12. 転げ回る非現実



 前回のあらすじ。怪異の噂に呪いの存在を感じ取った名前は、早速その現場に向かった。しかしそこで協会所属の呪術師と遭遇し、名前に対して上層部からお呼びがかかっていることを知る。なんとか相手を傷つけずその場を去ろうとする名前だったが、なんやかんやで相手の術式に嵌まってしまったのだった―――

(って回想してる場合じゃない…! あーもう、呪力総量も出力も大したことないからって油断してた)

 相手が聞いたら確実に激怒しそうなことを考えつつ、名前は暗闇の中で身を捩った。名前に纏わりついているのは彼女自身の影だ。拘束するような強さはないが、それでも手足の自由は奪われている。

(呪力は練れるけど、力技で突破できるような感じじゃないな)

 足が地面についていないせいで地中に呪力を流し込むこともできない。この程度で奥の手・・・を使わないのは当然として、とりあえずどんな攻撃が来ても即死しないよう全身を強化して―――

「うわっ!?」

 突如全身に加わった圧力と這い上がる悪寒に、名前は思わず悲鳴を上げた。空間と一緒に体まで無造作にグニャグニャと歪む。痛みこそないが、まるでジップロック越しに揉まれる肉になったような、餅つき機に投入されたもち米になったような、なんとも表現しがたい不快な感覚だった。

「なんなの、もう……、!?」

 唐突に影から放出され、視界が開ける。―――視野の広さが変わった。五感は鋭敏。手足は容易に動かせる。名前の足が地面に触れる頃には、彼女はもう自分の身に起こったことを理解していた。

「……フン、なるほどな」

 距離は充分あるというのに、性格の悪い笑みを浮かべる男がやけに大きく見える。名前からの呪力供給が途絶えたせいで男を捕らえていた蓮の花はすでになく、刀もまた男の手に戻っていた。
 大丈夫、呪力は練れる。名前は冷静に状況を確かめながら改めて全身を強化した。

「俺の術式は対象者にその者の影を纏わせ、姿形を作り変えるものだ」

 男は悠然と術式の開示を始めた。

「何に変わるかは対象によって異なり、変えられるのは見た目だけ……しかしこれがなかなか便利でな。もう銃を持つこともできんだろう」

 変わるのが見た目だけなら問題はない。―――少なくとも今は。

「クク……変わったのが虫けらでなくてよかったなぁ。虫は小さくて捕まえにくいし、うっかり踏み潰しでもしたらかなわん」

 男がくつくつと喉奥で笑うのがよく聞こえる。

「時間が経てば自然と解けるが、どれほどの時間を要するかは個体差がある。早く戻りたければ俺を殺すほかない……が、それもその体では難しいだろうな」

 殺せば追われる身になるのは間違いない。しかしこれで聞きたいことは聞けた。もちろんブラフの可能性もあるが、それを考慮したとしてもこれ以上長話に付き合う必要はない。
 そう判断した名前は瞬間的に呪力出力を増大させ、一気に地中へと流し込んだ。

「(言いたいことは、それだけかぁー!)」

 雄叫びは言葉にはならなかった。しかしそれに呼応するようにアスファルトが割れ、大蛇の如く飛び出した幾本もの根が男を襲う。

「は……っ!?」

 決着は一瞬でついた。抜かりなく強化されたそれがギチリと巻きつけば、男は身動ぎすることすら叶わない。圧死させないよう注意しながら、名前は首から下を余すところなく絞め上げた。コンマ数秒前には驚きに目を丸くしていた男が、容赦ない締めつけに顔を歪ませて苦悶の声を上げる。

「(泳げなかったらごめんね!)」

 橋の西端という立ち位置が功を奏し、地面からアスファルトへと木の根を引き込むことができた。根の通り道には歪な亀裂が入っているし、飛び出した部分には見事な大穴が空いて下を流れる川が丸見えだ。

「お、おい、何をする気だ!? や、」

 やめろ、と最後まで言わせてはやらなかった。ブンッと勢いよく振り抜かれた根が、下の川目がけて男を放り投げた。続けて刀も放ってやればドブンという着水音が二度続く。流れは速そうだが術師なら死にはしないだろう。カナヅチでもなければ。
 静寂の中、後に残されたのは名前と損傷著しい橋だけだ。橋についてはきっと通りかかった誰かが警察や消防に通報してくれる。問題は名前だ。名前は山と川しか見えない雄大な自然を眺望しながら、この辺マイナスイオンすごそう、と一瞬現実逃避した。

「(……え、これ歩くの? つら)」

 愚痴の代わりに出たのは、「にゃあ」という愛らしい鳴き声だった。




***




 呪術高専に入学し、呪術師となって十年以上。キツい任務も死にかけた経験も多々あれど、単純な肉体の疲れ具合で言えばなにげに今が一番かもしれない。名前は今にも倒れそうな体をなんとか前に進めつつ、ぼんやりと霞がかった思考でそう思った。

(あの時といい勝負かも……)

 みゃ、と弱々しい鳴き声が出る。
 この疲れ具合、この眠気。降谷と一緒に住んでいた頃、彼の携帯を探しに森を奔走した日のことを思い出す。確かあの時は玄関で寝てしまったんだったか。
 細く頼りない四肢がふらつき、睡魔と飢餓感が警鐘を鳴らす。悪路は慣れっこだと最初こそ調子よく駆けていたが、生憎降谷のような体力お化けではない。後半はただ惰性で歩くのみだ。

(あー、やっと街中に出られたぁ)

 すっかり暗くなった辺りに街灯や電飾看板が明かりを灯す。ここがどの辺りかはわからないが、体が戻りさえすれば電車やタクシーで家に帰れる。それまでとにかく凌がねば。

(……ん?)

 通りから一本入った閑静な住宅街を歩いていると、暗闇からぞろぞろと野良猫が現れて名前を取り囲む。しかしいつも通り敵意は感じず、代わる代わる名前の体にすりすりと体を寄せてくる。どうやらどんな姿であっても動物には好かれるようだ。

「(野良の先輩方ー、ちょっと聞きたいことがあるんですけど)」

 猫たちがにゃあにゃあと口々に返してくれるが、何を言っているかはわからない。言葉が通じるようになるわけではないらしい。

「(うーん、寒さを凌げる場所とか、安全に寝られる場所とか聞きたかったんだけど……)」

 項垂れる名前の背後で、ポトッと何かが落ちる音がした。

「(ポト?……うわっ)」

 振り返るとそこにあったのは雀の死骸だった。厚意で譲ってくれたらしい猫が名前をじっと見つめている。

「(あの、どうも……でもできれば加熱済みのやつが……)」

 そういう問題ではない気もしたが、もはや疲労で頭もあまり回らない。とりあえずお礼は言った方がいいのだろうか。そして一旦受け取るべきだろうか。口で、え、口で?
 ぐるぐる思考を巡らせていると、人垣ならぬ猫垣がザッと割れる。なんだなんだと目を丸くしている名前の前に現れたのは、随分と綺麗な三毛猫だった。例に漏れず名前にすり寄った三毛猫は、ひとしきりすりすりした後、鼻先をちょんと合わせてから去っていく。と思いきや、少し先で立ち止まってちらりと名前を窺った。

(ついてこい的な?)

 先輩、どこ行くんですか。追いついて問いかけても反応は返ってこない。こうなったら体力が尽きるまではついていこうと思った矢先、どこか見覚えのある風景が見えてきた。

「(先輩、この辺って)」
「あら、大尉!」

 聞き慣れた声に顔を上げれば、そこにいたのは梓だった。ドアに鍵をかけた彼女が三毛猫の前にしゃがみ込む。

「こんな遅くにどうしたの?今日はもうご飯あげたじゃない」
「ナァー」
「(あー、ここポアロだったのかぁ。暗いと気付かないもんだな……って梓ちゃん、こんな遅くまで働いてたの?一人で?危ないじゃん!)」
「あら、お友達?可愛い子ねぇ」

 にっこり笑う梓は暗がりでも可愛い。先輩猫で撫で慣れているのか、耳の付け根をくりくりと撫でられて変な声が出そうになった。喉は鳴った。

「なんだかボロボロね。山奥から出てきたみたい」
「(えへへ……似たようなもんかも)」
「あなたもお腹が空いてるの?」
「(もーお腹と背中がくっつきそうだよ、梓ちゃん)」

 うなぁ〜、となんとも切なげな鳴き声が出た。ふふっと笑った梓が再び立ち上がる。

「しょうがないなぁ。ご飯持ってきてあげるわね」
「(やったー!)」
「ニャァ」

 二匹に見守られながら再びポアロの中へと戻る梓。名前はようやく空腹から解放される喜びから、ない体力を振り絞ってそわそわウロウロと歩き回った。ここでいつもご飯をもらっているのか、大尉と呼ばれた先輩猫は至って落ち着いている。
 そして梓が店内から持ってきたのは―――

(キャットフード…!)

 見たことはあるが食べたことはないモノが器の中に盛られている。正直見た目も香りも全くもって食欲をそそられない。が、背に腹は変えられない。名前は覚悟を決めた。

「美味しい?」
「(……思ったよりね)」

 術師の言葉を信じるならば味覚は変わっていないはずだが、意を決して食べたキャットフードは予想以上に普通だった。喉もカラカラだったので水もありがたい。

「(ご馳走さ、あっ先輩)」

 食べ終わった途端、大尉は近くの塀へと飛び乗った。

「大尉、またね!」

 手を振る梓に見送られてそのままトコトコと去っていく。このまま寝れる場所に案内してもらおうと思っていたのに。その場に取り残された名前は梓に向き直った。

「あなたも行くの?また来てね」
「(ご馳走様でした、梓ちゃん)」

 ぺこ、と頭を下げて踵を返す。

「あ、あら…? 今、猫がお辞儀したような…?」

 戸惑うような声を背後に聞きつつ、今度は寝られそうな場所を探す。

(あー眠い)

 さすがに中身まで猫になったわけではないので、冷たい地面に直接横たわるのは抵抗がある。それでもそんな贅沢は言っていられないくらい、意識を保つのが危うくなってきた。満腹のせいか。

(……もう、この辺でいいや)

 通りかかったアパートに侵入し、階段を数段上って丸くなる。

「(つめたっ)」

 材質のせいか、全身がひやりと冷やされて思わず飛び起きた。仕方なく階段を上り切って共有通路をふらふら歩く。いよいよ疲労と睡魔の限界である。なんだかもうどこでもよくなってきた。冷たくてもいい。ちょっと我慢すればそのうち体温が移るだろう。
 人としての何かを色々諦めつつ、名前は適当な場所で丸くなった。やっぱり冷たいが今度はあっさり意識が遠のいていく。繰り返すが降谷のような体力お化けではないのだ。心の中で誰かに言い訳しつつ名前は眠りに就いた。

 そしてそれからどれほどの時間が経ったのか、すっかり熟睡していた名前の意識がほんの少しだけ浮上する。

(誰か、いる)

 人の声がする。誰かがこちらを覗き込んでいるようだ。名前の姿はまだ戻っていないようだが、相手から敵意を感じないせいか体は脱力しきっている。どうかこのまま寝かせてほしい。

「困ったな……どいてくれないと部屋に入れないんだけど」

 ―――声に聞き覚えがありすぎる。
 名前が重い瞼をゆっくり持ち上げると、うっすら開いた視界に金色が映り込んで思考が止まる。

「(うっそだぁ……)」

 今、誰の部屋って言った?
 頭を抱えたい気分だったが、そんな気力はどこにもなかった。


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