11. 指呼の間には程遠い
「おいし……」
人は感動すると口数が減るのだと名前は知った。喋るより咀嚼に時間を使いたい。期待以上の美味しさに口の中が幸せで満たされ、その幸福にいつまでも浸っていたい気分だった。
「名前さんって本当に美味しそうに食べますよね!この前一緒にケーキバイキング行った時も和パフェ食べながら顔面とろけてたし」
「梓ちゃん、言い方」
咀嚼をやめて思わずツッコんでしまった。
「ふふっ、でもそうやって食べてもらえるの、作り手としては最高の幸せですよ。今度は私の担当メニューも食べてくださいね」
「梓ちゃんは何作るの?」
「カラスミパスタが人気ありますよ!」
「えっ何それ美味しそう…!次来たら絶対注文するね」
ぜひ、と微笑む梓に、つられて名前の頬も緩む。
「梓さんと名前さんは、もうすっかり仲良しですね」
微笑ましそうに目を細めて会話に入ってきたのは安室だ。それに「そうなんです」と笑い返す梓を見ながら、名前は手に持ったままだったあんバターサンドを口に運んだ。
安室が考案したそれは、厚切りのふわふわ食パンと舌触りなめらかなこしあんの組み合わせがなんとも上品で、バターの塩気がこしあんの控えめな甘さを引き立てた逸品だ。控えめに言って史上最高に美味しい。
「安室さん、このあんバターサンドめちゃくちゃ美味しいです」
「それはよかった。気に入ってもらえると作った甲斐があります」
「定番はトーストかなって思ってましたけど、焼かないのもふわっふわでいいですね」
「トーストか……焼くならこしあんよりつぶあんでしょうか」
「つぶあんもいいなぁ。あ、あんバターの揚げパンも食べたことありますけど、カリしゅわで美味しかったですよ」
特級カロリーお化けだけど。そう付け加えると、安室はきょとんとしてから「ははっ」と破顔した。かっわいいな。
「なるほど、香ばしさをプラスするのもよさそうですね。今度試してみようかな」
相変わらず真面目というか貪欲な男である。喫茶店バイトが本職というわけでもなかろうに、何にも手を抜かないのが彼らしい、とあんバターサンドを頬張りながら名前は思った。
ふと、名前の視線が下にずれる。今日はヒップポケットにでも財布を入れているのか、根付の気配がすぐそこにある。
(隙を見てさりげなく渡してくれないかな。そしたらこっちの都合は全部解決するのに)
祈るような気持ちで安室の腰辺りを見つめるが、「どうかしました?」と首を傾げた安室に覗き込まれて心臓が止まるかと思った。あざとかわいいを使いこなす男、29歳。
「……なんでもないです〜」
名前がへらっと笑って誤魔化したところで、カランとドアベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
「あっ、あむぴ〜!来ちゃったぁ」
「ひっさしぶりぃ〜」
「もー、超会いたかった!あむぴ!」
店に入ってきたのは女子高生のグループだ。蘭や園子以上に若さとテンションが炸裂している。安室はにこやかに笑い返しながらカウンターを出た。
「こちらのテーブル席にどうぞ」
「ありがとー!今日ね、半日授業だったの」
「それはお疲れ様です」
「めっちゃお腹空いたぁ。あむぴの手料理食べる〜」
「何これ、あんバターサンド?新作じゃん」
「最近追加したばかりなので是非」
口々に話す彼女らを笑顔でいなしつつ、安室が水やおしぼりの準備をしにカウンターへと戻ってくる。
(あむぴ!)
名前はカウンター越しの安室をじっと凝視した。自分ではわからないがきっと瞳孔かっぴらいて虹彩をキラキラ輝かせているに違いない。
名前の視線に気付いた安室は、その青い瞳をすっと細めて薄く微笑んだ。美しい笑みからは「その反応やめろ」という圧すら感じる。こっっっわ。
(あむぴこっわ)
安室が再びカウンターから出ると、気配を極限まで抑えた梓がコソコソと対面にやってきた。
「……ビックリしたでしょ?安室さん、女性客に大人気なんです。特にJK」
「イケメンだもんね。……ふふっ、あむぴだって」
「笑いごとじゃないですよ!安室さんとの絡みを見られるとSNSで叩かれたりするんで、名前さんも気を付けてくださいね…!」
「ああ、それで“炎上”か」
「え?」
「ううん、気を付けるね」
初めて安室透を見かけた時、隣にいた梓が炎上がどうとか言っていたのを思い出した。とはいえJKに叩かれるほど安室と絡むことなんてないだろう、と名前はフラグが立ちそうなことを考える。
「あっそういえば私、名前さんって安室さんのこと苦手なのかなって思ってたんですけど……そういうわけでもないんですね?」
「え?」
「メッセージを送ってもあんまり返事が返ってこないって、この前安室さんから聞いたんです」
それはコナンにも言われたことだった。名前は口元を引き攣らせつつ、コナンにしたのと同じ説明をする。要するに「イケメン相手だと緊張しちゃう」というやつである。
「対面だと普通に話せるのに?」
「いやいや、めちゃくちゃ緊張してるよ」
「そうなんですか?」
そうそう、と何度も頷く。このガバガバな誤魔化しを「そういうものですかぁ」と受け止めてくれるあたり、やっぱり素直でいい子である。
そして女子高生たちの注文を受けた安室がカウンター内に戻り、梓と手分けして準備を始める。あんバターサンドを食べながらそれを眺めていた名前だったが、意識は自然と背後のテーブル席に向かっていた。
「……でさー、やばくない?」
「あー今日の夜行くって言ってたやつ?」
「見つかったら絶対補導されるよね、あいつら」
「つーかその前に絶対やばいじゃん、あの場所。私あの噂結構信じてんだけど」
「え、やらせっしょ」
面白がるような声の中に、若干の不安と恐れが滲んでいる。第三者からすれば抽象的な表現ばかりだが、飲み物が提供された辺りからぽつぽつと怪しい単語が混ざり始めた。
(橋……)
川や橋など、“渡る”という行為は呪術的に大きな意味を持つ。呪術師としての直感がこれは
当たりだと告げていた。
名前はスマホを取り出すと、後ろから聞こえてきた単語をSNSで片っ端から検索した。そして見つけたのは一つのアカウントだ。とある橋の噂を確かめに行くと投稿したのが一か月前。その後はぷつりと投稿が途絶えている。そしてそれが「何かあったのでは」と界隈で話題になっているようだ。
(午前2時22分、その橋の東側に立つと西側から無灯火の車が走ってくる。それに向かって手を振ると、すれ違う車の窓に運命の人の顔が映る……ね)
いかにも恋愛脳向けの作り話といった感じだが、こういう真偽不明の噂の元ネタが本物であることは少なくない。しかも女子高生たちの口ぶりからして、それを試しに行って行方不明になった者が何人もいる―――というこれまた真偽不明な噂まであるらしい。
見つけたアカウントの最後の投稿を引用する形で、どこの橋か特定している投稿もいくつか見かけた。どの投稿も同じ橋を指しており信憑性は高そうだ。
(今日かぁ……バイト休も)
オーナー宛てのメールを作成し、体調不良で休ませてほしいと打ち込んだ。名前が休むのと店が休みになるのはイコールなので、あまり使いたくない手だが仕方ない。もしかしたら今夜その橋で新たな行方不明者が出るかもしれないのだ。
仮病を使ってしまった、と若干の罪悪感を覚えた名前の前に、料理の提供を終えたらしい安室が戻ってくる。そして彼は女子高生たちに聞こえないよう声を潜め、「名前さん」と声をかけてきた。
「僕、もう少しで上がりなんです。そうしたら―――」
来た、と名前は身構えた。そして密かに緊張しつつ次の言葉を待ったのに、安室はその続きを言わずに視線を落としてしまう。
(え、何?)
訝しんだ名前が腰を浮かせば、その視線がポケットから取り出したらしいスマホの画面に向けられているのが見える。本業か探偵の仕事で呼び出しでもかかったのだろうか。顔を上げた安室は名前ではなく梓の名を呼んだ。
「すみません、少し早いですが体調が悪いので上がらせてください」
「えっ」
突然の申し出に目を丸くした梓をよそに、安室がこちらを見て「名前さんも、また」と小さく付け加える。なんて堂々とした仮病なんだ、と名前は自らを棚に上げて感心しつつ頷いた。
「えーっ、あむぴもう上がり!?」
「ショックー」
「せっかく会いに来たのに〜」
残念がる女子高生たちに眉尻を下げて謝りつつ、しかし迷いのない足取りで店を出ていく安室。どこが体調不良だ。
安室さん!?とその後を追いかけていった梓もすぐに戻ってくるだろう。
(行っちゃった)
もちろん根付の入った財布も持って。
(適当に置いてってほしかった……)
しかし真面目で義理堅い彼のことだ。きっとそんな雑な渡し方はしてくれないんだろう。名前は今回も回収に至らなかったことを残念に思いつつ、安室と二人きりにならずに済んだことにほんの少しだけホッとしてしまうのだった。
***
ポアロを出た名前は、その足で電車とタクシーを乗り継いで噂の橋へとやってきていた。バイトは休んだものの、夜になる前に終わらせられるならそれに越したことはない。
「……あれ?」
名前は橋の手前で首を傾げた。まだ昼間だというのに真新しい残穢がべっとりとついている。噂の車が走るのは深夜ではなかったか。
(残穢は二種類。片方は術師かな)
もしかしたら、と考え込みそうになったところで、名前は気配を感じて振り返った。
「一足遅かったな……野良術師」
そこにいたのは以前にも見たことがある呪術師だった。いつぞやのようにボソボソと喋り、片手には抜き身の刀身を携えている。
「ここの呪いなら先程俺が祓ったばかりだ」
「あ、そうなんですか」
拍子抜け〜と気の抜けるようなトーンで呟いた名前に、男の眉根がグッと寄る。
「その人を食ったような態度、気に入らん」
「はあ」
「それだ」
殺気を孕んだ空気が漂ってきて、名前はわざとらしく肩を竦めた。それより橋の上特有の強い風の方が気になってマフラーに口元を埋める。寒いし祓除済みならとっとと帰ろう。
名前から撤退の気配を感じ取ったのか、男が一歩距離を縮めた。
「悪いが帰せん。貴様を連れて来るようにと示達があった」
うげ、と今度は名前の眉根が寄る。いつか来るだろうとは思っていたが。
「大人しくついてくるのであれば悪いようにはしない」
「そう言われて厚遇を受けるパターン聞いたことないんですけど」
せいぜい「殺しはしない」くらいの意味合いだろう。呪術師の言葉を額面通り受け取ってはいけない。
「何より、組織に属するつもりは微塵もないんで」
「……ならば力づくで連れていくまで」
「テンプレだなぁ」
言い終わると同時にその場を飛び退く。直後、鋭く振り下ろされた切っ先がアスファルトを抉った。そのまま向かってくる男から距離を取りつつ、名前は橋の反対側へと逃げていく。いつ車が通るとも限らないのに真っ昼間から大胆すぎる。
(怪我させたら別の理由で追われそうだし)
男から呪力を吸い上げてしまうのが一番手っ取り早いが、呪具で撃って体に風穴を開けるわけにはいかない。別に呪具でなくても吸い上げられるのだが、術師相手にそこまで手の内を明かすつもりもなかった。
仕方なく名前はロングコートを翻し、腰の後ろから呪具を抜いた。走りながら後方に向けて一発撃てば、エアソフトガンの銃口から放たれた種子が男へと向かい―――男に到達する直前でぶわりと花開く。
「なっ!?」
射出の瞬間に呪力を籠めておいたのだ。突然開花した蓮の花が男の膝下辺りに食らいつき、縄のように太く伸びた茎と根が男の足をぐるぐると拘束してアスファルトに縫い付ける。名前は足裏から呪力供給を続けられる限界まで距離を取ろうと、そのままゆっくり後退した。
(もうこんな時間じゃん。早く大通りに戻ってタクシー拾わないと、暗くなっちゃう)
気付けば辺りは夕焼けに染まり、背後で沈みつつある太陽が名前の影を長く伸ばしていく。
拘束された男は無言で名前を睨みつけていたが、突如刀を持つ手を大きく振り上げた。投擲か。咄嗟に身構えた名前の視線の先で、男の口元がニヤリと弧を描く。
「え?」
男は振りかぶり、確かに刀を投げた。しかしその軌道は明らかに名前に届くものではない。呪力の籠った刀身がドスッとアスファルトを穿つのを、名前は訝しげに見つめていた。
―――そして、次の瞬間。刀が突き刺さった名前の影が、まるで意思を持つかのように
立ち上がった。ゆらめく長い影は遥か高いところから名前を見下ろすと、凄まじい勢いで覆い被さってくる。
(しまった、間に合わな―――)
後方に大きく跳躍するも距離が足りず、名前の視界は黒に染まった。
prev|
next
back