*01. 春眠の埋葬虫



 バン、バン、とチープな銃声が辺りに反響する。着弾の衝撃に身を震わせた呪霊から大輪の蓮の花が咲き誇り、その直後、呪力を失って萎んだ身体とともに霧散する。
 背後に現れた別の個体に向かって身を捩れば、捻りに合わせて旋回した脚がその頭部をぐしゃりと蹴り飛ばした。

「っし、旋風脚成功ー」

 雰囲気にそぐわないゆるい呟きを聞く者はいない。動画を見ながら練習した蹴り技、初成功である。
 周囲をぐるりと見渡すが、辺りに呪霊の気配はない。と、別の場所からドォンという衝突音が聞こえて振り向いた。

(あっちは確か……)

 木々の間を縫うように走り、途切れた場所を飛び降りる。コンクリート擁壁を背に立つのは峠道だ。ガードレールの向こう、崖の下から土煙が上がっているのが見える。少し離れているが、ギリギリ帳の範囲内ではある。

「よいしょ」

 軽い掛け声とともにガードレールを飛び越え、崖の下へ。途中、少し開けた場所に出たところで地面にガリガリと自分の名前を書き、使った木の枝をぶすりと突き刺して再び走る。強化した足で木の幹を駆け上がり、木から木へと獣のように跳んで、やがて見えてきた光景に大きく跳躍した。ザッと着地するのに合わせて呪力を流し込めば、伸びた草に串刺しにされた呪霊が勢いよく宙に浮く。ギィギィと耳障りな叫びを無視して向けるのは銃口だ。蓮の花を咲かせた呪霊が霧散するのを確認して、背後で尻もちをついている同級生を振り返った。

「無事? 灰原くん」
「名前ちゃん!」

 助かったぁ、と息を吐きながら灰原が立ち上がる。

「さっきの呪霊、術式と相性最悪でさ」
「ああ、そういう時用の呪具があると便利だよ。今度先生に相談しよ」
「なるほど! うん、そうするよ!」

 顔に擦り傷を作った灰原は、拳を握り締めて意気込んだ。それから名前の手元に視線を向ける。

「名前ちゃんのそれもいい感じだね」
「これ? ふふ、だいぶ慣れてきた」
「夏油さんがゲーセンで獲ったやつだっけ」
「うん、エアソフトガン」

 名前がそう言って撫でたのは黒い銃身だ。BB弾を射出できる遊戯用の銃だが、機構やマガジンを徹底的にいじってしまったのでもうエアガンとしては使えない。撃ち出すのは種子だし名前の呪力操作がなければ射出すらできないという、もはや名前以外の人にとっては無用の長物とも言える代物である。欲しいと言った名前に夏油が獲ってくれたものだが、アームとの相性が悪すぎて筐体を蹴飛ばしかけていた五条の姿まで思い出してしまうので、ちょっと封印しておきたい記憶でもある。

「ね、お巡りさんみたい?」
「ううん、別に!」

 刑事よろしく構えてみたのにあっさり切り捨てられた。素で辛辣。

「誰も来ないと思ったら……呑気にお喋りですか」
「あ、七海!」

 ポーズを決める名前の背後から現れたのはもう一人の同級生、七海建斗だ。色素の薄いサラストヘアの下で、二人を見て呆れたように眉根を寄せている。

「七海くんの方も終わったんだ」
「ええ。集合場所に行ったら名前さんの名前だけ書いてあって、誰もいないようだったので」
「あっ、そうだった、忘れてた」

 名前が名前を書いたあの場所は、それぞれの担当分が終わったら集合しようと決めていた場所だ。ついでに到着順で賭けもしていた。

「でもこれで一番乗りは私だよね」
「だね! リクエストは?」
「んー、どら焼きで」

 にっこり笑って賞品を集れば、灰原も「了解!」といい笑顔で親指を立ててくれる。

「名前ちゃん、本当にどら焼き好きだよね」
「どら焼きっていうかあんこが好きなんだけど。もしかしたら前世ドラえもんだった可能性が……うそうそ普通に冗談だからその顔やめて七海くん」

 この男、すぐ蔑んだ目を向けてくる。

「ハァ……約束は約束です」
「僕ら負けたもんね!」

 潔い二人を見て名前はさらに笑みを深めた。これまでの傾向からしてきっと灰原はコンビニの定番どら焼き、七海は和菓子屋さんのちょっとお高めのやつだ。どちらも美味しいが、ホットケーキミックスで作ったちょっと素朴な味のそれが時々無性に食べたくなるのは贅沢だろうか。

(自分で作るとなんか違うんだよなぁ)

 どのレシピで作っていたのか、聞いておけばよかった。




***




 その年の夏、名前と七海、灰原の一年生三人組は沖縄にいた。もちろん任務でだ。二年生の星漿体護衛任務をサポートする形で、占拠されるおそれのある那覇空港を死守せよとの指示だった。

「どう考えても一年に務まる任務じゃない」
「そう? 適任っちゃ適任じゃない?」
「僕は燃えてるよ!夏油さんにいいとこ見せたいからね!」

 先輩たちが身を粉にして頑張っている今、後輩が頑張らないわけにはいかないと灰原が熱弁をふるう。夏油ならまだしも、五条については「身を粉にして」なんて単語がこれほど似合わない男もいないだろう。確実に遊んでいる。

「でも暇だねー、ずっと待機ってのも」
「あっ、それならさ、ちょうど二人に相談したいことがあったんだ!」
「相談ですか」
「うん! この前捕縛した呪詛師が使ってた“嘱託式の帳”、覚えてる?」
「嘱託式……あ、あの呪符が巻かれた杭みたいなやつだ」

 記憶を掘り起こした名前に灰原が頷く。

「あんな感じで、嘱託式の呪具って作れないのかなって思って」
「呪具を?」

 嘱託式の帳とは、「基」となる物にあらかじめ呪力や言霊を託しておき、それを他者が代わりに発動させるタイプの帳である。灰原曰く、それと同じ原理で呪具に術式を刻み込んでおき、それを他者の呪力で発動させることも可能なのではないのか、ということだ。

「三人でそれぞれ作ってさ、それを交換するなんてどうかな!」
「えっ楽しそう」

 名前は即賛成した。現物はなくなってしまったが、夜蛾に贈るために手作りの根付の呪具化を試みたこともある。そこに術式を刻み込んでおくなんて、ただのお守りを越えた実用性すら感じて胸が躍る。使用者や発動条件など縛りを加えておけばちょっとした切り札にもなりそうだ。

「ピンチに仲間の力で救われる的な展開、アツいよねぇ」
「名前ちゃん、わかってくれる!?」
「わかるわかる」

 ウンウン頷く名前だったが、そこにそれまで黙って聞いていた七海が水を差した。

「呪具って、具体的には?」
「え?」
「余分に武器類を携帯するのは現実的じゃありませんし、あまり小さいものでは呪符も巻けないでしょう」
「あ!」
「呪符……」

 呪符いるかな、いるかも、と灰原と名前が顔を見合わせる。呪符なしでもできるだろうが、あった方が手っ取り早いのは確かだ。

「保険とかお守り的な意味で持つなら身に着けられるものがいいけど」
「呪符なしで術式刻んで条件付けしてだと、何年かかるかわからないね!」
「既存の呪具なら呪具化の工程省けるけど反発起こしそうだしね〜」

 面白い話だとは思ったが、あっという間に現実に引き戻されてしまった。しかし凹む名前とあっさり諦めそうな灰原を見て何を思ったのか、乗り気ではなさそうだった七海から意外な提案が出る。

「……宝石はどうでしょうか」
「宝石?」
「採掘から多くの人の手を渡る宝石は呪いを帯びることもあると聞きますし、実際に宝石そのものが事件や怪奇現象を引き起こすケースも珍しくありません。普通の石や金属に比べれば呪力も馴染みやすいと、」
「それだ!さすが七海!」
「それなら呪符なしでもいけるかも!……でも宝石なんて買える?」
「……亡くなった祖母の形見分けでいくつか小さいのをもらったんですが、持て余していて」
「えっ七海くんすごい!」
「いいね!それ使わせてもらおう!」

 わーわーはしゃぐ二人を見ながら、提案した本人は「任務中ですよ」と呆れ顔だ。誰が誰の分を作るか、宝石を何に加工するか、主に名前と灰原が盛り上がっていると灰原の携帯が着信を告げた。どうやら夏油からのようだ。

「先輩たち、滞在一日伸ばすって!何かあったのかな!」

 その指示を聞いた七海の額にピキッと血管が浮き上がった。おこである。

「いいじゃん、ホテルで呪具のこと練ろうよ」
「楽しそうですね……プレゼント交換か何かだと思ってませんか?」
「え、違った?」
「確かに!そう考えるとさらに楽しいね!」
「……」
「もー、そんな顔しない」

 怒り顔から呆れ顔に戻った七海をなだめつつ、二年生組から与えられた旅のしおりを確認する。

「五条さんたちがホテル入りするまでここで待機するとなると、あと何時間かな。あの人たち絶対ギリギリまで遊ぶもんね」
「……」

 あり得ると思ったのか、また七海の額に血管が浮き出る。結局三人が空港を出たのは、すっかり日が落ちてからのことだった。




***




 呪術高専での一年はあっという間に過ぎ、名前たちは二年生になった。
 いつも冷静だが意外と短気な七海、明るく熱意に溢れていて人が好きな灰原。凸凹なようでいてバランスの取れた二人は、名前の目から見てもいいコンビだ。
 そんな名前はといえば、経験者だけあって最初こそ実技面で二人をリードしていたものの、精神的には彼らに支えられてばかりだった。命に関わるような無茶をしては七海から長い説教をくらい、灰原の真っ直ぐなフォローに救われる。三人で死地を乗り越えてきたからこその絆だって感じていた。一人じゃないということに、何度励まされたかわからない。

 ―――僕は灰原雄。よろしく!

 太陽のような笑顔が、脳裏にこびりついて離れない。

「なんてことはない2級呪霊の討伐任務のハズだったのに…! クソッ…」

 苛立ちを吐き出すような七海の声に、乾いたはずの涙が滲んで包帯代わりの布を湿らせる。眼球が潰れていても涙は出るのだと、この日名前は初めて知った。

「産土神信仰…アレは土地神でした……1級案件だ…!」

 相性、場所、運、タイミング。たった一つ狂うだけで呆気なく人は死ぬ。準1級呪霊の単身祓除経験なんて、なんの役にも立たなかった。
 いつもより狭い名前の視界で、眠るように横たわる灰原と、その傍らに立つ夏油の姿がぼやけて揺れている。

(なんの、役にも……)

 握り締めた手の中で、金属が擦れるような音が小さく鳴った。名前の術式を刻んだ嘱託式呪具。持ち主である灰原の呪力に反応して発動したそれも、彼を守るには至らなかった。

「……名前、治療がまだだろう。硝子が待っていたよ」

 こちらに背を向けたまま夏油が言う。「はい」と絞り出した声はか細く震えていた。
 踵を返してその場を離れようとして、名前はふと足を止める。憔悴した様子で天を仰ぐ七海に何か声をかけようと思ったが、結局何も言葉が出てこなかった。お互いにまだ、灰原の死から心が動かない。

「七海、君も今はとにかく休め。任務は悟が引き継いだ」

 その言葉を背に聞きながら部屋を出る。

「……もうあの人一人で良くないですか?」

 吐き捨てるような声が聞こえて、呪具の残骸を握る手に力が入った。五条に全てを背負わせようだなんて、七海も本心では思っていない。ただ、気持ちのやり場が見つからないのだ。
 現実とは、どうしてこうも残酷なのだろう。自分の死は覚悟できていても、大切な誰かの死を受け入れるのは難しい。襲い来る無力感から逃げるのに必死で、後輩を気遣う彼の抱えるものに気付くこともできない。

(……零くん、私、呪術師になったよ)

 二年前、あっという間に過ぎ去った一夏の記憶。それは今も心の中で鮮やかなままだ。


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