06. 噛み合う歯車



『はあ、スリですか』

 電話越しの声には確かな呆れが含まれていて、名前は「へへ」と笑って誤魔化した。

『未遂で済んだことを喜ぶべきか、罪を犯しかけた友人を咎めるべきか、どちらなんでしょうね』

 友人って言ってくれた。照。―――なんて喜んでいる場合ではない。

「えーと、元々は私の物だったのが、間違って相手の荷物に紛れちゃってたっていうか」
『普通に声を掛けて返してもらえば良いのでは?』
「……こないだの私の愚痴っぷり見てよくそれ言えるね?昴くん」
『ああ、会いたくはないんでしたか』

 ストレートな物言いにウッと口ごもる。会いたくないというか、どんな顔して会えばいいのかわからないというか、住んでいる世界が違うことをこれ以上実感したくないというか―――情けない言い訳が次々に口を突いて出そうで、名前は黙り込んだ。
 まともな会話相手が沖矢くらいだからと、彼にはいつも話を聞いてもらってばかりだ。同い年なのにお兄ちゃん感がある。もっとも、今回は愚痴というより「スリに挑戦してしまいました」という懺悔に近いのだが。

『その彼と最後に会ったのって、随分と前のことでしたよね』
「うん。もう12年くらい前かな、多分」
『未だに持っていて、なおかつ財布に入れて持ち歩いているとなると……案外、彼もそれを名前さんに返したいと思っているのかもしれませんよ』

 え、と間抜けな声が漏れた。根付を持ち歩いている理由なんて考えもしなかった。作りも拙い上にオシャレな物でも役に立つ物でもない。確かに不要なら捨てればいいだけだが、真面目な彼のことだから、夜蛾への贈り物ということを気にしてくれているのかもしれない。

(また会えるって、まだ信じてくれてる?)

 そう思うと胸が締めつけられるようにぎゅうっと痛んだ。

『そんなに気まずいなら、僕が間に入って差し上げましょうか』
「えっ?あ、いや、ううん、それはいいの、それは」
『そうですか』

 予想外の申し出につい慌ててしまった。沖矢には降谷の名も、安室の名も伝えていない。何も考えず愚痴ったあの日、今更ながら言わなくてよかったと名前は安堵していた。
 沖矢の居候先は米花町だし、安室のバイト先も米花町だ。二人とも行動範囲が重なっているおそれは大いにあり、なんなら顔見知りという可能性も考えられる。偽名で生活する(おそらく公安の)男と、その男と十年来の知り合いだという女。この辺はわざわざ繋げさせない方がいいだろう、誰に対しても。

「あ、もうこんな時間だ。バイトないからって長くなっちゃった」

 ごめんね、と続ける。ただでさえ忙しい大学院生に絡みすぎである。

『いえ、問題ありません。ああ、バイトといえば、名前さんの働くバーにもいつか行ってみたいですね』
「え、うち?うーん、うちは客層が悪いから学生さんは来ない方がいいよ」
『おや、それは残念です。もっと貴女のことを知りたいと思っているんですが……相変わらず謎の多い人だ』
「それ昴くんには言われたくないなぁ」

 ミステリアスマンにミステリアス扱いされて苦笑した。
 オーナーには悪いが、学生にはお勧めできない店だというのは事実である。「また他の店で飲も」と沖矢を誘いながら、名前の脳裏に浮かんだのはジンやウォッカの姿だ。

(うん、客層が悪い)




***




「列車が爆破された?」
「ええ、行き先不明のミステリートレインで、来月の特別運行に招待してもらう予定だったんですが……おかげでダメになってしまいました」

 残念そうに項垂れるオーナーを横目で見ながらも、名前はカウンターを拭く手を止めない。開店時間まであと少し。凹んでいないで手を動かしてほしいところだ。

「爆弾とか青酸カリとか、派手な事件が多いですよね。世紀末かって」
「ハァ……宝石も怪盗キッドも楽しみだったんですが、残念です」

 聞いてないな、これ。
 項垂れながらタブレットをスッスしているオーナーを放置し、名前は一人で開店準備を進めた。

(ま、どうせ客も少ないだろうし、いいか)

 そんな失礼なことを考える名前だったが、予想通りというかいつも通りというか、開店時間を迎えてもやってくる客は片手で余る程度。今日は平和に終わりそうだと油断したのも束の間、遅い時間にやってきたのはあの二人だった。

「マティーニ」

 カウンターに腰掛けるなり、帽子を取ったジンが無愛想に言う。

「だそうです、オーナー」

 そのまま右から左へ受け流し、ウォッカの注文を聞こうとしたところで「お前が作れ」という追加注文が届いた。

「だからお酒は作れないんですってば」
「客が言ってんだ。やれ」
「お客様は神様ってやつですか?いつの時代を生きてるんですか」
「殺されてぇのかテメェ……」

 不健康そうな顔に青筋が浮かぶ。やってみろ、と挑発したら普通に銃を抜きそうだ。

「あ、ウイスキーのニートなら出せますよ。覚えたんで」
「グラスに注ぐだけじゃねぇか」
「うわ〜、ニートに謝ってください」
「あ?」

 もちろんNEETではなくNEATにである。
 結局なんでもいいから出せと言われたので、常温のウイスキーをグラスに注ぐ。ウォッカにも同じものだ。

「フン……あいつへの弔いの酒がバーボンとはな」

 クク、と喉で笑いながらグラスを傾けるジン。今日も今日とて雰囲気が強い。

「しかし相変わらず派手な味の酒だ。花火で吹き飛んだ女の弔いには、案外相応しいかもしれねぇな……」

 お前も飲めと言われたのでありがたくご馳走になるが、どうせならビールがいい。バーボンのニートを先日の反省を生かしてちびちび飲みつつ、弔いと言いながらも全然悲しそうじゃないジンに「はあ」と相槌を打った。
 それにしても花火で死んだ女ってなんだ。またいつもの比喩だろうか。きたねえ花火と言えば爆殺だが、まさかミステリートレインの爆破を指しているわけではないだろう。―――多分。
 ちなみに二人は名古屋に行っていたらしく、ウォッカからはお土産にと手羽先の唐揚げが入った折詰をもらった。感激した名前は、早く食べたいから早く帰れと腹の底から強く念じた。




***




「寄り道、今ので最後ですか?」
「ええ、お休みにありがとうございました」

 オーナーの愛車であるガリュークラシックの車内。助手席に座る名前は、礼を言うオーナーに「いえいえ」と返した。
 今日は店休日だが、店に忘れ物を取りに行きたいというオーナーに付き合うことになった名前。日用品の買い出しなどの寄り道も終え、空はすっかり夕焼け模様だ。

(車いいなー。こっちで向こうの免許証使えればいいのに)

 ペーパーだが一応免許はある。しかし免許証に記載されている住所が存在しないので、こちらで使ったら即アウトだろう。
 今は電車しか移動手段がない名前にとって、車での外出はちょっとした楽しみだ。行ったことのない場所は特にワワククする。ただしあちらと違う区名や地名がなかなか覚えられないので、現在地の把握に手間取るが。

「この辺って何区になるんですか?」
「ああ、ここは」
「あっ待ってオーナー、車止めて」

 えっ、と戸惑いながらも路肩に車を寄せたオーナーに、「後は気を付けて帰ってください」と言い残して車を降りる。名前を呼ぶ声が背中に届くが、名前はそのまま振り返らず走り出した。
 助手席の窓から見えたのは、通行人の女性が自転車の男にバッグをひったくられる瞬間だった。名前は転んで膝を擦りむいた女性を他の通行人に任せ、走り去った男を追う。

(えーと、確かここを曲がったような)

 角を曲がると、さらにその先の角を曲がる自転車が見えた。当たりだ。そのまま後を追うが、土地勘があるのか人通りが少ない道を選んで猛スピードで走る自転車になかなか追いつけない。しかし人通りが少ないというのは名前にとっても都合がいい。
 下半身を中心に呪力で強化して地面を蹴る。そのまま跳躍して建物の外壁や標識、ガードレールを足場にしつつ、最後にひときわ大きく跳んだ名前は、おまけとばかりに捻りを加えた前宙で自転車の進行方向に躍り出た。

「うわ!?くそっ、どけ!」

 どけと言われてどくヤツがあるか、と返すまでがテンプレだ。
 スピードを緩めず突っ込んできた男に真正面からラリアットを食らわせれば、運転手を失った自転車がガシャンと大きな音を立てて横転、横滑りして近くの建物にぶつかった。男は地面に頭をぶつけて伸びている。

「あの、すみません。この人ひったくりなんで、警察呼んでもらえますか?」
「えっ」

 名前は道行く人に声をかけて丸投げし、転がっていたバッグを拾って元来た道を戻った。警察に事情を聞かれても身分を証明するものは何一つないのだから、現場からはさっさと離れるに限る。
 通りに出て女性にバッグを渡す。ひどく恐縮されたがお礼は断り、名前も名乗らない。警察を呼んだことだけ伝え、ここからもすぐに離れたいとばかりに再び歩き出した。しかし逃げるように横道に入ったせいで余計に現在地がわからなくなってしまい、名前はそこでようやくオーナーの存在を思い出した。
 スマホを取り出して電話すると、繋がった電話の向こうからオーナーの心配そうな声が聞こえてくる。

「すみません急に降りて。ああ、はい、私は大丈夫です。駅まで行ければあとは適当に電車で帰るんで。あ、荷物?」

 そういえば何も考えず飛び出してきてしまった。コートのポケットを探ればとりあえず財布と鍵はあったので、バッグは明日店に持ってきてもらうようお願いした。こういう時ミニ財布にしてよかったと思う。
 オーナーも気を付けて、と念を押して通話を終える。さて、ここはどこだろう。電話中に通り過ぎた小学校の名前を見に戻るか考えて、面倒臭くなった名前は手っ取り早くGPSの力を借りることにした。よい子も悪い子もやってはいけない歩きスマホである。

(微妙な時間だな……今日はお惣菜でいっか。あ、家にカップ麺あったっけ)

 マップアプリを起動し、画面上部の時計を見ながらつらつらと考える。そのまま「現在地取得中」の文字が消えるのをぼんやり待っていると、背後でガラン!とやたら乱暴なドアベルの音が聞こえた。
 なんだろうと名前が顔を上げるより早く、後ろから強く手首を引っ張られる。

「!」

 しまった、ぼーっとしすぎた。名前は咄嗟に呪力を纏い、引かれるままに振り向いた。
 そして風になびく自分の髪も、その向こうに現れる姿も、すべてがスローモーションのように見えて目を見張る。まるでそこだけ切り離されたかのように、周りの音も聞こえなくなった。

「―――あ……」

 全身を包んだ呪力が霧散する。
 急いだのか乱れた金髪に、驚きに見開かれた青い瞳。形のいい眉は切なげに寄せられていて、どこか必死な表情にも見える。精悍な顔付きにはあの頃の面影があって、甘く柔和な“安室”はどこにも見当たらない。
 その顔はまるで、信じられないものでも見るかのようだった。かくいう名前も、何が起こっているのか理解が追いつかない。

「……零くん…?」

 思わず呟いた声は、自分でも情けなくなるほどに頼りなかった。
 名を呼ばれた降谷はハッとして名前の手を離す。そしてほんの一瞬躊躇うような間を空けてから、次の瞬間には困ったような表情に切り替わった。

「あっ、すみません…!人違いでした…、昔お世話になった方に背格好がよく似ていて」
「え?」

 きょとんと目を瞬かせる名前に対し、降谷は心配そうに眉尻を下げる。

「あの、僕、安室というんですが……さっきは急に引っ張ったりして、本当にすみませんでした。手、痛みませんか?」
「あ……大丈夫です、けど」
「まいったな、どうお詫びしたらいいか」
「え、いや……」

 目の前の光景が未だに飲み込めない名前は、回らない頭で言葉を探すのが精一杯だ。冬空色の瞳に自分が映っているのが信じられない。
 安室を名乗った降谷は困り顔で後頭部を掻いてから、いいことを思いついたと言わんばかりにニッコリ笑う。

「そうだ。僕、そこの喫茶店で働いているんです。よかったらお詫びにコーヒーでもご馳走させてください」

 そこでようやく名前は現在地を把握した。なるほど、自分はいつの間にか米花町の五丁目にいて、先程聞こえたドアベルは喫茶ポアロのものらしい。そして店に目を向けた名前の「あ」という呟きに、安室もまた店を振り返って苦笑する。

「……まいったな」

 ポアロと書かれたガラス窓には、好奇に輝く目が何対も張り付いていた。


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