28. 酒入舌出のおそれあり



 やや赤みがかった琥珀色の液体が、小さなグラスを満たしている。名前はその揺らめきをじっと見つめてから、舌先で転がすように口に含んだ。

「おいしー」

 でもビールの方が好き、という本音は心の中にそっと隠しつつ、少しずつ時間をかけてバーボンを味わう。
 結局、安室に指定されるままにまんまと店に来てしまった名前は、一人酒を楽しみつつ安室との合流を待っていた。
 店の客は年齢層がやや高め。モダンなインテリアに控えめな照明が落ち着いた空気感を演出している。店内に設置された簡易ステージでは平日にもかかわらずジャズバンドの生演奏が行われていて、なんて贅沢な空間なんだと名前は感心していた。

(公安御用達のお店だったりして)

 公安の警察官は飲食できる店が限られている―――というのは本で読んだことがある。安室が強引に店を指定したのもそうした事情があるのかもしれない。
 演奏中の店内では他の客の会話も聞こえないし、こうも音に満ちていては盗聴も難しいだろう。内緒話にはピッタリの空間である。

(なんて、ドラマの見すぎかな)

 名前はふわっとした思考を締め括り、バーボンの後はスコッチ、そしてライと飲み比べるように酒を変えた。残念ながらかろうじて違いがわかる程度のニワカだが、バーを満喫している気分になれてわりと楽しい。
 そしてライウイスキーのニートを半分ほど飲んだところで、名前は後ろを振り向いた。こちらを見る青い瞳がぱちりと瞬いて、それから柔らかく細められる。

「やっぱり、分かっちゃうんですね」
「……たまたまです」

 笑って誤魔化す名前の左隣に安室が座る。幸い、その長い脚もちゃんとバーカウンターに収まるようで安心した。

「一杯目は同じものをもらおうかな。それ、ウイスキーですか?」
「ライです。ワイルドターキーの」

 ピシ、と安室の笑顔が固まった。

「やっぱり僕はスコッチで」
「同じのにするって言ってませんでした?」
「気が変わりまして」

 秒で変わるじゃん。名前はスコッチのニートを注文する横顔を半目で見つめる。

「飛田さん大丈夫でした?結構酔っ払ってたみたいでしたけど」
「ええ、無事に帰りましたよ。今日は珍しく飲みすぎたようで」
「普段はそうでもないんですか?」
「真面目で優秀な男ですから。今日は僕が無礼講と言ったために気が緩んだようですが……」

 そう言って苦笑する安室は部下を思う上司の顔をしていて、名前は内心ほっこりした。
 グラスに残る酒をグイッと呷った名前に、安室が「名前さん?」と目を丸くする。

「私も乾杯用に次のお酒もらおうと思って」

 名前は空になったグラスをコースターから下ろし、新しい酒を注文した。次はカクテルにしよう。
 しかしほろ酔いで上機嫌な名前とは反対に、安室の眉根が僅かに寄る。

「あの、名前さん」
「はい?」
「それがどういうカクテルかご存知なんですか?」

 名前は笑顔が消えた安室を見て首を傾げた。

「ボイラーメーカーって……ビールとバーボンのカクテルですよね?最近教わったんですけど、飲みやすいし美味しいですよ」
「飲んで悪酔いしたことは?」
「ないですけど」
「……なら、いいんですが」

 いいと言いながらもどこか不満そうだ。
 まず安室が注文したスコッチが出てきて、次にボイラーメーカー用のロンググラスが登場する。そこにビールが半分ほど注がれるのを名前は気分よく見つめていた。

「あなたにそれを教えたのは男性ですか?」
「えっ、なんでわかるんですか」

 それはまだウイスキーに苦手意識があった頃、沖矢に教えてもらったカクテルだった。
 名前は聞きながら隣を見るが、安室の視線はバーテンダーの手元に向いたままだ。ロンググラスの隣にショットグラスが置かれるのを見て、名前もまた正面に向き直る。

「ボイラーメーカーはアメリカ生まれのカクテル……手っ取り早く酔っ払うための飲み物として、発電用ボイラーの建設作業員たちが考案したと言われています」
「なるほど、男の酒って感じですね」

 バーボンをなみなみと注いだショットグラスが、ビールの入ったロンググラスに落とされる。途端にシュワッと泡が広がり、その爽快な光景に名前は頬を緩ませた。

「派手な見た目と飲み口の軽さが魅力ですが、量が多くアルコール度数が高いために悪酔いの原因にもなりやすい……僕なら女性には勧めませんね」

 完成したボイラーメーカーがコースターに乗るのを見届けてから、名前は隣の安室を「もしかして」と見上げる。

「心配してくれてるんですか?」
「……ええ、まあ。余計なお世話かもしれませんが、炭酸入りの酒は飲むペースも早くなりがちですから」

 確かにその表情は、不機嫌というより気遣わしげだ。
 名前はふふっと笑って、ショットグラスの沈んだロンググラスを手に取った。それを「お疲れ様です」と安室に差し出せば、一瞬の間の後、安室もまた同じように「お疲れ様です」とグラスを近付けてくる。チン、と控えめな音が二人の間に響いて消えた。

「すば、えーっと、その人飲み友達なんですけど、洋酒が飲み慣れないって言ったら、ビール好きなら挑戦しやすいカクテルだって教えてくれたんです。私結構強いから、これくらいなら悪酔いしないし」

 そう言って喉越しを楽しむようにグビッと呷る。ビール特有の口当たりの軽さに、バーボンならではの華やかで深みのある味わい。確かに調子に乗って飲んだら危険なやつではある。

「ホォー……先日ポアロで再生していた動画では、酔っ払って寝ていたように記憶していますが」

 スコッチを口に運びながら、安室がどこか意地の悪い笑みを浮かべる。名前は一瞬ウッと言葉に詰まってから「あれは例外です」と弁解した。

「先輩達と飲むとついつい甘えが…。あれ一升瓶二本空けた後なんですけど、そのくらい飲むとさすがに眠くなっちゃって」
「二本ですか、それは凄いですね」
「でしょ?周りが酒豪ばっかでショボく見えるだけなんです。強いんです私、ほんと」
「あまり強い言葉を……ってなんのセリフでしたっけ」
「それはブリー、あっ」

 素で答えそうになってハッとする名前に、安室が顔を背けて小さく肩を震わせた。
 そういえば一緒に住んでいた頃、降谷に貸した本や雑誌の中にあの漫画もあった気がする。アニメも一緒に見たような。こちらには存在しない作品だろうによく覚えているものだ。

「なんですか?酔っ払いチェックですか?私なんて酔ってなくてもこんなもんですけど」
「ふっ、いえ、すみません。ああそうだ、ボイラーメーカーのバーボンをテキーラに変えると「サブマリノ」、焼酎に変えると「爆弾酒」というカクテルになるそうですよ」
「えっなにそれ面白い」

 飲む!と目を輝かせる名前に安室がまた可笑しそうに笑う。強い酒を勧めるということは、どうやら酒に強いアピールは信じてもらえたようだ。

「あ、安室さんもこれ食べます?」

 名前は一人酒中に頼んでおいたナッツとチョコレートの盛り合わせを安室に勧めた。食事は済ませたがおつまみは別腹である。

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
「ただのナッツもこういうところで食べると異様に美味しいですよね」
「ああ、わかる気がします。普段一人だと、人に食べ物を用意してもらえるだけで特別感があって」
「それだ〜」
「名前さんは普段自炊を?」

 なんてことない会話の流れで、その質問は矢のごとく名前に突き刺さった。

「んん、まあ」
「おや、急に歯切れが悪くなりましたね」
「いやいやそんな」
「ちなみに今日の朝食は?」
「あんパンです」

 名前は正直に白状した。

「昼食は?」
「……も、あんパンです……」
「あんパンをサプリか何かと勘違いしてますか?」
「んなわけないじゃん」

 祓除終わりに何か買って帰ろうと思ってたのに、服が薄汚れた上に濡れてしまったからタクシーで真っ直ぐ帰ったのだ。これは仕方ないはず。

「でも私、小豆はギリギリ野菜だって思ってるんです」
「穀物ですよ」
「分類上の話じゃなく」

 ほら、栄養も豊富だし!と名前が力説する。

「小豆に夢を見過ぎでは?」
「小豆のポテンシャルを信じてるので」
「小豆はそんな期待望んでないと思いますけど」

 なんの話だっけ、これ。
 続いて昨日の夕食も聞かれて素直にインスタントラーメンと答えた名前だったが、「まさか麺だけということはないですよね」と疑り深く聞かれてきょとんとする。

「麺だけって……あ、何かトッピングしたかってことですか?しないですよそんなの、めんどくさいし」
「炒めた野菜を乗せるとか」
「え、しないでしょ……?」
「僕ならしますが……」
「え……」

 わかった、その顔「昔一緒に料理覚えただろ、なんでやらないんだ」って言いたい顔だ。名前は瞬時に理解した。
 人のためなら作るが、自分のための料理は面倒臭い。これって結構あるあるなのでは、と思う名前だったが、その後「一人で料理しているとあれこれ試したくなって作りすぎてしまい、結局飛田にも食べさせることになる」という安室あるあるを聞いて愕然とするのだった。この男、格が違う。



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