29. 揺れる池見草



「本当に強いんですね、名前さん」

 感心したように言う安室こそ、三軒目らしいのに顔色一つ変わっていない。

「でしょ〜、もっと褒めてくださーい」
「でもいつもより随分とご機嫌だ」
「そりゃまあ、酔っ払いなので」

 酒に強いのと酔わないのはイコールじゃない。むしろ酔えないなら酒なんか飲む意味がない気がする。
 宣言通りサブマリノと爆弾酒にも挑戦した名前は、すっかり酔っ払ってそれまで以上に上機嫌だった。
 店内は先程までと変わらずしっとりと落ち着いた雰囲気だが、生演奏と曲の合間に聞こえる拍手が平日とは思えない活気を漂わせている。

「安室さんはー?酔ってます?」
「そりゃまあ、多少は」
「あはっ、多少〜」

 何がおかしいのかケラケラ笑う名前に、返しに困ったらしい安室が苦笑する。二人で仲良く分け合ったナッツとチョコレートの盛り合わせも、そろそろ空になりそうだった。

「おつまみどうしよっかな」

 チョコレートを口に運びながらぽつりと呟けば、「よく食べますね」と返ってくる。これは多分褒められてない。ジト目で隣を睨みつけた名前だったが、爽やかないい笑顔が返ってきてウッと目を閉じた。おかしいな、暗めの店なのに目が眩むなんて。

「そういえば、名前さん。この前ポアロで園子さん達としていた話ですが……」

 話題が変わり、名前はもぐもぐと口を動かしながら隣を見上げる。

「名前さんの好みのタイプって、結局どんな人なんですか?」

 そういえばそんな話してたっけ。名前は少し前の記憶を辿りつつ、酒でチョコレートを流し込んだ。

「……それ、ほんとに知りたいと思って聞いてますー?」

 目が据わっている自覚はある。
 そんな話題の何が気になるというのか。そう思って聞き返したのに、安室はニッコリ笑って「もちろん」と即答した。

「ええ……あんまりそういうの考えたことないんですけど」

 名前は行儀悪く頬杖をつき、酒で鈍くなった思考をぐるぐると巡らせた。この質問、昔も一度答えたことがあるような。相手は多分五条で、その時は確か―――

「……真面目で優しくて、面倒見がよくて、あとなんだっけ。えーっと……ああ、厳しいけど大事にしてくれる人、だったかなぁ」
「だった、というのは?」
「昔酔っ払った時、先輩相手に語ったらしくて」

 えへ、と照れ笑いを浮かべてから名前は思い出した。これ降谷零のことなんだった。照れ笑いがガチ照れに変わるのに一秒もかからなかった。

「へえ、随分と具体的ですね」
「あっあはは」

 やめよ、この話題、すぐやめよ。名前は動かない脳味噌を必死に働かせて言葉を絞り出した。

「あ、安室さんは!安室さんはどうなんですか?」
「僕ですか?」

 僕です、と必死に頷けば安室が顎に手をやって考え込む。

「僕は確か、優しくて頑張り屋な女性って言いましたね」
「言いました?」
「園子さんに聞かれたので」
「へー」

 それはもしかして、名前が園子に聞かれたのと同じ日の話だろうか。安室透らしくちょっぴり照れた演技でもしてみせたのだろうか。

「僕も具体的に言うとしたら、そうですねぇ……」

 名前が照れ顔の安室を想像していると、安室はそう言ってまた少し考え込んだ。具体的って、一体何が飛び出すのだろう。名前はその横顔を見つめながら続きを待つ。
 その視線に気付いたのか、こちらを向いた安室がふっと優しく頬を緩めた。意志の強い瞳が柔らかく揺らめくのが見えて不覚にもドキッとする。

「優しいというよりお人好しで、一緒にいると気が抜けるというか、自然体でいられるというか……たまに危なっかしくて放っておけない感じの人ですかね」

 名前はゆるふわ癒し系のドジっ子を想像した。

「そんな人、この東京で生きていけます?」

 ニュースを見れば大体人が死んでるこの物騒な東京で、そんなふわっとした女性が果たして無事に生き抜けるのか。その辺歩いてたらあっさり事件に巻き込まれそうだ。この多忙な男がそんな女性をご所望なんて、ちょっと自分を追い込みすぎじゃないだろうか。
 そう思って真顔で聞いた名前に、安室は彼らしくもなくブッと盛大に吹き出した。

「安室さん?」
「ふっ、すみませ……っ、」
「めちゃくちゃ笑うじゃん」
「っはは、いや、名前さんらしいなと…っ」

 涙滲ませるほど笑う姿なんて、見たことあったっけ。
 何がそんなにツボに入ったのだろうかと不思議に思いつつ、名前はその隙に新しくおつまみを注文した。ヘルシーなピクルスの盛り合わせを選んだのでツッコまれないだろう、多分。
 結局安室の笑いが収まったのは、ひときわ大きな拍手が沸き起こった頃だった。店の奥を見れば演奏を終えたバンドがステージを後にするところで、一人残った女性ピアニストがソロでの演奏を開始する。

(あ、黒もいいな)

 名前が見ていたのは女性というよりそのドレスだ。タイトなロングドレスはスリットががっつり入っているが、ハイネックで胸元の露出がないからかいやらしさを感じない。

「安室さん。私、何色のドレスなら似合うと思いますか?」
「ドレスですか?」

 突然の質問に安室が目を瞬かせる。

「バイト先のオーナーがぎっくり腰になっちゃって、よくなるまでオーナーがやってるクラブやラウンジを手伝ってほしいって頼まれたんです」
「なるほど、それでドレスを」

 はい、と頷く。

「前に一度手伝った時はお店のを借りたんですけど、今回は私用に新調してくれるらしくて」
「前回はどんなドレスだったんですか?」
「赤です。真っ赤なマーメイドラインのロングドレス」

 ミシッと何かが軋む音がした。

「ホォー……赤ですか」
「デザインは好きだったんですけど、ヘルプのくせに目立って目立って」

 その時のことを思い出して苦笑する名前に、安室が「なるほど」と短く返す。なんだか漂う空気が冷ややかな気がして首を傾げるが、名前が口を開くより早く安室が続けた。

「赤はやめましょう。名前さんにはもっと落ち着いた色の方が似合うと思いますし……何より僕、赤は嫌いなんです」
「そうなんですか?」

 そうだったっけ?と記憶を掘り起こしてみるも思い当たる節はない。

「ええ、とっても嫌いなんです。いっそ憎しみさえ感じるほどに」
「めちゃくちゃ嫌ってる……」

 めちゃくちゃいい笑顔なのに、めちゃくちゃ嫌ってる。さすがにそんなに嫌っていれば覚えていると思うので多分初耳だ。
 こちらに戻った後で赤に親でも殺されたのだろうか。と、知らないうちに当たらずとも遠からずなことを考えつつ、名前は真っ赤なパプリカのピクルスをシャクシャクとかじった。

「落ち着いた色かぁ。やっぱり黒か、あとはロイヤルブルーとか……」

 呟きながら、パラ、と顔にかかった横髪を耳にかける。すると安室が「あ」と小さく声を漏らした。

「その怪我、どうしたんですか?」

 え、と隣を見れば、安室の視線が名前の額辺りに向いている。怪我なんてしたっけ、ときょとんとしてから、名前は昼間の戦闘で額の端が切れたことを思い出した。そういえば特に手当てもしていなかった。

「あー……」
「それに髪も。ここ、どうしたんです?」

 耳にかけたことで呪霊に切られた部分が露わになったのか、安室が不揃いな毛先を手に取った。

「わかります?」
「よく見なければわからないくらいだとは思いますが」

 よく見なければわからないくらいのを瞬時に気付くのが降谷零だな、と名前は思った。

「昼間、ちょっと切れちゃって。このくらいで美容院行くのもなー、とか……」

 耳にかけた横髪をサッと下ろせば、安室の手からもさらりと髪がすり抜けていく。
 切られた髪も額の怪我も、あまり彼に見られたいものではなかった。そう思ったのに、褐色の長い指が横髪をそっとすくい上げ、傷に障らないよう優しい手つきで再び耳にかけていく。指先が耳やこめかみに触れるくすぐったさに、名前は思わず肩を竦めた。

「……安室さん?」
「よかったら僕が揃えましょうか」
「えっ」
「女性の髪を切るなんて随分昔に一度やったきりなので、腕前に自信があるわけじゃないんですが」

 灰青色の瞳が真摯に見つめてくるのを、名前はぽかんと口を開けたまま見つめ返した。

「……一度だけ?」
「はい、高校生の頃に」
「へ、へえ……」

 ふいっと視線を逸らし、カウンターの上に視線を彷徨わせる。

(あれが最初で最後なんだ、ふーん……)

 嬉しいような照れ臭いような、むずがゆい気持ちが湧き上がって落ち着かない。なんだか酔いも醒めてしまったような気がして、名前は慌てて酒を呷った。シラフじゃ正気でいられない。

「もちろん、名前さんが嫌じゃなければ」
「え、いや、ありがたいですけど……でも、どこで?」
「閉店後のポアロを少しだけ借りられないか、マスターに相談してみましょうか」
「おお……」

 非日常感溢れるシチュエーションに、ついワクワクしてしまった。
 この先のことを考えればいちいち胸を高鳴らせている場合じゃないのだが、今だけ、少しだけと、また決意がグラグラ揺れる。

(でも、根付のことを聞くチャンスと考えれば、まあ……)

 心の中で言い訳しながら「お願いします」と頭を下げた名前に、安室は「喜んで」と微笑んだ。
 先の約束ができたことなんて喜ぶべきじゃないのに、胸が弾んでしまうのもきっと酒のせいだ。

(……あ)

 店内が演奏終わりの拍手に包まれた瞬間、名前はカウンターの向こうにバーテンダーがいないことに気が付いた。ちらりと視線を走らせれば、テーブル席の客となにやら話し込んでいるのが見える。拍手はまだ終わらない。どうやらこれが本日最後の一曲だったらしく、ステージ上のピアニストが向きを変えながら何度もお辞儀を繰り返している。
 ―――これ、わりとチャンスなのでは。

「安室さん」

 名前を呼ぶと、灰青色の瞳が名前を捉える。名前は少しだけ距離を詰めて、聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で話しかけた。

「ちょっと聞きたいんですけど」
「なんですか?」
「安室さんって、昔私が作った」

 根付持ってませんか。ストレートにそう聞こうとしたのに、「シー」と口元に指を立てる安室を見て言葉が止まった。
 そしてその整った顔が近付いてきて、名前の耳元で小さく囁く。

「その話は、二人きりの時に」
「!」

 名前はバッと耳を押さえて椅子から落ちるギリギリまで体を離した。酒とは関係なく、ぶわりと顔が熱を持つ。きっと真っ赤な顔をしているに違いない。
 安室は名前のその反応を見て、満足そうに目を細めて笑った。

「あ、安室さん…!」
「その表情を引き出したのが僕だなんて、なんだか自惚れちゃいますね」
「……なんか楽しんでません?」
「はは、バレましたか」

 無邪気な笑みに脱力してしまう。少年のように悪戯っぽく笑う姿が、まるであの頃の彼のようで。
 気付けば拍手も終わっていて、店内にはゆったりとしたBGMが流れていた。名前は気を取り直し、落ちかけていた体勢を戻す。

「安室さん、もしかして酔ってます?」
「そりゃまあ、多少は」

 それは先程も聞いた返しだった。が、さっきより楽しげな表情ではある。酔っているなら酔っているで、もっとわかりやすく顔に出してほしい―――なんて無茶なことを思ってしまうのも仕方ないだろう。

(だってこれじゃ、私ばっかり動揺してて馬鹿みたいじゃん……)

 名前は渦巻く心情を誤魔化すように、熱っぽい顔をパタパタと煽いだ。



prevnext

back