18. 物騒な和気藹々



 それは赤黒く変色していた右肩の痛みが落ち着いてきた頃のこと。
 熱湯を注いだカップ麺の完成を待ちながら、名前は通話アプリでメッセージを作成していた。送信先は先日誘拐被害に遭ったというコナンである。

『最近何か変わったことあった?』

 作ったメッセージを何度も確認して送信する。
 安室が嘘をついたと疑っているわけではないが、あまりに寝耳に水な情報だったので一度確認したいと思ったのだ。

(だってコナンくん、昨日も普通に連絡くれたし……)

 しかしコナンはまだ小学一年生。トラウマを抱えながら健気に普段通り振る舞っているのだとしたら、それを刺激するのもかわいそうである。ということで遠回しな緩い聞き方を考えに考え抜いた結果、出来上がったメッセージがこれだった。

(あ、もう返ってきた)

 プーププ、と特有のバイブレーションが響く。
 通知をタップしてからカップ麺のフタを開け、中身を混ぜながら視線はスマホへ。そこに表示されたのは予想外の答えだった。

(少年探偵団のみんなが子供防犯プロジェクトのパンフレットのモデルに?へえ〜)

 これは素直にめでたい。名前は絵文字とスタンプを多用して祝福の気持ちを表明してから、『他にも何かあった?』と促した。コナンもちょうど暇なのか返信が早い。

(その件で警視庁に行ったら安室透に会ったと。じゃあ、あの日の話かな)

 警視庁で安室と会ったというのは、彼が事情聴取を受けに行って名前に会った日のことだろう。事情聴取を受ける原因となった誘拐事件のことも聞けたらよかったのだが、先程の遠回しな聞き方では仕方ない。問題はその後だ。

(……知り合いの刑事が北海道で拉致されて、その同僚の刑事がヘリから飛び降りて救出?)

 なんて?と、名前の背後に宇宙が出現した。

(えぇ〜…?これ現実の話だよね? え、フィクションじゃないよね?)

 こっちの東京もヤバそうだ、なんて思っていた名前だったが、想像以上のヤバさに背筋が冷えた。誰も歳を取らないサザエさん現象といい、やっぱり世界単位で呪われているのかもしれない。

『大事件じゃん。刑事さん無事だった?』
『救出時かなり衰弱してたからまだ入院中だけど、幸い快方に向かってるよ』

 それは何よりだが、たまに相手が小学一年生であることを忘れてしまいそうになるのが問題だ。これ、文章だけ見たら名前の方が子供っぽくないか。
 ちなみに救出された側と救出した側、二人の刑事が実は恋人同士だという裏情報も手に入れてしまった。ロマンチックだよね!というコナンの感想もズレまくっている気がするのは気のせいか。

『最近あった変わったことといえば、このくらいかな』

 コナンはそう締めくくった。いやこのくらいかな、じゃないから。

(普通なの?このくらいの事件、こっちでは普通なの?)

 ズズ、とカップ麺を啜りながら名前の頭上には疑問符が飛び交っていた。口の中のものを咀嚼しつつ、行儀悪く次のメッセージを作成する。

『コナンくん詳しいね。コナンくんたちも北海道に行ってたの?』

 いつの間にそんな大旅行に、と思いつつ聞けば、どうもそういうわけではないらしい。

(……拉致拘束されてる刑事をタブレット越しに見てたって何?)

 捜査一課の面々に混ざって警視庁で事件の様子を見てたって何?

『なんで?』

 もはやそれしか出てこなかった。
 詳しく聞くと、犯人から「刑事に渡してほしい」とタブレットを手渡されたのが少年探偵団らしい。これはコナンだけでなくメンバー全員のトラウマを心配した方がいいのだろうか、それともこちらでは小学生だからと子供扱いしないのが普通なのか。名前もコナンが呪術師であれば年齢は気にしないのだが―――
 そんなことを考えながら、名前は次のメッセージを作成した。

『巻き込まれちゃって大変だったね。怖かったよね、今はもう大丈夫?』

 次の返信はすぐには来なかった。
 カップ麺を食べ終え、続いて近所のコンビニで手に入れた桜餅に取り掛かる。小ぶりなサイズのそれをあっという間に食べ終えたところで、プーププ、とスマホが震えた。

『ボクは刑事さんたちに新一兄ちゃんのアドバイスを伝えただけだから、あんまり関わってないんだ。だから大丈夫だよ!』

 この取ってつけた感は何?と、名前は小さく首を傾げた。

(思い出したように子供らしさ出してくるじゃん)

 何か触れてはいけないところに触れてしまったのだろうか。そういえば新一ってよく聞く名前だけどコナンとはどういう関係なんだっけ。
 つらつらと考えを巡らせながら、名前は二つ目の桜餅を取り出した。




***




「えっ、殺人事件?」

 休日の昼下がり、驚きとともに出たのは賑やかなショッピングモールにはあまりに似つかわしくない単語だった。

「だって……え?みんなで伊豆の別荘にテニスしに行ったんだよね?」
「もっちろんそうよ!私だってまさかあんなことになるとは思わなかったんだから」
「結局テニスどころじゃなくなっちゃったもんね……」

 不満そうな園子に、苦笑する蘭。二人からテニスに誘われたのを「球技が苦手で」と断っていた名前は、そこで殺人事件が起こったという衝撃の事実を聞いてなぜか罪悪感がこみ上げてきた。二人が大変な時に家で一人、録画したドラマを消化しながらバイトの時間までゴロゴロしていてごめんなさいの気持ちである。

「でも小五郎おじ様がちゃーんと解決してくれたから万事オッケーよ!」
「安室さんの知識と技術もすごかったね!」
「そうそう、鍵のかかったドアもチャチャッと開けちゃって」

 それつまりピッキングでは?
 野暮なツッコミが口を突いて出そうになるのを苦笑いで誤魔化しつつ、名前は「なんかすごかったんだねぇ」と曖昧に同調した。二人が事件を引きずっている様子はないし、彼は相変わらずなんでもできる男らしい。

「あ、私ヘアオイルも買いたいんだった」

 名前がそう言うと、蘭がフロアマップを確認してくれる。三人がいるのは大観覧車で知られる杯戸ショッピングモール。こちらに来て三か月経つが、名前がここに来るのは初めてだ。
 店を移動し、陳列されたヘアオイルを物色する。コスメ類はパッケージやブランド名があちらと似ている場合が多いので、向こうで使っていた物を見つけやすいのがありがたい。もちろん何もかも同じとはいかないが。

「名前さんって肌も髪も綺麗ですよね」
「二人だってハリコシサラストじゃん〜、若〜」
「何よその呪文」
「えへ。あ、これだ」

 手に取ったのはかつて歌姫に教えてもらったちょっとお高めのヘアオイル、に限りなくよく似た物だ。

「この歳になると素材のままってわけにもいかないからねー。伸ばしてると傷みやすいし」
「髪、短くしたりしないんですか?」

 蘭に聞かれて「うーん」と考える。別に長い髪にこだわっているわけではないが、バッサリいこうと思ったことは一度たりともなかった。

「昔、綺麗だって言われたのが嬉しくて……なんとなく伸ばしたままなんだよねぇ」

 鋏を握る真剣な表情に、長い髪を滑る褐色の指先。そうした情景は時とともに薄らいでも、言われた言葉だけは何年経ってもよく覚えていた。もっとも、忘れかけていたその情景も、こちらで再会したせいかバッチリ思い出してしまったわけなのだが。

「へえ、なんだか素敵ですね」
「わかった!それ言ったのって昔の男でしょ!」

 腰に手を当ててドヤ顔で言い放ったのはもちろん園子だ。

「もー、園子ちゃんはすぐそっちに持ってこうとするー」
「だってその方が面白いじゃない。で、どうなのよ?」
「あは」
「笑って誤魔化さない!」
「それもよく言われた〜」

 だから誰によ!という追撃をへらへら笑って躱しつつ、名前は会話の中心から抜け出すべく聞き返した。

「蘭ちゃんはどうなの?」
「え?」
「園子ちゃんにはさっき彼氏からのビデオメール見せてもらったし、次は蘭ちゃんの話も聞きたいな」

 ヘアオイルのついでにトリートメントやスタイリング剤も物色しつつ、蘭に向かってにっこりと笑いかける。

「確か幼馴染なんだっけ」

 そう言っただけで蘭の頬がほわりと赤く染まった。可愛い。

「わ、私と新一は別に……」
「そうそう、高校生探偵の工藤新一君!あの推理オタク、いい加減帰ってきなさいっての!」
「あっそうだった、新一くんだ」

 よく聞く名前だと思ったらこの二人から聞いたんだった、と名前は納得したように頷いた。推理オタクという言い方はあんまりだと思ったが、なんでも高校生ながらに警察に捜査協力するほどの名探偵なんだとか。そりゃすごい。

「あんまり帰ってこないの?」
「難しい事件を追ってるみたいで……コナン君を通して事件解決のヒントをくれたりはするんですけど」

 そうなんだ、と神妙な面持ちで相槌を打つ。あっちでもこっちでも事件事件って、やっぱり物騒な世界である。ちなみにコナンと新一は遠い親戚らしい。なるほど。

「全部解決して、早く戻ってくるといいね」
「……そうですね」

 そう言って笑う蘭はどこか寂しそうだ。工藤新一、会ったことはないが罪作りな男である。

「そういえば名前さん、いつも同じピアスしてるわよね」
「ん、これ?」

 左手でそっとそれに触れれば、園子の目がキランと光る。嫌な予感。

「それって宝石でしょ?もしかしてプレゼント?男からの!」
「またそういう……。もらいものだけど、そんな色気のあるものじゃないよ」
「すっごく綺麗ですよね、それ。淡いピンクで透明感があって……なんていう宝石なんですか?」
「ピンクサファイアかしらー?ちょっと違う気もするけど……」
「えーっと……」

 宝石の話題で盛り上がるJK二人に対し、それに答えられる知識がない自分が悲しい。名前は古い記憶を必死で掘り起こしながらウンウン唸った。

「なんかパ、パ……? パがついてた気がする。ちょっと変わった名前で、」
「パ? ああ、パパラチアサファイアね!次郎吉おじ様のところで見たことあるわ」
「さっすが園子!」
「え、今のでわかったの?」

 正解がわかったとはしゃぐ二人を、名前は間抜け面で見つめていた。
 そして園子が日本屈指の大財閥である鈴木財閥のご令嬢だと蘭から聞き、名前はいろんな意味で驚きに目を丸くした。財閥令嬢ってこんなに気さくなのか。

「パパラチアサファイア……ほら、これよこれ!」

 スマホで検索したらしい園子が画面を差し出してくる。

「パパラチアってスリランカ語で“蓮の花”って意味なんだって」
「へー!」
「え」

 蓮の花。まさかそんな偶然があるとは、と名前は目を瞬かせる。

「石言葉は一途な愛、運命的な恋……ふっふっふっ、これは決まりね」
「いやいや、元々あった石を加工させてもらっただけだからそんな深い意味はないよ」

 それに、と横から画面をスワイプしながら名前は続けた。

「もらった経緯からすると、どちらかと言えばこの辺の意味の方が近いかも」
「信頼関係、覚悟、助け合い? くれたのってお友達なんですか?」
「うん、とっても大切な」
「え〜。なーんだ、残念ー」

 興が削がれた様子の園子に苦笑する。
 それにしても一つの石にこんなにも多くの意味があるとは。七海や灰原が持っていた石にはどんな意味があったのだろう。その名前すら覚えていないことを、今更ながら残念に思う名前だった。

 その後、ヘアケア用品の会計を済ませた名前たちは、店を出て再びモールの中を歩き始めた。
 園子や蘭の買い物に付き合ったり、カフェでスイーツを楽しんだりしていればあっという間に時間が過ぎていく。

「ね、あとで大観覧車乗ってもいい?観覧車って乗ったことなくて」

 ソワソワした様子で切り出した名前に、気遣わしげな視線が二人分向く。27歳で観覧車すら乗ったことがないのかと、また同情させてしまったようだ。

「もちろんいいわよ。でも観覧車くらいでそんなにテンション上がるなんて、トロピカルランドなんか行ったら大変なことになりそうね」
「私どんなキャラなの?行きたいけども」
「ふふっ、行きましょうね、名前さん」

 なんとも優しいJKたちである。歳の差忘れそう、と最高に図々しいことを考えながら名前は笑顔で頷いた。


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