26. 金糸雀は囀らない



 好みの系統を知りたいから元彼の画像を出せ―――手を差し出した園子にそんな主旨のことを言われた名前は、その場の人間が固唾を呑んで見守る中、きょとんと呆けた表情で口を開いた。

「元彼の画像?」
「そうそう。どんな人が好みか知るのって、やっぱり実際に好きになった相手を見せてもらうのが一番手っ取り早いじゃない?」

 そう言いながらいいこと言った感を醸し出している園子だが、一方の名前はしっくり来ていないのか未だ呆けた表情のままだ。

「そういう画像はないけど……」
「あら、もしかして別れたら全部消すタイプ?」
「そういうわけじゃ、」
「じゃあどんな人だったかだけでも!」

 グッと距離を詰めた園子に、名前は丸くしたままの目をぱちりと一度瞬かせる。

「……そもそもまともに恋愛したことないよ?私」

 ピシャァン!と漫画のような稲妻が走って、外の雲行きが一気に怪しくなる。これは一雨きそうだと現実逃避するコナンの目の前で、JK二人と梓がわかりやすくザワつき始めた。

「えっ? えーっ!?」
「そ、そうなんですか?」
「ずっと仕事仕事で、そういうの考える余裕もなかったから」
「じゃあ学生時代は?」
「高専の頃も任…実習で忙しくて。同級生も私入れて三人だけだったし」
「残りの二人は?男子?」
「男子だけど……」

 一瞬口ごもりながら、名前の表情が僅かに曇る。

「一人は在学中に亡くなって」
「えっ……」
「……そんな、」

 園子は前のめりになっていた姿勢を戻し、梓は胸元のトレンチをぎゅっと抱え込んだ。蘭もショックだったのか息を呑んで口元を覆う。
 空気が重くなったのを察したのか、名前がその話題を続けることはなかった。俯きかけていた顔をパッと上げ、その場の空気を吹き飛ばすように「ごめんごめん」と笑ってみせる。

「しんみりしちゃったね。あー、画像だっけ。元彼のはないけど知り合いと撮ったやつならそれなりにあるよ。男の人の画像見せればいいの?」

 名前はそう言うと園子達の反応を待たずにスマホを操作し始めた。
 それに顔を見合わせる女性陣だったが、本人がせっかく見せてくれると言うのだからこれに乗らない手はないと思ったのだろう。気を取り直した様子の園子がまた少し距離を詰める。

「えっと、じゃあ名前さんがイケメンって思う人が見たいわ」
「イケメンかぁ……うーん、みんな格好いいと思うけどな」
「マジ!?」

 ウンウン唸りながら画面をスワイプする名前の前に、安室が「コーヒーです」と湯気の立つカップを置く。礼を言ってぺこりと会釈した名前だったが、その目は直ぐにスマホへと戻った。やたら真剣な表情だ。
 そんな中疎外感を覚えながら安室と「降ってきたね」「そうだね」「でもすぐ止みそうだ」「うん」と他愛もない会話を交わしていたコナンだったが、存在を思い出した園子によって「アンタはあっち!」とカウンター席に追いやられてしまう。理不尽が過ぎる。

「こういう時男は肩身が狭いね、コナン君」
「ハハ……」

 カウンター席で安室と向かい合いながら、後ろで交わされる会話に意識を向ける。するとそこで、ようやく名前が見せる画像を決めたようだった。

「顔だけで言うとやっぱりこの人かな」

 コトン、とスマホをテーブルに置く音がする。

「究極の反面教師、五条さん」
「……ハッ!物凄い美形…!」
「本当!」
「わ…!綺麗な人!」

 口々に褒める声を聞きながら、コナンは半目で後ろを振り向いた。蘭まで全力で褒めているのが面白くない。一体どんな男だ。

「でも顔だけだよ、ほんとに顔だけ」
「そこまで念押しされると逆に気になるわ」
「どんな人なんですか?」
「……体は大人、頭脳は子供?」

 どんな男だ。

「子供っぽいってことですか?」
「ちょうどいい言葉が見つからなくて。着信履歴を埋める遊びとか言って仕事中に鬼電してきたり、勝手に合鍵作ってベッドに潜り込んで隣で寝てたり、そんな感じの人なんだけど……あ、そうだクズだ」

 スッキリしたと言わんばかりに名前が手を打った瞬間、カウンターの奥からミシリと不穏な音が聞こえてそちらを見る。が、そこには皿を拭く安室がいるだけだ。

「なんだかすごい人ですね……」
「他には他には?」
「他?」

 勢いに乗せられた名前がまたスマホを操作する。そして「この辺の画像、高専に遊びに行った時のだ」と言いながら、今度は先程より上機嫌な笑顔でスマホを置いた。

「学生だけど、とっても優秀な乙骨くん」
「あら、ダウナー系イケメン!」
「ミステリアスだけどノリがいい狗巻くん」
「ザ・美少年!」
「パンダ」
「パンダ!?」
「あっ真希ちゃんとも撮ってる〜。女の子だけどすっごく格好いいんだよ」

 一番説明して欲しいところの説明がなかった。そう思ったのはコナンだけではないだろう。

「あ、これ飲み会で撮ったやつだ。もう一人の同級生で、同僚だった七海くん。変なサングラスしてないバージョン」
「大人の色気がすごいわ…!」
「綺麗な金髪ですね」
「変なサングラスってどんなのですか?」

 興味津々な梓に名前が再びスマホを操作すると、サングラス有りの画像が出てきたのか「ほんとだ」と三人がハモる。どんなサングラスだ。

「あとはー……」

 さらにスッスッとスワイプしていく名前だったが、あるところで「あれ?」と呟くとその手を止めた。

「なんだろ、この動画」
「なになに?」
「サムネはブレブレだし、時間は長いし……え、なんだろ、今まで全然気付かなかった」

 どうやら身に覚えのない動画が保存されているらしい。なんだそれと思いつつ、気になったコナンは忍び足でテーブル席に向かった。そして園子の死角からこっそりテーブルの上を覗き込む。

「五条さんの悪戯かなぁ。それか私が酔っ払って何か撮ったか」
「いいじゃない、今見てみましょ!」
「でも五条さんの仕業だったら人様に見せられない内容の可能性も……」
「いいからいいから!ヤバそうだったら途中で止めてくれていいわ」

 勢いに押され、名前はテーブルのナプキンスタンドにスマホを立て掛けた。「じゃあ再生するよ」という声には心なしか緊張が滲んでいる。
 そして名前の指先が再生ボタンに触れ、動画の再生が始まった。ピントの合わない画面が小さく揺れて、飲食店なのかガヤガヤと賑やかな音声が聞こえてくる。

『伊地知ー、ちゃんと撮っとけよ』
『は、はいっ。でもこれ名前さんのスマホでは……』
『いいからいいから』

 五条さんだ、と名前が呟く。そしてようやくピントが合った画面に、サングラスをした白髪の男がにゅっと映り込んだ。

「さっきの極上イケメン!」

 興奮気味に声を上げたのは園子だ。

『どうも〜!みんな大好き、五条悟でっす!飲み会も終盤になってなかなかの惨状でーす。ほら、伊地知回って』
『えっ? はいっ』

 画面が個室をぐるりと一周し、『撮んな五条死ね』と悪態をつくベロベロの女性や、その女性にもたれかかられながら煙草を吸う女性、そして我関せずといった様子で酒を飲む金髪の―――先程名前が七海と呼んだ男が映り込んだ。

『そして注目はこちら!可愛い可愛い名前ちゃんがおねんね中でーす』

 五条が手で示した先にカメラが向く。個室の隅、折り畳んだ座布団を枕にして丸くなっているのは確かに名前だった。

『今回も硝子のペースについていこうとして力尽きたみたいだね。ってことで今から僕のキスで起こしまーす』
『本当にやったら殺すわよ』
『やだなぁ、歌姫にできるわけないじゃん。弱いくせに』
『あ!?』

 聞こえてくる怒声を気に留めた様子もなく、五条は名前のそばにしゃがみ込んだ。

『ま、歌姫は置いといて。とりあえず普通に起こしてみよっかな。名前〜』

 眠る名前の頬を五条の指がツンツンと突くが、彼女が起きる気配はない。

『ほんと触り心地いいんだよな、このほっぺ。あっはっはっ、見て見て伊地知、超伸びる』
『ご、五条さん……』
『……んん』
『あ、起きそう』

 頬を弄ばれた名前がもぞもぞと身動ぎし、その顔が五条の方向を向いた。

『……うわ、五条さんじゃん……』
『第一声それなの?』

 画面の外でギャハハハと豪快に笑うのは先程歌姫と呼ばれていた女性だろうか。

『五条さん近い……』

 力なく持ち上がった名前の手が五条の顔面にぺちんと―――当たるかと思いきや、その手が空中で不自然に止まった。

『無下限解いてください……』
『解いたらチューするけどいいの?』
『やだ』
『……お前さぁ、マジで一回ぶち犯』
『わーっわーっ』
『伊地知うるさい』
『いや、五条さん今確実に動画に残せないこと言おうとしていましたよね…?』

 動揺するカメラマンに画面がグラグラと揺れる。その時、初めて聞く女性の声が『五条』と呼びかけた。

『プリン来たけど』
『あ、食べる食べる』
『名前は?』
『起きたしもういいや。七海と交代〜』

 あっさり立ち上がった五条が画角から消えると、どこからともなく深い溜息と衣擦れの音が聞こえてくる。

『結局今回もこの流れですか……』

 声の方向にカメラが向く。画面に映し出されたのは、立ち上がってコートを着た七海がマフラーを首に巻く姿だった。

(……あれ?)

 既視感の正体にすぐ気付いたコナンだったが、名前のところに向かう七海に意識を戻す。

『帰りますよ、名前さん』
『硝子さんはー?』
『先程新しいボトルを下ろしたところです』
『ひぃ……つよ……』
『今更でしょう。あの人はザルどころかワクなんですから』
『うー』

 諭すような口調の七海に、名前は寝転がったまま両腕を伸ばした。そして慣れた様子で上体を倒す七海の姿に、動画を見ていた女性陣から「キャッ」と小さな悲鳴が上がる。

「お、お姫様抱っこ…!」
「園子、しーっ」

 園子を小声で制しながら蘭がチラチラ窺っているのはカウンターの奥にいる安室だ。好きなタイプは名前説をまだ引きずっているらしい。とはいえ相手は組織のバーボン、この程度のことで動揺するはずがないだろう―――そう思ったコナンだったが、すまし顔の安室がさっきから同じ皿を拭いている気がして瞠目した。あれれ?

『伊地知さんも、無理に付き合わなくていいですから』
『は、はい、すみません……』
『いえ、反省すべきはそこで三つ目のプリンに突入している五条さんです』

 七海は眉間に深い皺を刻みながらそう吐き捨てると、『それに』と続ける。

『こんなもの撮ったところでこの人が気付くわけがないでしょう。……筋金入りの鈍感なんですから』

 そう言う七海の声色は、それまでと違ってどこか優しかった。薄く微笑む彼に眉間の皺はすでになく、腕の中の名前を見る姿はまるで大切なものを慈しむかのように穏やかで。

『伊地知さん、この人の荷物をお願いできますか』
『あっ、はい!すぐに!』

 再び慌ただしく画面が揺れ、そこで動画は終了した。
 そして顔を上げたコナンは目を丸くした。顔を見合わせてきゃあきゃあ喜ぶ女性陣とは反対に、名前はなぜか今にも泣き出しそうな表情を浮かべていたのだ。

「……本当に気付かなかった」

 弱々しい呟きが聞こえたのはきっとコナンだけだっただろう。

「名前さん名前さん!今の人って、」
「ごめん、用事思い出しちゃった……今日は帰るね」
「えっ」
「名前さん?」

 カタ、と椅子から立ち上がった名前がコートとバッグを手に取った。

「梓ちゃん、お会計あとで一緒にお願いできる?」
「あっ、はい」

 名前は財布から数枚のお札を梓に手渡すと、戸惑う女子高生たちを振り返る。

「バタバタしちゃってごめんね」
「いえ、大丈夫ですけど……」
「にしても、こんな動画撮られてたなんて本当に気付かなかったよ」

 へにゃりと眉尻を下げた名前は、「鈍すぎるわー」と自虐しながらカラカラと笑った。

「でも今日気付けてよかったぁ。ありがとね、園子ちゃん」
「え? あ、ううん……」

 見送ろうとする梓を「いいよいいよ」と制し、名前が足早に店を出ていく。いつの間にか通り雨も止んだようだ。

「どうしちゃったのかしら、名前さん」

 ドアベルの余韻が残る中、梓が心配そうにぽつりと呟く。

「さっきの七海って人といい感じなんじゃない?それで照れ臭くなったとか」
「うーん、そうなのかしら……」
「その七海って人、もう亡くなってると思うよ」

 口を挟んだコナンに、その場の視線が集中した。

「亡くなってるって……どういうこと?コナンくん」

 蘭の目が不安そうに揺れている。コナンは先程の動画の内容を思い起こしながら、半ば確信を持って口を開いた。

「“同僚だった”って過去形だったし、動画で七海っていう人がしていたマフラー、名前さんのと同じだったから」
「マフラー?」
「名前さんのマフラー、男物なんだ。大事な友人の形見分けでもらった物なんだって」
「え……」

 その場になんとも言えない重苦しい空気が漂った。つい先程までお姫様抱っこにきゃあきゃあ言っていたのが嘘のようだ。
 特に名前をけしかけた園子は責任を感じてしまったらしく、いつになく弱々しく萎れている。

「名前さんに悪いことしちゃったかしら」
「園子……」
「ううん、そんなことないと思うよ」

 コナンは店のガラス窓から外を眺めた。日が沈み、辺りはすっかり薄暗い。

「“気付けてよかった”……それはきっと、名前さんの本心だったと思うから」

 雨上がりの湿った空気を肺いっぱいに吸い込みながら、名前は薄曇りの空を見上げていた。どこか物悲しいような、安心するような、不思議な香り。それは今も昔も好きな香りの一つだった。

「……うん、気付けてよかった」

 生きて動く七海がまた見られるなんて完全に不意打ちだ。五条もたまにはいい仕事をするらしい。
 ずび、と情けなく鼻を啜って、名前は駅に向かってノロノロと歩き出した。


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