27. 晴雨の境界を行く



 突き立てた木刀を引き抜けば、ズチュッと湿った音がする。
 帳によって夜に覆われた学校の敷地で、名前は屠ったばかりの呪霊を無感動に見下ろしていた。倒れているのはカマキリのような両腕を携えた背高の呪霊だ。術式こそ持たないものの、実力としては一級に近いものがあっただろう。

「……あーあ」

 諦めの滲む溜息を吐いて、名前は地面を踏みしめた。俯いた視界に長い髪がさらりと揺れる。

―――綺麗だな

 髪に触れる指の感触まで蘇って、無性に泣きたい気持ちになった。
 毛束とも呼べないほどのほんの一筋だが、ほんの数分前にカマキリ呪霊によって切り落とされてしまった部分がなんとも不格好で悲哀が漂う。このくらいなら普通にしていれば目立たないだろう。それでも悲しいものは悲しいのだ。アラサーにだって乙女心はある。

(揃えるなら、結構切らなきゃかな)

 またひとつ溜息を落としたところで、名前は素早く抜いた呪具を前方に向けて発砲した。蓮の花を咲かせて散った呪霊の後ろからさらに別の個体が向かってくる。

(……聞いてた倍はいるよね?)

 学校の敷地内に呪い避けとして置かれているはずの呪物が、どうも上手く機能していないらしい。これでは呪いの吹き溜まりだ。
 名前は連続で引き金を引いてから、逆の手に持ったままだった木刀を振りかぶって投擲する。ちょうど前後に並んだ二体の呪霊が頭部を失ってその場に倒れ伏した。

(次は屋上かな)

 視線を上向ければ、校舎の外壁や屋上から次々と呪霊が姿を現している。ぶっちゃけキリがない。が、大抵の雑魚は上位個体を祓うことで大人しくなるものだ。
 名前は雑魚を蹴散らしながら校舎に向かい、校舎脇に植えられていた樹木に手を触れた。幹からずるりと生み出されたのは本日二振り目の木刀である。それを片手に見上げた校舎には、太く伸びた枝や根が無数に突き刺さっている。

(呪力流しっぱなしにしといてよかった。足場にちょうどいい)

 それは本日、帳を下ろして最初に現れた大群を掃討するために使われた校舎前の植栽たちだった。
 不規則な足場をトントンと駆け上がって屋上のフェンスを越え、そこに蠢いていた呪霊たちを薙ぎ払う。
 酸性の球体を吐き出す呪霊は口を開ける前に頭頂部から縦に叩き潰し、動きの遅い個体は誘導して一か所に集めてから横凪ぎの一太刀で頭部を飛ばした。

(最後は……、下!)

 名前が飛び退くと同時に屋上の床がボコボコと隆起し、空いた穴から巨大な呪霊が顔を出す。全貌を現す前に木刀を投擲するが、呪力を籠めたそれでも一部分を弾き飛ばすのがやっとだった。
 顔の脇から出てきたのは手足だろうか。何本もあるうちの一本が名前に向かって勢いよく伸び、その体を貯水タンクへと吹き飛ばす。

「……ッ」

 轟音を立ててひしゃげたタンクから水が溢れ出す。背中を強かに打ち付けて一瞬息が止まった。どこで切ったのか、名前は額からつうっと垂れてきた血を雑に拭う。
 木刀は投げてしまったし、ここから地上に向けて呪力を流すのでは効率が悪すぎる。かといって場所を移すのも面倒だ。
 タンクから流れ出る水に全身を濡らしつつ、名前は腰から呪具を抜いて立ち上がった。

「……蜘蛛って、懐かしいなぁ」

 思わず状況にそぐわない笑みが溢れる。巨大な呪霊は蜘蛛を模した形状をしていた。蜘蛛呪霊といえば、名前の地元にある鎮守の森に棲みついていたあれもそうだった。降谷の携帯を探すためにあれから一日中逃げ回ったこともあるし、ある意味見慣れた形状とも言える。
 立ち上がった名前に、蜘蛛が忙しなく足を動かしてカサカサと向かってくる。―――前言撤回、やっぱり気色悪い。名前は嫌そうに顔を歪めながら呪具の引き金を引いた。
 向かってくる蜘蛛を横に回避しながら一発。フェンスを駆け上り、蜘蛛を飛び越えながらまた一発。そして着地と同時にまた一発。空になったマガジンを入れ替えて撃ち続ければ、青白く発光する蓮の花が蜘蛛の体表を埋め尽くした。

「キショッ」

 吸い尽くすより先に呪力が回復するため、花は大きく成長する一方だ。雑魚向けのチート技を上級呪霊に使うとこうなる。
 視界を奪われるのが煩わしいのか、呪霊は耳障りな叫び声を上げながら苛立たしげに暴れ回っている。振り回される足を回避しつつ、名前は蜘蛛の胴体へと近付いた。

―――拡張術式

 蓮の花に触れながら術名を唱えれば、体表全体を覆っていたそれが一斉に萎れて散っていく。反対に蜘蛛の体はボコボコと気味悪く波打ち、今にも破裂しそうなほどに膨れ上がった。

「……私の術式は、自分だけじゃなく相手の呪力も植物の生育に使うことができる。でも呪力量の少ない下級呪霊でもない限り、吸い上げた呪力はすぐに回復されてしまう」

 名前はオマケとばかりに術式を開示して出力の底上げを図る。

「この拡張術式は吸い上げた呪力を逆流させる。失った呪力が回復しきったそこに、花が溜め込んだ呪力を逆流させれば……」

 ギチギチに張り詰めた体を震わせる蜘蛛呪霊を尻目に、フェンスを乗り越えた名前は屋上から飛び降りた。
 登る時に使った足場に着地しながら、パン、と口の中で呟く。直後、屋上から花火のような破裂音がいくつも聞こえ、噴水のように噴き出した大量の体液が地上に影を作った。

「うぇぇ、汚いんだよな、この技……」

 降ってくるそれを浴びないようその場を離れつつ、名前は校門へと向かう。ひとまず急いで祓わなければならないものはこれで全部祓ったはずだ。
 校門まで辿り着いて背後を窺えば、そこは惨憺たる有り様だった。地面や植栽だけでなく校舎もボロボロだし、屋上の貯水タンクも使い物にならない。しばらくは学校としての機能も制限されるだろう。
 術師と手を組む前はもう少し大人しい戦い方だったのだが、人払いも修繕も補償も丸投げできるようになって元のスタイルに戻った感がある。組織に属するつもりはないが、こういう時後ろ盾があるとやっぱり楽ではある。

 帳を出て早々、名前はスマホを取り出した。力を失った呪物を回収してもらわなければならないし、あとは予定よりたくさん祓ったので何かご褒美が欲しい。報酬はもらわない契約で交通費のみタクチケでの現物支給だが、個人的に最高級のブランドショコラを箱でもらえるくらいの働きはしたはずだ。
 つらつらと考えながら着信履歴から『術師の人』を探していた名前だったが、電話をかけるより先に一通のメールを受信した。送信元はオーナーだ。

「………えっ?」

 内容を確認した名前が、たっぷり間を空けてから声を漏らす。

「ぎっくり腰?」

 それはオーナーがぎっくり腰になったことにより、二週間ほどバーを閉めることを知らせるものだった。




***




 店の外に出た途端、キンと冷えた外気が全身の熱を奪っていく。

「さむ〜」

 三月に入って暦上は確かに春に向かっているというのに、夜の空気にはまだ冬の気配が色濃く残っていた。マフラーを巻いてくればよかっただろうかと思いつつ、名前は平日のやや閑散とした繁華街をのんびり歩く。
 スペインバルでビール欲と食欲をしっかり満たしたので、次は日本酒と焼酎でゆっくりするのもいいかもしれない。急遽バイトが休みになった名前は、久々の飲み歩きを満喫していた。

(一人客、私だけだったなぁ)

 先程のスペインバルでの様子を思い出す。店内は女子会やカップルなどグループ客ばかりだった。一方あちらでは出張任務が多かった名前は、知らない土地での一人酒にも抵抗はない。むしろ人と飲む機会の方が少なかったくらいだ。

(ちょっと浮いてたかな。次は立ち飲み居酒屋でもハシゴしよ)

 一人でも浮かない店を探すため、足を止めてスマホを取り出す。続けて検索画面を起動しようと指を滑らせるが、よく知るあの気配に気付いて指が止まった。

「……これって」

 顔を上げると、そこはこじんまりとしたバーの目の前だった。ドアの向こうから気配がどんどん近付いてくる。寒さに冴えたはずの思考がピタリと止まってしまい、名前はスマホ片手に立ち尽くしたままその場を動けなかった。
 名前が見つめる先で、重厚な造りのドアが思いのほかあっさりと開く。

「まったく……二軒目はペースを抑えろと言っただろう」
「いえっ、まだ大丈夫です……まだ飲めます…!」
「せめて自分の足で歩いてから言ってくれないか」
「歩けますっ」
「フラフラで何を言ってるんだ、君は」

 男に肩を貸しながら出てきたのはグレーのスーツに身を包んだ安室透だ。呆れ混じりの溜息をこぼした安室が、店の前に立つ名前に気付いて目を丸くする。

「名前さん」
「ど、どうも……」

 それまでぶっきらぼうな上司然としていた安室の表情が、パッといつもの笑顔に切り替わった。

「奇遇ですね。待ち合わせですか?」
「あーいや、一人で飲みながらプラプラと」
「おや、そうなんですか」

 安室はそう言うと肩を貸している男に視線を向けた。

「彼は僕の探偵助手で、飛田といいます。今日は難しい仕事を終えた慰労で飲みに」
「ひ、飛田男六です」
「苗字名前です。男六さんって渋いお名前ですね」
「はあ、どうも……」

 飛田と呼ばれた男は一人で立とうとしているようだったが、どうにも足元が覚束ない。よっぽど無茶な飲み方をしたのか、それとも寝不足や疲れが災いしたのか。一方の安室は全く酔っていないように見えるのがさすがである。

(ていうかスーツ姿初めて見た。めっちゃくちゃ似合う……)

 流行に左右されないスタンダードなシルエットも、長身の男前が着るとこうもスマートに決まるのか。ポアロのエプロンがないからか足の長さもいつも以上に際立っていて、バーカウンターにちゃんと収まっていたのか心配になるほどである。
 ついまじまじ見入ってしまった名前だったが、安室に名前を呼ばれてハッと顔を上げた。

「よかったらこの後一緒にいかがですか?飛田はタクシーに乗せてくるので」
「えっ」
「えっ、ふ、安室さん!今日は自分のお祝いだと…!」
「一人で歩けなくなるほど飲んだんだ。もう充分だろう」
「そ、そんなぁ」

 飛田が赤い顔でシュンと肩を落とす。硝子のペースについていこうと必死だった自分を見ているようで、名前はなんとも言えない気持ちになった。わかる、わかるぞ飛田。

「この先に雰囲気のいいジャズバーがあるんです。店の名前を送っておくので、先に入っててください」
「え?あの、私」
「それじゃ、また後で」

 安室はニッコリといい笑顔で言って背を向けた。飛田に肩を貸しつつ、反対の手でスマホを操作しているのが見える。
 直後、手に持ったままだった名前のスマホがブーブーと震える。通知を確認すれば案の定安室からで。

「いや、強引……」

 爽やかで優しくて可愛いあむぴはどこへ行ってしまったのか、「え」か「あの」くらいしか言わせてもらえなかった。

(ていうかさっき飛田さんが言いかけてたのって「降谷」だよね?)

 二人の佇まいといい安室の口調といい、探偵助手というより公安の部下と考えた方がしっくりくる。でもそんなこと今はどうでもよくて。

(バーって……私の日本酒は?焼酎は?)

 これ無視したらダメなやつだろうか―――
 名前は遠ざかる二人の背中を見つめながら、しばらくその場で途方に暮れていた。


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