っちまうよな。あれ何、これ何って」
「……」
「苗字も大変だったんだろうなって、思って」
「うん……」

 まさかこんな風にいたわられることになるとは思わず、名前はどこか信じられない気持ちで相槌を打っていた。

「肝試しの時もなんか見えた?」

 その質問に、名前はあの日彼の後ろにいた呪霊の姿を思い起こす。たしかボコボコ動く水泡に覆われた、なかなかにグロテスクな見た目の個体だったはず。

「……後ろに、一体」
「後ろって俺の?」
「うん」

 名前が肯定すると、少年はげぇっと嫌そうに顔を歪めた。

「じゃあさ、あの木って」
「あ、それは私。……あの、ごめんね」

 名前の術式で伸びた木は寸分違わず呪霊の頭部を吹っ飛ばしたが、その余波で彼の顔にまで傷をつけてしまった。それは否定しようもない事実だ。

「それってもしかして、助けようとしてくれた、とか?」
「……」

 恩を売って許してもらうのは違う。そう思った名前が沈黙すると、彼はまた困ったように後頭部を掻いた。

「あのさ、小さい傷でギャーギャー騒いでごめんな。もう傷も残ってねーし、気にしなくていいから」

 たしかに、彼の頬にあの時の傷跡はない。

「ありがとな」

 照れ臭そうに言う彼に、名前の視界がじわりと滲む。

「ずっと言いたかったんだ。でも、なんか勇気が出なかったっつーか……ごめん」
「……ううん、来てくれてありがとう」
「あのさ、二学期から学校来いよ。あいつらとか親とか、俺が黙らせるし」

 え、と名前が目を瞬かせる。さすがにその申し出は意外だった。

「あー、でも中三の夏にいきなり復帰はきついか」
「勉強はしてるから、そこは多分大丈夫だけど……」
「マジで?すげーな」

 春からは東京の学校に通うのだと話すと、彼は「マジで?すげぇ」と感心したように繰り返した。
 気持ちはありがたいが、さすがに今更中学に通うつもりはない。大事な時期に波風立てられる受験生たちも不憫だろう。でもこうして話せたのは、よかったと思う。

 手を振りながら去っていく少年を見送ってから、知らず力が入っていた肩を揉みほぐしつつ玄関の引き戸を開ける。

「あー緊張した……うぁっ」

 玄関の上がり框に降谷が腰掛けていて、思わず変な声が出た。

「なんだ変な声出して」
「えへ……ごめん」

 へらりと笑って誤魔化し、なんとなくその隣に腰掛ける。名前が呼んだらすぐに出て行くつもりで待っていてくれたのだろう。そう思えば胸がほわりと温かくなった。

「お疲れ」
「うん。ちゃんとね、話せたよ」

 事情を知らない降谷が何も聞いてこないこともありがたい。さっきは戻ってきた少年に出鼻をくじかれてしまったので、改めてちゃんと話さなくては。
 そう考えてまた少し緊張した名前の頭に、大きな手がぽすんと乗る。優しく労るように髪を撫でられ、名前は目を丸くして驚いた。降谷にとっては三回目でも、名前にとっては初めてのことである。
 呆気に取られて固まる名前に「ん?」と首を傾げてから、降谷はハッとして勢いよく手を引いた。

「ごめん」
「え、ううん」

 つい、寂しくなった頭に触れる。気まずそうに視線を逸らす降谷を見て、じわじわとこみ上げるものがある。

「……ふふ、なんか嬉し」

 なんだか距離感警察に勝利した気分だ。降谷にまた一歩近付けたような気がして、名前はとろけるように頬を緩ませた。
 そしてそんな名前を見て困ったように頬を掻きつつ、「そうか」とぶっきらぼうに返す降谷。どう見ても照れている姿に名前は再び破顔した。だめだ、かわいい。


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