19. 枯れ芙蓉と化す前に
「何もなかったよー。周りの木がどれも大きいから、それが風で揺れたのを見て勘違いしただけじゃないかな」
公衆トイレの屋根から軽々と着地し、名前は子供たちに笑いかけた。すると「ええー」と不満そうな声が上がる。
「歩美、絶対お化けだと思ったのにー!昼間だからかなぁ?」
「結局無駄に腹減っただけかよ」
「やっぱりお化けなんて非科学的なもの、いるわけがなかったんですよ!」
子供たちの様子に苦笑していると、同じく苦笑するコナンが「名前さん」と声をかけてきた。その後ろには灰原もいる。
「急に呼び出してごめんね。あいつら噂の正体を突き止めるって張り切ってたから……」
「ううん、全然いいよ。ちょっとでも気になることあったらどんどん教えてほしいし」
「うん、そうするね」
少年探偵団と名前がいるのはフットサルコートのある小さめの公園だ。そこの公衆トイレで用を足して出ると、屋根の上から黒い影に覗き込まれるという噂があるらしい。名前が心霊好きという情報がコナンから子供たちに伝わり、なんやかんやを経て「巷で話題の怪談話の真偽を全部確かめよう!」という流れになってしまった―――というのが事の発端である。
そこで放課後に一か所ずつ見て回ったところ、大体のことはコナンによって原因が突き止められ、心霊現象ではないということが明らかになったらしい。しかし最後の噂だけは物理的に確認が難しいことから名前に連絡がきたというわけだ。公衆トイレの屋根に飛び乗れる人間として認識されているのは我ながらどうかと思う、と笑顔の裏で名前は思った。
「ケーキ届くまであとどんくらいだ?」
「あと二時間くらいですね」
「じゃあみんなでサッカーしよ!哀ちゃんも!」
「……仕方ないわね」
せっかくコートが整備されているということもあって、これから子供たちはサッカーに興じるつもりらしい。コナン君も早く、と呼ばれたコナンが「おー」と応える。
「あ、名前さんもやる?サッカー」
「私はいいよー。体格違いすぎて不公平だし」
「そんなことないって。あいつらも喜ぶよ」
「そうかなぁ」
平日の中日でバーも休みだし、どうせ帰っても暇だから参加していこうか。そう決めた名前はコートに向かうコナンの後ろを歩きながら、握り締めた右手を見下ろした。そこでビッタンビッタンと暴れているのは先程公衆トイレの上で捕獲した低級呪霊である。頭部だけ異様に大きいそれが噂の原因と見て間違いなさそうだ。喉元を掴まれているのが苦しいのか、それはおぞましい唸り声を上げながら釣り上げられた魚のように暴れている。
名前は歩きながらそれをポイッと足元に投げ捨て、歩調は乱さないままにブチッと頭部を踏み潰した。跳ねた体液が前を行くコナンの足にかかって「あっ」と声が出そうになったがギリギリで飲み込む。知らぬが仏とはこのことである。
その後、大人げなく子供たちのサッカーに混ざった名前だったが、大人が一人いることが不公平になるなんて全然全くそんなことはなかった。最初は三対三だったのがその後二対四になり、それでも子供たちが不満げにブーイングする原因はコナンだ。彼の存在が完全にパワーバランスを崩している。
「コナンくん、サッカーめちゃくちゃ上手いんだねぇ」
「いやぁ、それほどでも」
コナンが使っていいのは左足のみという変則ルールなのに、全く勝てる気がしないのは何故なのか。
「その左足も封印ね!」
そんな無茶を言い放ったのは灰原だ。クールな印象があった彼女までムキになるとは意外である。そして元太の不意打ちでゲームが再開し、ゴール前でパスを受けた灰原が自信たっぷりに足を振り上げた。
「行くわよ!比護さんお得意の無回転……」
「あ」
名前が声を漏らした直後、空振りした灰原がステンと転ぶ。原因はボール付近に飛び出してきた猫だ。
「大尉じゃねーか」
コナンがその呼び名の由来とともに子供たちに紹介したのは、名前にとっても馴染みのある三毛猫だった。
「大尉先輩」
その声に反応した大尉が、抱え上げていた灰原の腕から抜け出して名前の元へ駆けてくる。
「先輩、久しぶり〜」
「名前お姉さんもこの子のこと知ってるんだね!でもどうして先輩なの?」
「とっても頭のいい子でね、リスペクトを込めて」
実際に猫としての先輩でもある。飢えから救ってもらった感謝を込めて撫で回せば、大尉も嬉しそうに喉を鳴らしてすり寄ってきた。
ふと見れば先程まで大尉を抱いていた灰原がどこか不満そうな表情でこちらを見ていて、名前はちょっと気まずい気持ちになった。ただでさえ彼女とはまともに会話もないのに、大尉の横取りで好感度だだ下がりな予感である。
「あれ?先輩、これ何……あっ」
大尉の爪に何かが引っ掛かっているのを発見した直後、大尉はするりとその場を離れてしまった。そしてそのまま公園を飛び出していく大尉。車道に飛び出して轢かれでもしたら大変だと全員で追いかけることになった。
「どこだ?」
「見当たりませんねぇ……」
「あ、いたよ!車の後ろ!」
歩美が指差したのは反対車線で路駐しているトラックだった。コンテナには「チーター宅配」「クール便」と書かれている。
その近くにいた大尉がそのままコンテナに乗り込んでしまい、一行は青信号をダッシュで駆け抜けた。トラックの運転席にドライバーの姿はなく、子供たちは冷気が漂うコンテナに侵入する。いや、いいのかそれ。
「ね、ちょっとみんな」
ここは唯一の大人として止めなくては。名前が子供たちの後を追うと、奥の方でタイミングよく猫の鳴き声がした。大尉だ。結局止める間もなく奥へ進む子供たちに溜息が出る。
「早く出るよー、私責任取れないよー」
こう見えて身分証明書一つない不審人物だ。我ながら情けなさすぎる。
その時背後に気配を感じて振り向くが、「扉開けっ放しじゃねーか」「悪い」「気ィつけろよ」などと聞こえた後にあっさり扉が閉まってしまった。やば、と焦る名前だったが、未配達の荷物が多いから大丈夫だろうとコナンは言う。冷静か。
「はぁ、寒……枯れちゃう」
「枯れるって何が?」
「言葉の綾です……」
はぁ?という顔でこちらを見るコナンが辛い。
(ん?)
走り出したトラックの揺れを感じる中、名前の視界の端にあるものが見えた。ピンと張った糸のようなものだ。その出所に目線を向けると、そこには慌てた様子でセーターの裾を押さえる灰原の姿があった。ほつれた毛糸の先が外に引っ掛かっているのだろう。名前がそれをブチッと千切ると、灰原はきょとんと目を丸くして名前を見上げた。
「大丈夫?結構ほつれちゃったね」
「え、ええ……ありがとう」
礼を言われたはいいが、ミニ丈のニットワンピが完全に単なるトップスと化してしまっている。子供といえどパンツ丸見えはショックだろう。
そこでちょうどトラックが停まったので、名前は灰原を座らせて自身もその隣に座り込んだ。直後、コナンが「何やってんだ?二人とも」とライトを向けてくる。
「ちょっと、照らさないでくれる!?」
セーターがほつれてしまって下着が丸見えなのだと、灰原は名前の陰で吠えた。慌ててライトを消したコナンに、灰原は「今出てったら許さないわよ!」と眉を吊り上げて凄む。子供とは思えない迫力にビックリである。
名前が代わりに出ていって配達員に説明しようかと思ったが、意外なことに灰原が名前のコートを掴んでぴったり体を寄せているので諦めた。どうやら壁としては役に立てているらしい。
「あ!来たぞ」
「と、とにかく隠れましょう」
コンテナの扉が開く気配があり、揃って身を隠す。そして配達員が出ていって再び扉が閉じたところで、名前は自身が着ているショート丈のPコートを脱いだ。続けてマフラーを外し、Vネックのニットプルオーバーも脱ぐ。残ったのは同じくVネックのインナーのみだ。ニットから見えないよう深めのVネックなのでデコルテが寒い。
「ちょ、ちょっと名前さん!?何してるの!?」
薄暗闇でもわかるほど顔を赤くしたコナンが制止するが、名前はそれに構わず脱いだニットを灰原に差し出した。
「哀ちゃん、よかったらこれ着てくれる?ワンピくらいの丈にはなると思うし」
「……ありがとう。助かるわ」
灰原がそれを着るのを見ながら、名前も再びPコートとマフラーを身に着ける。寒いのは苦手だし今も震えるほど寒いが仕方ない。どうせ次に扉が開いた時には外に出られるのだ。それまでの我慢。―――と、思っていたのだが。
「し、死体!?」
コンテナに積まれていた大きめのダンボールから、なんと男性の死体が発見されてしまったのだ。状況からして犯人は配達員に扮した二人の男と思われる。
(うわぁ〜、警察沙汰確実……)
名前はそれまでとは違う種類の寒気で顔を青褪めさせた。
ここから無事に出られたとして、警察による事情聴取は避けられないだろう。それは無戸籍の不審人物にとって一番勘弁してほしい状況である。
(これは扉蹴破るのも犯人伸すのもアウトかな)
オーナーに迷惑をかけてクビになったら一気に生活が立ち行かなくなってしまう。パッと見は穏やかな老人だが、経験上ああいう人種ほど笑顔で人を切り捨てられるタイプだと名前は知っている。つまりここで悪目立ちするわけにはいかない―――要するに保身である。
(こっちじゃ社会的信用ゼロだしね、私)
安室が『信用してる』と名前に口止めをしなかったのも、結局は名前の社会的信用がなさすぎて彼の脅威になり得ないからだろう、と名前は穿った見方をしていた。
それならどうやってこの状況を切り抜けるべきか。そう思って顔を上げると、死体を前に青褪める子供たちとやけに冷静な灰原、それから悪い顔で笑うコナンが目に入る。
「あの二人をオレ達が配達してやろーじゃねぇか。監獄にな……」
低く呟くコナンの姿が驚くほど頼もしく見えて名前は目を丸くした。これはもしかしたら事件慣れしているとかそういうレベルの話ではないのかもしれない。
(……私の出番、なさそう?)
本能的にそう悟った名前は、寒さを思い出して両腕をさすった。
prev|
next
back