20. 枯れ茨に実は残らず
三毛猫の大尉を追ってクール便のコンテナに潜り込み、そこで偶然にも死体を見つけてしまった少年探偵団と名前。状況を自力で打破する気満々のコナンを他人事のように眺めつつ、とにかく悪目立ちしたくない名前は刺すような冷気に耐えるのに専念していた。
「……ってことで誰か携帯電話貸してくれ!オレのは博士んちで充電中だから」
そう言って手を差し出すコナンだったが、子供たちは口々に携帯を持っていないと言う。名前も着ているPコートのポケットに両手を突っ込んだ。
「私もコナンくんに返信した後で充電5%しかないのに気付いて……充電器にスマホ差したまま置いてきちゃった」
「あ、そう……」
帰りにモバイルバッテリーでも買って帰ろうと思っていたらこのザマである。なんて役に立たない大人なのだろう、と名前は反省した。
結局唯一携帯を持っていた光彦から借りたコナンだったが、それも電池切れ寸前。知り合いの高木刑事とやらに電話するが繋がらず、続いて工藤新一のお隣さんとしてよく名前が挙がる阿笠博士にかけるも、大した話もできないうちに電池切れとなってしまった。
「くそ……、オメーら、持ってる物をオレの前に出してくれ!それで何かできねぇか考えてみっから」
白い息を吐きながらコナンが言う。どうでもいいがこの子こんなに口悪かったっけ。名前は空気を読んでツッコミを我慢し、Pコートのポケットからミニ財布を取り出した。アラサーなのに身分証明書もカード類も何一つ入っていないというのが正直恥ずかしいが、四の五の言っている場合ではない。
「軽いお出かけ用の財布だから、大したもの入ってないけど」
中身を見せつつ一応言い訳はしたものの、もちろんこれ以外の財布は持っていないので見栄っ張り感がすごい。
コンテナの床には名前の財布の他にハンカチやティッシュ、レシート、綿棒などが次々に並べられていく。
「灰原、オメーは何か持ってねーのか?」
「え?」
「ああそっか!オメーその下パンイチだしな」
ポカッと小気味のいい音が鳴り、コナンの頭にアニメのようなたんこぶが出来上がる。今のデリカシーのなさはヤバいよ、コナンくん。とばっちりを食らいたくない名前は心の中で訴えた。
気を取り直したコナンは床に置かれた物となぜか大尉を見ながら思案した後、光彦が持っていたレシートに細工を始めた。死体を意味する「Corpse」と冷蔵車のナンバーを表したそれを大尉に託すという作戦らしい。なにそれすごい。
別れの挨拶のように名前にすり寄る大尉を一撫でしてから、一行は物陰に隠れて大尉が出ていくのを見送った。
それからしばらく。いつ来るともわからない救助を待つというのは、特に子供にとっては耐えがたいものがあるのだろう。元太をはじめ、少年探偵団の面々が目に見えてそわそわし始めた。
「猫を行かせてから結構経つけど、助け来ねぇじゃんか!」
「あの暗号、難しすぎたのかなぁ?」
配達によってコンテナの荷物も減り、隠れる場所も少なくなってきている。体だけ大きくてなんの役にも立たない―――立つ気がない大人なんて、なおさらお荷物だろう。
「ごめんね、くさタイプはこおりタイプに弱いしはがねタイプにも今一つなんだよ……」
「名前さんは何を言ってるの?」
「お役に立てなくてごめんなさいの意」
とりあえず謝ってみたが罪悪感が収まらない。寒さで頭がおかしくなったか?とでも言いたげなコナンの視線を受け止めながら、名前はおもむろにPコートを脱いだ。
「名前さん?」
名前がそれを差し出したのは、顔色が悪く呼吸も浅くなりつつある光彦だ。
「光彦くん、顔色悪いね。これ羽織っててくれる?」
「……い、いいんですか?」
「いいのいいの。倒れたら大変だから」
そして唯一の防寒具となったマフラーも外す。
「このマフラーは歩美ちゃんに」
「わっ、ありがとう名前お姉さん!」
白い息を吐きながらマフラーを受け取り、首に巻いて「あったかい」と頬を緩める歩美。それからハッとしたように顔を上げた彼女は、インナーのみになった名前を見て眉尻を下げた。
「でも名前お姉さん、寒そう……」
「大丈夫。大人だから我慢は慣れてるし、助けもすぐ来るだろうしね」
とはいえ寒い。めちゃくちゃ寒い。寒すぎて一周回って寒くない気すらしてきた。一応裏起毛のインナーだが、その程度はもはや気休めでしかない。特に辛いのは丸出しのデコルテだ。
しかし警察に不審人物認定された場合に備えて、子供達を守るため死力を尽くしたという印象は作り上げておきたい名前である。つまり一連の行動はすべて保身だ。
「元太くんは?もうちょっと頑張れる?」
「お、おう」
「コナンくんは?」
「ボクも大丈夫だよ」
名前的にはどちらかがホッカイロになってくれると助かるのだが。そう思って「来る?」と両腕を広げてみたが、元太もコナンも名前の胸に飛び込んでくることはなかった。心まで冷えそう。
「くそ、ホントだったら博士んちでうめぇケーキ食べてるはずだったのによ……」
「横浜のケーキ屋さんだってさ!」
元々、有名店の限定ケーキを阿笠博士の家で食べる予定だったらしい。いいな、と内心羨ましがる名前の横でコナンが「横浜?」と聞き返した。それを灰原が肯定すると、コナンはゴソゴソと辺りの荷物を探り出す。そして手に取ったのは一つの荷物だ。
「あったぜ!博士んちに届くケーキ!」
伝票にメッセージを仕込むのだと言うと、コナンはボールペンと綿棒で何やら細工し始めた。そしてまた物陰に隠れ、犯人がその荷物を持ち出すのを見届ける。
「えぇっ!?宛名の阿笠博士の前に「工藤様方」って書いたんですか?ボールペンで?」
「ああ。これで荷物は博士の元じゃなく、隣の工藤って家にいる昴さんの所に届くはずだよ」
コナンは配達伝票が複写であることを利用し、一番下の受取人控えに今の状況を書き込んだのだと言う。名前はその説明を聞きながらきょとんと目を丸くしていた。
「……コナンくん、昴ってもしかして、沖矢昴?」
「え?あ、うん」
まさかと思って聞いた名前だったが、本当に沖矢本人だった。
「昴くんと知り合いだったんだ。で居候先っていうのがそこ?工藤さん、だっけ」
「うん、新一兄ちゃんの家だよ」
「えっそうなの?」
なんだか色々なものが繋がっていくな、と名前は不思議な感覚に目を瞬かせた。世間は狭いとはこのことか。
「……“昴くん”?」
「あ、哀ちゃんも知り合い?私一応飲み友達なの」
「飲み友達?あの人と?」
そう言いながら灰原はめちゃくちゃ嫌そうに顔を歪めた。沖矢のことが嫌いなのだろうか。小一女児に嫌われている成人男性って字面やばい。
「昴くん、いい人だよー」
「そう……おめでたい人ね」
今めちゃくちゃdisられた気がする。名前は思わずハハッと乾いた笑いをこぼした。
と、再びコンテナの扉が開いて慌てて身を隠す。そして集荷だと言いながら放り込まれた荷物を、扉が閉まると同時に駆け寄ったコナンが無遠慮にビリビリと破り開けた。それは沖矢からコナンに向けた荷物らしく、中身はなんとスマートフォンである。沖矢昴、仕事が出来すぎる。
(あ)
名前は満足そうに笑うコナンの前に仁王立ちすると、コンテナの扉をじっと見つめた。案の定戻ってきた犯人たちが再び扉を開ける。日の光を背負って立つのは二人の男だ。
「さっきと荷物の配置が微妙に変わってたから一応覗いてみたら、あの猫の他にこんな泥棒猫共が忍び込んでいたとはな……」
メガネの男が厭らしく笑い、小太りの男は半歩後ろで不安そうな表情を浮かべている。
「だ、だから言ったろ?子供の声がするって」
「ああ、悪かったよ。しかし馬鹿なガキ共だ……すぐに警察に電話すりゃーいいものを」
メガネの男は名前と子供たちをこのまま凍死させ、コンテナ内の死体と並べて難事件に仕立て上げてやるのだとドヤ顔で語る。
名前は仁王立ちしたまま、寒さで鈍った思考回路を必死で巡らせた。悪目立ちしたくないとはいえ、どうせ警察の事情聴取は避けられない。それなら。
「……みみっちいなぁ」
「は?」
「悪いことは初めて? 死体を転がしたり、わざわざ荷物を配達したり……いちいち小細工してみみっちいね」
「……なんだと?」
名前さん、と諌めるような声が背中に届く。しかし名前は男を煽ることをやめなかった。
「今だってさっさとスマホ取り上げるなりすればいいのに、長々とお喋りしてさぁ。もしかして初めて悪いことしてハイになっちゃってる?」
「お前……ッ」
「しかも相手は女子供だもんね。ヒョロヒョロと小太りのオッサン二人でもなんとかできそうでよかったねぇ」
嫌みったらしく目を細めて笑ってやれば、男の顔にカッと朱が差した。
「この…!」
ガッと乱暴に腕を掴まれ、コンテナの外に引きずり下ろされても名前は動じなかった。正当防衛を主張するためにも先に一発殴られておきたかったのだ。背後で歩美が悲鳴を上げるのを聞きながら、名前は振り上げられた拳を見つめる。
―――直後、辺りに響き渡ったのは生々しい殴打音ではなく、住宅街に不似合いなクラクションの音だった。
「すみませーん!」
男たちの向こう、白いスポーツカーから降りてきたのは褐色の美貌に人好きのする笑みを浮かべた男前だ。名前は突如現れた安室透にぽかんと口を開けて驚きを露わにする。この距離に来るまで接近に気付かなかったとは、よっぽど寒さでぼんやりしていたらしい。
「この路地狭いから、譲ってもらえますか?傷つけたくないので」
穏やかな口調とは裏腹に、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「た、探偵の兄ちゃん!」
「助けて〜!」
「あれ?君達、何をやっているんだい?名前さんまで」
安室の視線が助けを求める子供たちを捉え、続いて名前に向いた。そして掴まれたままの名前の腕を見て、形のいい眉がピクリと動く。
「知り合いか……見られちまったら仕方ねぇ、コイツらを殺されたくなかったらあんたもコンテナの中、に!?」
男の胴体に叩き込まれたのは、容赦なく振り抜かれた左拳だった。人体から出てはいけない音が聞こえた気がして、名前は自由になった手で自身の腹を押さえる。強化なしで手合わせしていた頃のことを思い出してしまった。
「言ったでしょ?傷つけたくないから譲ってくれと……」
そう安室は言うが、それが腹パンとイコールで繋がる人はそういないと思う。ドン引きする名前をよそにもう一人の犯人はすっかり戦意喪失し、コナンは安室に促されて警察に通報する。
ガムテープで男二人を手際よく拘束する安室に子供たちが目を輝かせる中、拘束を終えた安室は着ていたジャケットを脱ぐと名前に差し出した。
「なんて格好を……風邪を引きますよ」
「え、あの」
躊躇う名前を気にした様子もなく、安室は問答無用で名前にジャケットを羽織らせる。インナー一枚でキンキンに冷やされていた体が温もりに包まれて、知らず強張っていた体がほわりと弛緩するのがわかった。
「……ありがとうございます」
「いえ。子供たちに服やマフラーを貸したようですし……お人好しのあなたらしい」
最後は名前にしか聞こえないほど小さな呟きだった。いや、ほぼ保身だったけども。とは言えないが。
「にしてもよー、姉ちゃんあぶねーことすんなよな。殴られるとこだったぞ」
「ああ、僕からも見えていたよ。危うくブレーキとアクセルを踏み間違えてこの人達に突っ込むところだった」
呆れたように注意する元太に、冗談めかして言う安室。ちょっと冗談に聞こえない気もするのでやめてほしい。
「本当に危ないところでしたよ!犯人をわざと怒らせようとしてるようにも見えましたし……」
「わざと?」
「あの、ほら、正当防衛にできた方がいいかなって」
弁解する名前に、安室は「へえ」と笑みを深めた。こっわ。
「ねえねえ、探偵さんも博士んちでケーキ食べる?」
どこかウキウキした様子で話しかけてきたのは歩美だ。助かった。なぜかコナンはそれを制そうと必死の形相だが、安室は「へー、ここが噂の阿笠博士の」と興味深そうに家を見上げた。
「でも今日は遠慮しておくよ。用もあるし」
そうにこやかに笑いかけてから、安室はその笑みを名前に向ける。
「名前さんは?よかったら送りますが」
これはチャンスだ、と名前は思った。このまま安室の車に乗れば二人きり。気まずさはあるが、根付を回収したらその辺で適当に下ろしてもらえばいい。今なら警察の事情聴取も避けられる。
そう考えて「じゃあ」と口を開いたのだが、歩美がそれを遮った。
「えー!名前お姉さんも帰っちゃうの?一緒にケーキ食べようよ!」
「えっ」
「名前さん薄着だったから顔色悪いし、博士んちで休ませてもらえば?事情聴取ならボクたちで対応するから」
頼もしい追撃を食らわせてくれたのはコナンだ。そのフォロー、どっちが大人かわからない。
「え、でも」
目の前には千載一遇のチャンスが転がっている。しかしここまで言われて無理に帰るのも不自然だ。
逡巡する名前に、安室は「確かに、その方がいい」と微笑んだ。
「安室さん?」
「では僕はこれで」
そう言うや否や車に乗り込んだ安室を、名前はなんとも言えない気持ちで見送った。随分とあっさりしている、が今のはモタついていた名前が悪い。やっぱり潜入捜査中の警察官としては、安易に同業者と顔を合わせるわけにはいかないのだろう。
そして諸々を終えて満を持して登場した限定ケーキだったが、箱から出したそれは犯人たちの工作により見事に潰れており、阿笠邸には博士や子供たちの落胆の声が響くことになるのだった―――
ちなみに阿笠博士お手製のドーナツがめちゃくちゃ美味しかったのは完全な余談である。
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