22. 咲けない仇桜
モーニングもそろそろ終わろうかという頃。場所をテーブル席に移した名前は、対面に座る男を見ながら心底嫌そうに顔を歪めた。対面の男も全く同じ表情を浮かべているのがなお腹立たしい。
「話はわかったんですけど、なんかこう……人にものを頼む態度を学んでから出直してほしいって思っちゃうのは仕方ないですよね?」
「お前こそなんだその……こことは違うところから来たというのは?」
他に客のいない静かな店内で、なんとなく遠慮がちに小声で威圧しあう。非術師である安室に聞かせる話じゃないというのもある。
名前の対面に座るのは二度ほど会ったことのある呪術師の男だ。名前を猫に変えた、剣士なのか影使いなのかはっきりしろと言いたくなるこの男、真冬の川に放り込んだがやはり生きていたらしい。
男が先程言った「手を貸せ」というのは、総監部の指示で名前をスカウトしに来たとかそういうことではなかった。元々はそのつもりだったが失敗に終わり、さらに最近状況が変わってスカウトから取引へと目的を変えたようだ。
(呪詛師の集団による呪術師狩り……それによる人手不足で呪いにまで手が回らないっていうのはまあ、向こうでも覚えのある状況ではあるけど)
要は呪術師不足で野放しになっている呪霊がたくさんいるから、代わりにそれを祓ってほしいということだ。頭の固い上層部がそんなイレギュラーを許すはずがないから現場の判断だろうが、自力での情報収集を面倒に思っていた名前としてもメリットの多い提案ではある。
そしてその説明の中でこちらの御三家だとか知らない名前が色々出てきたので、世間知らずの謗りを受ける前に名前の事情を説明したところ、さすがに驚かれてしまったというわけだ。前触れなく別の世界に渡るという謎現象だが、名前の知る限り二例目だと言うとさらに驚いていた。ちなみに一例目は今カウンターの向こうで皿を洗っている男だ。
「取引自体は別にいいですよ。どうせ祓うものは祓うんで」
「! そうか、恩に着る」
「助けを求められると弱いんですよねぇ」
眉尻を下げて溜息を零せば「お人好しだな」と返ってきた。よく言われる。
「ただし、縛りを結んでほしいです」
「……わかった。条件を詰めよう」
名前は頷いてスマホを取り出した。テーブルを挟んで顔を突き合わせ、起動したメモアプリに互いの条件を整理していく。
バイトの時間帯は動けないこと、名前は今後も協会に属するつもりはないということ。報酬を受け取らない代わりに他にも色々と要求を押し通した。
「あ、定期的にお酒を奢ってもらうっていうのは?」
「お前は縛りをなんだと思っているんだ」
ダメか。名前は小さく舌打ちした。
そして名前の“帳”の成功率はあまり高くないのだが、残念ながら補助監督はつかないらしい。人手不足なのだからこれは仕方ないが。ちなみに一度術式にかかった名前の居場所は、拡張術式によって概ね特定できるそうだ。「ストーカーだ」という名前の呟きはスルーされた。
(道理で迷いなくポアロに入ってきたと思った)
名前は男の連絡先を「術師の人」で登録した。これはあくまで取引であり、組織に属する気のない名前は必要以上に関わるつもりもない。この男の身元がどうとか呪詛師がどうとかも興味がないし、そんなだから名前を覚える気も一切ないのだ。名前のことも引き続き野良術師と呼んでいいと言った時の男の顔はちょっとだけ面白かった。
「そうだ、もう一つだけ条件いいですか」
「言ってみろ」
じゃあ、と内緒話をするように口元に手を添えると、それを察した男が上体を傾けて片耳を差し出してくる。名前は男に耳打ちをするため、テーブルの上に身を乗り出した―――のだが。
二人の上にフッと影がかかり、名前はそこに立つ長身の男を見上げた。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
その笑みは相変わらず完璧だが、何故このタイミングなのか。にっこり笑う安室から若干の威圧感が漂っているようにも思えて、名前は「お願いします……」と遠慮がちにカップを差し出した。術師の男も空のカップを無言でテーブル脇に移動させる。
コーヒーを注ぐ間の沈黙もどこか刺々しく、不穏な空気がほんのりと漂う。
「ごゆっくりどうぞ」
本当にそう思ってる?と思わず聞き返したくなるのを堪えつつ、カウンターに戻る安室の背中を大人しく見送った。
他の客がいない上に小声とはいえ、喫茶店で呪い云々話すのは無遠慮だったかもしれない。早く終わらせよう。名前は内心こっそり反省すると、耳打ちはやめてメモに文章を追加した。
「?……これは、物好きな」
「いいじゃないですか。使える手は多い方がいいし」
「あれを“手”と?」
「このご時世、何が必要になるかわからないんで」
一理ある、と男が呟く。男は入力された内容を確認すると、口の中でブツブツと一通り繰り返した。
「この縛りは両者の同意をもってのみ解除され、相手の殺害は縛りを故意に破ったものと見做す」
「それでいいです」
結局どれだけの時間滞在していたのか、男が帰る頃にはポアロのマスターが出勤してきてしまった。
(どっと疲れた……)
名前は一人になったテーブル席でぐったりと脱力する。
マスターが来たということはランチタイムの準備が始まるのだろう。ランチメニューの人気も高いようだし、間もなく昼休みの社会人や近隣住民で混み合うはずだ。
(シフト終わりまで待つにも長すぎるし、また出直そ)
カップが空になるのに合わせて、肺まで空になるほどの溜息が出た。せっかく意気込んで来たのにまた空振りとは。
コートとマフラーを身に着けてから伝票を持ち、カウンター越しに立つ二人に「ご馳走様でした」と会釈する。安室にレジを打ってもらって会計を済ませ、ご丁寧にも店の外まで見送りに来てくれた彼に向き直った。
「今日はすみません。いきなり変な人が来ちゃって」
「いえいえ。……あっ」
「?」
「すみません、名前さん。少し待っていてもらえますか?」
「え?」
ドアベルを鳴らして店内に戻る背中をぽかんと眺める。そしてすぐに戻ってきた彼の手には持ち手のない紙袋が一つ。名前がジャケットを入れてきたのとは別のものだ。
「忘れるところでした、渡す物」
そう言って渡されたそれは根付一つ返すにしては大きく、中でカサカサとビニールのような音がした。テープで留められているため中身は見えない。
なんか思ってたのと違う。それが思い切り顔に出ていたのか、安室が小さく吹き出した。
「ふっ……すみません」
「いえ、あの……」
「これ、先日買い物に付き合っていただいたお礼です。喜んでもらえるかはわかりませんが……中身は家に帰るまでのお楽しみということで」
「うっ」
間近で見たウィンクが眩しくて咄嗟に目を瞑る。輝きに目を焼かれるかと思った。
そこからどうやって自宅に帰ったか、正直あまり覚えていない。なんだかふわふわした気持ちのまま、ふわふわと自宅に辿り着いてしまった。
部屋のキッチンにその紙袋を置いて、名前は改めてまじまじとそれを見る。
「……いや、まだわからないから。根付も一緒に入ってるかもしれないから」
呪力を感じないのに我ながら往生際が悪いと思いつつ、おそるおそる紙袋の口を開く。そしてその中身を覗き込んで、名前は目を丸くした。
「わ…っ」
紙袋の中にはセロファンに包まれたものが整然と並んでいる。懐かしさのあまり、思わず覗き込んだ体勢のまま立ち尽くしてしまった。
少ししてハッと我に返り、一つ、また一つと取り出してはキッチンの天板に並べていく。空になった紙袋を確認するが、残念ながら根付は入っていなかった。
「渡すものって、そうじゃなくて、いや嬉しいんだけど違くて……え、いや、なんで?」
自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきた。
名前はそれ―――小ぶりなサイズのどら焼きを手に取り、セロファンを半分ほど剥がしてじっくり眺めた。売り物のように整った形をしているがきっと手作りだ。
おずおずと口に運べばホットケーキミックスの風味と素朴な甘みが口いっぱいに広がる。記憶のそれと同じ、ちょっぴりチープだけど落ち着く味だ。かつて幾度となく作ってもらったそれに鼻の奥がツンとして、目頭がじんわりと熱を持った。降谷がいなくなった後、これを思い出したくて色んなレシピを試したりしたっけ。
(……ああもう、だから違うんだってば)
店に行った本来の目的とはかけ離れているのに、それすらどうでもよくなってしまいそうで。どうして彼と関わるとこんなにも気持ちが揺れ動いてしまうんだろう。
(そういうとこだよ、零くん)
呪術師として負の感情のコントロールには自信がある名前だが、名前のわからない感情の堪え方まではさすがにわからなかった。
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