04. 絶対距離の求め方



 昨夜出会ったばかりの、降谷零という年上の少年。名前が彼と期間不明の共同生活を送ることを決めたのはつい先程のことだ。
 出会った夜にお互いの素性を明かしたとはいえ、性格も嗜好もわからないことばかり。同じ場所に暮らす以上、ルールを決めつつもお互いに気遣い合い、譲り合う必要があるだろう。
 しかしショッピングモールからバスで帰宅し、これから遅めの昼食にしようかというまさにその時―――二人はなぜか衝突していた。

「嫌です、無理です!」
「なんでそんなに意固地なんだ」

 ガシガシと頭を掻いた降谷が、どうしたものかと溜息を吐く。一方の名前は両手を大きくクロスして「バツ」を作り、断固拒否の姿勢を貫いている。

「君だけ敬語なんてどう考えてもおかしいだろ……」
「だって年下だし」
「二歳しか変わらない。それに僕は“助けてもらう”立場の居候で、君は家主だ。君が敬語をやめる気がないなら、僕こそ君に敬語を使わなきゃならない」
「う……っ」

 この話を始めてから、目上には敬語を使うべきだいうスタンスを頑なに譲らなかった名前。しかし降谷の正論に揺らいだのか、言葉に詰まった様子で唇を噛み締めた。この男、その隙を見逃すほど甘くはない。

「僕はそれでも構いませんが?家主さん」
「!」

 わざとらしく一音一音はっきり発音しながら、降谷が名前の顔を覗き込む。端正な顔立ちから発せられる威圧感に名前はたじろいだ。この男、本当に高校生か?

「……じゃ、じゃあ、私のことは名前って呼び捨てにしてください」

 苦し紛れに捻り出した対案に、降谷は威圧をやめて「え?」と目を瞬かせた。

「それで手打ちにしましょう」
「手打ちって。じゃあ反対に、僕のことは零って呼び捨てにしてくれるのか」
「それじゃバランスがおかしくなるじゃないですか」

 なんのバランスだ、と降谷が顔を顰める。どうあっても年齢差とのバランスを取りたい名前である。

「じゃあなんて呼んでくれるんだ?」

 敬語をやめる代わりに呼び方はそのまま、と名前が答える前に、降谷がすかさず「ああ、「降谷さん」はなしで」と釘を刺す。

「……!…、れっ、零、くん…にします」

 もはやそれ以外に選択肢は残されていなかった。名前のライフはもうゼロだ。

「よし、決まりだな。今この瞬間からお互いに敬語はなし。敬語が出たらペナルティにしよう」
「ペッ!?」
「たとえばそうだな、腕立て伏せ10回とか」
「ほんとに家主って思ってます?」
「はいアウト」
「げっ」

 丸め込まれついでに早速ペナルティを課されかけた名前だったが、初回ということで特別に免除となりホッと胸を撫で下ろす。何もかも降谷が一枚上手である。
 モールで見たしおらしい姿はどこへやら。強引というか理屈屋というか。今まで名前に遠慮していただけで、これが本来の彼なのだろうか。
 降谷を帰す方法が見つかるまでという期間限定の同居だが、早くも先が思いやられる名前だった。




***




 アルミ製の雪平鍋の中で、火にかけられた熱湯がぐつぐつと踊っている。沈められているのは商品名が印字された銀色のレトルトパウチだ。
 ふと隣を見れば、袋サラダをボウルに移した降谷が一袋30円の胡麻ドレッシングをかけているところだった。指についたドレッシングを口に運ぶ姿すら人気モデルのポージングのようだ。
 庭に面した小窓からは、物干し竿に干された白い布団が太陽光を反射しているのが見える。昨夜急遽出してきて、湿気臭いまま降谷を寝かせてしまった客用布団である。
名前は視線を鍋に戻し、菜箸の先で意味もなくパウチをつついた。

「なんか……ごめんね」
「何が?」
「料理とか普段しないし、まともなもの食べさせてあげられる気がしない」

 パウチをツンツンつつきながらそう続けると、隣に立つ降谷がサラダを混ぜる手を止めたのがわかった。

「一人暮らしなんてどこもそんな感じだろ。僕も適当だよ」

 淡々としたその口調は、情けない家主を慰めているというよりは事実をただ述べているだけのように聞こえた。それを聞いた名前が顔を上げると、降谷は顎に手を当てながら「でも、そうだな」と視線を上向けた。

「居候として置いてもらう以上、僕こそ家事で貢献していかないと」
「えっ」
「取り急ぎ、料理を覚えるよ」

 当然のことのように言う降谷に、名前は慌てて「無理しなくても」と返す。しかし降谷は自信ありげに口角を上げた。

「大丈夫。要領はいい方なんだ」

 すぐに覚えると自信満々に言われてしまえば、名前は目を丸くしたまま「ありがとう」と返すほかなかった。同居を決めて一日も経たないのにもう降谷には敵わないような気がしている。
 皿に移したパックご飯にカレーをかけながら、名前は気を取り直して話題を変えた。

「あのさ、ふ……零くん」
「ん?」
「ご飯食べたら、ヒロさんがいるっていう辺りに行ってみない?」
「いいのか?」

 麦茶の準備をしていた降谷がぱちりと目を瞬かせた。

「もちろん。住所はどこまで覚えてる?」
「メールでもらったけど携帯がないからな。地区まではわかるけど、番地はさすがに」

 もちろんその地区名も、名前が知るものとは一文字だけ違うのだが。降谷は記憶を辿るように視線を彷徨わせてから、不意に「あ」と声を上げた。

「そういえば、近くに大きな図書館があるって言ってたかな」
「それなら市立図書館の辺りかも」

 市内にある大きな図書館と言えば市立図書館一択である。
 昼食後の行き先が決まったところで、二人は居間のローテーブルに向かい合って座った。それぞれ「いただきます」をしてスプーンを口に運べば、何度も食べたことのある定番の味が口内に広がる。
 カチャカチャと食器の音だけが聞こえる中、ふと思い立った名前は皿に残ったカレーをスプーンで寄せ始めた。

「行儀が悪い」

 対面の降谷からごもっともな指摘が飛んでくるが右から左である。皿の中心に丸を作り、その周りには何もない空間、そして一番外側に土手のようにカレーを配したところで、名前は「あの森のことだけど」と口を開いた。

「森?」
「鎮守の森」
「ああ……」

 頷きながら、降谷はわかりやすく眉を顰めた。意味もわからず死にかけた場所だ。無理もない。

「この一帯、ぐるっと一周縄が結んであるんだけど、あの呪霊はここから外には出てこないの」
「ああ、この空いてるのって注連縄の外側か」
「そう。ちなみにあの縄にもお札にも大した呪力は籠ってなくて、単純に呪霊の行動範囲の目印として存在する感じ。あの呪霊、あの場所に縛られてるから」

 縛りや制約の存在は術師や呪霊の力を強めるのだと説明する。降谷はへえ、と頷いた。
カレーで作った森を行儀悪くつつきながら名前は続ける。

「昔はもっと広く……それこそこのへん一帯全部森林だったらしいんだけど、何十年もかけてここまで拓かれたみたいで。工事の最中に事故が頻発して死者が出るようになってからは過度の伐採をやめて、「鎮守の森」って名前つけてお社も作ったんだって」
「社があるのか」
「この家から見て反対側、森の向こう側にね」

 呪いや呪霊の存在は知らなくとも、あの森の中心に恐ろしい何かがいることは昔話や伝承として伝えられていく。その歴史を知っているからこそ、この辺りの住人は絶対に縄の内側には入らないのだ。

「前に一度、高専の先生が見に来てくれたんだけど、等級が高いわりに受動型の呪霊だからって祓除の対象にはならなかったんだよね。資料も見せてもらったけど、人を他の場所に飛ばすような術式はなかったと思うから今回の件とは関係ないかな」

 降谷が現れた場所に何か手がかりがあればと思ったが、少なくともあの呪霊の仕業ではないだろう。

「術式って?」
「あー」

 ペラペラ喋った後だけど、そういえばこれって教えていいやつだっけ。名前は“先生”との電話の内容を思い出しながら低く唸った。
 先生が「見えているなら教えてもいい」と言ったのは呪霊と呪術師の存在、それから名前自身のことだ。今思えば、高専や呪術について詳しく話していいとは言っていなかったかもしれない。これはやらかしたか。

「えっとあの、私が呪霊倒す時に使ったみたいな……あれのこと」

 途端にしどろもどろになった名前を見て何かを察したのか、降谷は「そうか」とだけ返して深堀りはしなかった。

「ちなみに毎晩ここ走ったりしてトレーニングしてるから。だから零くんのこと見つけられたんだよ」

 話題を変えようと、皿の何もない部分にスプーンでぐるっと円を描く。

「なるほど」

 降谷は感心したように頷きながら、「毎晩か」と繰り返した。

「それなら今夜も?」
「まあ」
「じゃあ僕も付き合おう」
「えっ?」

 いくら呪霊が出てこないとはいえ、襲われた場所の近くなのに怖くはないのだろうか。
 そう問い返そうとした名前だったが、それより早く降谷がトレーニングに同行したい理由を並び立てた。曰く、趣味でボクシングを習っていて普段から体を鍛えており、体が鈍らないよう走り込みや筋トレがしたい。あの場所なら人目につかないからよそ者の降谷が走り回っていても不審者扱いされないし、舗装されていない道は膝への負担が少なく足腰を鍛えるのにも向いている……等々。

 高校生ながらに芸能人顔負けの男前で長身、弁が立って押しが強く、真面目で自信家。さらにはフィジカルも強いときた。
 この男は一日でどれだけキャラを加える気かと、思わず遠い目をする名前だった。




***




 昼食後、再びバスを待って移動した二人。名前は地元民で顔が割れているからと、市立図書館近辺での聞き込みは降谷一人で行われた。

(すごい光景だなぁ)

 電柱の陰に隠れた名前の視線の先には、わらわら群がって口々に話すおばちゃん集団と、困ったような笑顔を浮かべてそれに対応する降谷の姿がある。
 彼が自分で決めた設定は「両親と大喧嘩して家を飛び出し、遠い親戚を頼って田舎に来た少年(親戚の住所は大体しか知らない)」だ。カッコの中の無理矢理感がすごい。しかし集団から頭一つ飛び出た彼の表情を見るに、聞き込みの結果は思わしくないのだろう。

(諸伏って、そんなによくある苗字でもないし)

 「幼馴染のヒロ」は、本名を諸伏景光というらしい。夏休みの間身を寄せるという親戚も同じ「諸伏」だそうで、その苗字を頼りに聞き込みをしているのだが。

(やっぱり零くんの言うとおり、違う日本なのかな……あ)

 視界に入った別の集団に、名前は慌てて死角に身を隠した。ショッピングモールで見かけたのとはまた別の顔ぶれだ。気付かず通り過ぎてくれるのを祈って息を殺す。
 そのままじっと待つこと数分。気付けばいつの間にかおばちゃんたちの声も聞こえない。聞き込みは終わったのだろうかと思ったところで、ふっと辺りが暗くなった。

「……何してるんだ?」
「あ」

 日光を遮るように立つのは呆れ顔の降谷だ。

「帰ったかと思った」
「ごめんごめん」

 即座に謝ると、降谷がどこか疲れた表情で溜息を吐いた。やはり聞き込みは空振りに終わったようだ。

「えっと……せっかくだし図書館寄ってく?」

 きっと凹んでいるだろうと、名前はどこかソワソワした気持ちで問いかける。

「この辺ならお店も多いからお茶して帰ってもいいし。あ、甘いもの好き?クレープ専門店がオープンしたってこないだケーブルテレビでやってたよ。私はそういうとこ行ったことないんだけど、食レポ見た限りでは美味しそうだった、と思う。あと、あー、遅くなりそうなら晩ご飯は出前でもいいし、」
「気を遣ってるのか?」

 遮るように言われてギクリと肩が跳ねる。
おそるおそる顔色を窺えば、降谷は意外にも微笑んでいた。

「大丈夫。電話が繋がらなかった時点でわかっていたことだし、何度も凹むほどヤワじゃない。それにこうやって可能性を潰していく作業は嫌いじゃないよ」
「そう……なの?」
「そうやって最後に残ったものこそ真実なんだ。かのホームズの有名なセリフさ」
「シャーロック・ホームズ?」

 小説を読んだことはないが、名前くらいは知ってる。そう思って聞き返した名前に、降谷は「驚いた」と目を丸くした。

「僕の知ってるホームズも「シャーロック・ホームズ」だ。呼び方が変わらないものもあるんだな」
「何か手がかりになるかな」
「さあ。でもお言葉に甘えて図書館には寄っていこうかな」

 ホームズのシリーズに、覚えると決めた料理の本。入館する前から本をリストアップしていく降谷を追いつつ、名前は彼のキャラクターに「ポジティブ」を追加した。


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