15. 視界不良に立ち竦む
その日は雲一つない晴天だった。大型の準一級呪霊を灰原や七海と三人がかりで祓い、その後遭遇した術式持ちの別個体をかろうじて撃退。二匹目の祓除を二年生の最強コンビに引き継ぎ、三人揃って硝子に治療してもらった後は寮の部屋で泥のように眠った。
そのせいか夜になって目が冴えてしまい、日付はとっくに変わったというのにどうにも眠れない。名前は暗い部屋で携帯をいじりながら、布団の上でゴロゴロと怠惰な寝返りを繰り返していた。
(暇だー)
灰原や七海の部屋に突入してみようか。しかし彼らがまだ起きているならいいが、もし寝ている七海を起こしてしまった場合、寝起きの七海という怒りの化身と対峙する羽目になる。うん、やめよう。七対三にぶった切られてしまう。名前は秒で諦めた。
(そうだ、あの子に会いに行こっと)
思い立って起き上がると、名前はパーカーを羽織って部屋を出る。そして寮を出たところで、こちらに向かってくる一人の男を発見した。思わず「あっ」と声が出る。
「夏油さんだ」
その声に顔を上げた夏油と目が合った。髪は下ろしていて、黒いパーカーに同色のスウェットパンツとラフな格好だ。
夏油は「名前」と切れ長の目を柔らかく細めた。
「眠れないのかい?」
「夕方寝すぎちゃって。夏油さんは?」
「さっきまで硝子と悟とポーカーしてたんだけど、負けが込んで悟が拗ねちゃってね。これはそのフォローのつもり」
上げた右手に持っているのはペットボトルのいちごオレだ。パーカーの両ポケットにも何か入っている。
聞けば甘党の五条のためにわざわざ高専の自販機まで買いに行ってきたらしい。やっさし。いや、夏油のことだから五条に対する高度な煽りという可能性もあるか。
「そのメンバーでポーカーってエグくないですか…?夏油さんも硝子さんも本気出したら一ミリも感情読めないもん」
「名前も来るかい?四人なら麻雀もできる」
「麻雀やったことないですけど、こんな時間から始めるものじゃないってことくらいは知ってます」
「おや、若いのに消極的だね」
そう言って夏油は可笑しそうに笑う。明日、もとい今日も朝から任務なのだ。徹夜で任務なんて、控えめに言って死ぬ未来しか見えない。
「先輩たちってみんなショートスリーパーなんですか? いっつも夜更かししてる気がするんですけど」
「ああ、そうかも。でも今日は日の出前には寝るよ、任務があるから」
「うわ……よくそれで起きれますね」
化け物揃いの二年生にげんなりする。もちろん彼らが異常なのであって、これとは絶対に比べられたくないと思う名前であった。
ふと、夏油の視線が名前の腹部に向かう。
「よかった。昼間派手に潰れてた腹もちゃんと治ったようだね」
「硝子さん様々です」
「七海を庇ったんだろ?ずいぶん怒られたんじゃないか」
名前はハッとして思わず「そうなんですよ!」と前のめりになった。
名前が庇ったことで七海は致命傷を避けられ、名前自身も硝子の反転術式で完治。呪霊も祓除対象だった一匹目はちゃんと祓えたのだから結果としては上々だ。なのに治療の間も横からガミガミ説教されて名前は正直辟易していた。
「名前の戦い方は危なっかしいから」
あやすように頭をポンポン撫でられ、名前はグッと愚痴を吞み込む。
自分の体を道具としか思ってないとか、負傷に対する恐怖心が麻痺してるとか、その辺りは七海や灰原からも毎度のように言われることだ。
「それよく言われるんですけど……結果勝てばよくないですか?」
「名前は地頭はいいのに思考回路がたまに残念だね」
「褒めるならちゃんと褒めてください」
「褒めてないんだよ」
強めに額をポンと押されて「ぐぇっ」と仰け反る。後衛と見せかけてゴリゴリのパワータイプなんだからそういうのやめてほしい。
「グチグチ言われなくなかったら、もっと自分を大事にしなさい」
―――もっと自分を大事にしてほしいって思ってる側からすれば、見ててやきもきするってことだよ
「夏油さん、零くんみたいなこと言う……」
「零くん? ああ、降谷さんか」
夏油はぱちりと目を瞬かせてから、いつになく胡散臭い笑顔でにっこりと笑った。
「私と一緒にしたら降谷さんに悪いよ。だって彼は名前のこと、」
「私のこと?」
「……いや、やっぱり内緒にしとこう」
「え〜」
気になる、と名前が唇を尖らせれば、狐のようににんまりと目を細めた夏油が名前の乱れた髪を整える。
「いつかまた会えたら、本人に直接聞けばいいさ」
「……それ、」
ほぼ無理じゃん。そう言い終わる前に、夜闇をバサッと切り裂く羽音が聞こえる。
それに気付いた名前が慣れたように片腕を差し出せば、そこに白いフクロウが降り立った。高専がある筵山麓に住みついている野生のメンフクロウだ。
「来た来た。ふふ、今日もかわいーねぇ」
「出た、生きる止まり木」
「なんですかそれ」
笑って誤魔化されるが、術式を揶揄されたのは名前でもわかった。
いくら木花操術の使い手とはいえ、外を出歩くだけで多種多様な生き物が集まってくるような精霊めいた性質を持っているわけではない。動物に警戒されにくく、たまにこうして寄ってきてくれる個体がいるだけだ。
引きこもりだったがゆえに高専に入学して初めて気付いた程度の、特別大したことのない性質なのに。
「歌姫さんからは「存在自体がオーガニック」とか言われるし。硝子さんからは「歩くマタタビ」とか。こんな嬉しくない異名あります?」
「嬉しくないんだ」
「からかわれて喜ぶほどMじゃないです」
メンフクロウにすりすりされながらジト目をしても迫力はないかもしれない。
夏油は「まあまあ」と宥めるように言いながら、パーカーのポケットから缶コーヒーを取り出した。
「これあげるから、いい子はこれ飲んで大人しくお眠り」
「寝かす気ないじゃん」
どう見てもブラックである。煽りスキルの高さまで最強か。
そのまま二人が寮の入口でやいやいやっていると、話し声を聞きつけた五条が「何やってんだお前ら」と現れ、続いて「コーヒーまだ?」と言いながら煙草とライター片手に硝子が現れ、せっかく愛でる気満々でいたメンフクロウが颯爽と飛び去り―――
結局なんやかんやでまともに眠れないまま、呪術高専の夜は更けていくのだった。
***
ベッドで体を起こした名前は、スマホの時間を見て溜息を吐いた。もう午後だ。
「あー……懐かしい夢見たぁ」
久しぶりに朝帰りしたからかな、と独りごちる。もちろん朝帰りになってしまったのは完全に不可抗力である。
その原因となった術師との戦いを思い出し、猫になったことを思い出し、最後に降谷の部屋でのことをすべて思い出して顔を覆った。
(調子に乗ってにゃーにゃーと…!)
降谷にとってはただの猫だからと調子に乗りすぎた。一体どれだけすりすりしたのか、もう思い出したくもない。猫に警戒されたことのない名前にとっては普通の仕草だが、そういえば普通は初対面であんなに懐かないはずなのだ。
(あの猫が私だったって知られたら羞恥で死ねる)
項垂れながら体勢を変えると、体のあちこちがバキバキと鳴った。ついでに全身が鈍く痛む。
見た目にはあまりわからないが鍛えているつもりだし、体力も降谷ほどではないだろうが術師としては及第点のはず。しかしいつもと違う姿では使う筋肉まで違うのか、経験したことのない筋肉痛が名前を襲う。
ベッドを降りると下半身が小鹿のようにぷるぷると震えて「ひぃぃ」と声まで震えた。
「つ、つら……」
なんとか用意した朝食―――ならぬ遅めの昼食は、食パンにあんバタースプレッドを塗っただけのものだった。名前一人の食事といえばこんなものだ。小豆はギリギリ野菜に入ると思っている。
とはいえ、いつも美味しいと思って普通に食べていたものが、安室作のあんバターサンドを知った後では味気なく感じてしまうのが辛いところだ。
名前はもそもそと食べ進めながら、先程まで見ていた夢の内容を思い出していた。
(自分を大事に、かぁ)
こちらでは後ろ盾がないからコンパクトで地味な戦い方を心がけているし、硝子に治してもらうこともできないのでかなり慎重に行動しているつもりだ。
(これも大事にしてることになるのかな)
それならきっと、今の名前を見て彼らが文句を言うこともないだろう。
(……なんて、死んだ人たち相手に何考えてるんだろ)
惰性で口を動かしながら、名前は心の中で自嘲した。
慎重に行動しようがしまいが、死ぬ時はあっさり死ぬのが呪術師だ。夜蛾が最後に言った「死なない理由を作れ」という言葉の意味もまだよくわからない。理由なんて関係なく、人は死ぬのに。
(こんなことばっかり考えてたら、ご飯がまずくなっちゃうなぁ)
口の中のものを牛乳で流し込み、名前は暗くなりそうな思考を振り払った。
***
お手本のようなスローイングによって飛んだダーツが、中心円のインナーブルに刺さって機械音を奏でる。
老齢のオーナーが趣味で開いている店名なきバーは、SNSで告知しようと常連客くらいしかやってこない。週末でもなければ客が一人も来ないこともザラである。今日も今日とて客のいない店内に、センスのいいジャズに混ざって名前が遊ぶダーツマシンの音が響いていた。
「あっ名前さん、ロボットが出てきましたよ」
「お、山場ですね〜」
そして店内に流れる音がもう一つ。オーナーが手にするタブレットから、店の雰囲気にそぐわない音が聞こえている。
オーナーが見ているのは定番人気らしいロボットアニメのシリーズ最新作だ。最近はどんなテレビが流行っているのかと聞かれ、世代問わず鉄板だろうと薦めた作品である。その結果それなりに気に入ったらしく、タブレットからは人気声優の悲鳴と効果音、それから銃撃戦の音が絶え間なく聞こえてくる。
ちなみに名前はそれとよく似たシリーズ名の初代が好きだ。もちろんこちらには存在しないが、実家の書斎に父が揃えたDVDがあったので、両親が死んでからは何度も繰り返し観たものだ。降谷と一緒に見て、「同じレイだね」「あっちは苗字だろ」などと話したこともある。
そういえば“安室透”のアムロって、
「名前さん、ダーツがお上手ですよねぇ」
「えっ? ああ、まあ」
名前はハッとして振り返った。オーナーがカウンターに置いたタブレットからは、アニメのエンディングテーマが聞こえている。
「ダーツも麻雀もポーカーもバカラも、大人の遊びは大体先輩達に教わりました」
「おや、悪い先輩達ですね」
「そうなんです。なかなかぶっ飛んだ人達で。でも大好きでした」
どれだけ付き合っても、彼らのようなショートスリーパーにはなれなかったが。
名前の答えにはっはっはっと朗らかに笑ってから、オーナーは「それはいい」と頷いた。
(そういえば……)
―――いつかまた会えたら、本人に直接聞けばいいさ
あの言葉の意味がわかる時は来るのだろうか。
(無理かな)
名前は心の中で嘆息してから、マシンに向けてダーツを放った。
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