06. 炎夏の先生ごっこ



「……もしかして、初めてか?」

 信じられないという表情で問いかけてくる降谷に、名前はへらりと曖昧に笑って誤魔化した。

 頭には買ったばかりの黒いキャップ、首元にはタオル。長袖長ズボンに軍手という出で立ちの降谷の手つきは淀みない。一方、名前の手元からは断続的にプチンプチンと間抜けな音が聞こえていた。

「根から抜くんだぞ」
「わかってるけど」
「丁寧にやらないと表出している葉と茎だけが千切れて―――」
「わかってるってば」

 つば広の帽子の下で名前は唇を尖らせる。自分は決して不器用ではない。むしろ手先は器用な方なので、コツさえ掴めば手際もきっとよくなるはずだ。そう心の中で言い聞かせながら名前は草をむしり続けた。

 二人がいるのは家の裏手、三方を塀に囲まれた庭だ。家の正面は車を停めることが多かったことから砂利が敷かれているが、こちらは土のままなので雑草が生え放題、伸び放題である。庭に木は一本もなく、目に見える範囲がただただ雑草で覆われているだけ。正直、ここだけ見たら空き家にも見えそうだ。それは名前にもわかっていたが、どこから手をつけていいかわからず長い間放置されたままだった。
 その現状を見かねた降谷が草むしりを買って出て、彼一人でやらせるわけにはいかないと名前も渋々庭に出て今に至る。

 そしてもちろん、ただひたすらに草をむしるだけの時間ではない。

「で、さっきの続きだけど。君の術式は自らの呪力を植物に与えて急速な生育を促すのと、呪力を籠めた植物を媒介として相手の呪力を吸い取るという二通りの使い方ができる。そう言ってたな。他には?」
「その二つが基本だよ。応用は考え中」
「森で僕を助けた力が前者で、家の前で呪霊を倒した力が後者か」
「うん」

 名前の術式―――“木花もっか操術”を例とした、生得術式の講義である。
 術式の開示にはリスクを伴うが、降谷が帰る方法を探す手がかりとなる可能性もある。助けると決めたのだから多少のリスクは織り込み済みだ。降谷が窓候補となった今、情報を与える口実もできた。

「呪力を与えている間は原理も仕組みも無視して育ち続けるし……」

 ぺたりと地面に手のひらをつければ、蒼と黒の入り混じった呪力が辺りに迸る。その直後、手のひらより少し広いくらいの範囲で雑草が一斉にその背丈を伸ばした。そしてしゃがみ込んだ名前の鼻先辺りでピタリと生育が止まる。

「呪力を籠めっぱなしにすればその状態を保っておける」

 成長が止まった草に呪力が籠り続けているのは降谷も視認できているだろう。

「そして、呪力の供給を絶つと―――」

 言いながら、呪力を籠めるのをやめる。すると大きく育ったそれは見る見るうちに茶色く変色し、あっという間にボロボロと朽ちて地面に散らばった。

「なるほどな」

 一連の流れを食い入るように見つめていた降谷が、諦めたように苦笑した。

「どうかした?」
「いや……やっぱり目の前で見ると諦めがつくな。元々呪いとかそういう非科学的な事象は信じないタイプだったけど」

 どうやら話として納得はしていても、信じたくない気持ちも強かったらしい。

「まあ、そうだよね」

 名前も同じく苦笑する。そう簡単に呪いを受け入れられる世の中なら、そもそも呪いなど生まれないのだ。

「そういえばその力、この状況で使えないのか?」
「え?」

 思いついたように話し出した降谷に、名前は目を瞬かせる。提案された内容は、名前が考えたこともないもので。

「できるとは思うけど…?」
「それができれば一気に楽になる。物は試しだ、やってみよう」
「いや、えっ?待っ」

 言うが早いか、降谷は首元のタオルで汗を拭うと家の掃き出し窓を開けてサッシに腰かけた。靴を脱いで胡坐をかき、見るからに準備万端である。出たな強引マン。

「ええー……もう……」

 短い付き合いだが、すでに降谷に勝てると思えない名前は早々に反論を諦めた。膝に手をついて立ち上がれば、曲げっぱなしだった腰から中学生とは思えない音が鳴る。
 しゃがんだままでもできるだろうが、細かいコントロールは全体を視界に収めながらの方が上手くいきやすい。名前は塀を背にして立つと、「じゃあいくよ」と声をかけて足裏から一気に呪力を流し込んだ。

 ぶわっと勢いよく吹いた風が名前の帽子を吹き飛ばす。庭中の雑草が名前の腰辺りまで伸びたかと思うと、次の瞬間には一斉に枯れて崩れ落ちていく。それが地面に降り積もるのを見て、正面にいる降谷が「よし」とガッツポーズをした。

「思った通りだ。上手くいったな」

 靴を履き直して庭に下りた彼の足元で、朽ちた葉がカサカサと音を立てる。つい数秒前まで雑草が生い茂っていた空間が、今や視界いっぱい枯れ草だらけ。真夏だというのに秋のようだ。

「便利じゃないか」
「こんな使い方したことない……」
「かさが減って可燃ごみに出しやすいし、根から枯れるから次に生えてくるまでの間隔も長くなる」

 主婦か。
 心の中でツッコミを入れつつも、あまりに庶民的な呪力の使い方に思わず笑いがこみあげてくる。

「ふふっ、変なの」
「竹ぼうきは?風で舞う前に掃き集めよう」
「物置に何本かあったかも」
「集めたら焼き芋でもしてみるか。暑いかな」
「ううん、最高」

 口々に話しながら物置に向かい、見つけた竹ぼうきで日陰に枯れ葉を掃き集める。
 しかし残念ながら人為的な枯れ葉は竹ぼうきが当たるだけでボロボロと崩れてしまい、ほとんど灰のような状態で焼き芋などできそうになかった。そこで結局、ネットで調べたトースター焼き芋に挑戦することになるのだが、それはそれで美味しかったのは完全に余談である。




***




「んー!美味しい!」

 ローテーブルで向かい合いながら、名前は感動のあまり声を上げた。卓上に並ぶのはシンプルなチャーハンとわかめスープ。もちろん作ったのは降谷だ。さつまいも一本を半分に分けたところで成長期の男女が満足できるはずもなく、結局普通に昼食を取る流れとなっていた。

「いや、もっとパラパラにしたかったんだ。チャーハンなら簡単だと思ったけど難しいな」
「充分美味しいよ。私なら絶対に素使ってた。粉のやつ」
「僕も素を使わずに作るのは初めてだよ」
「天才なの?」
「大袈裟だな」

 降谷はチャーハンを口に運びながらも「卵がムラになってる」「フライパンの振り方が」と反省に余念がない。真面目か。

 基本的にレトルトやインスタントばかりな名前だが、後見人である叔父からは不定期で食べ物の仕送りが届くことがある。中身は乾物や野菜などで、消費しなければと思いつつもなかなか料理をする習慣が身につかず、上手く調理できないまま傷ませてしまうこともしばしばだ。
 今回はその在庫から萎びた長ネギと乾燥わかめが降谷によって救われた形となった。

「調味料とか賞味期限大丈夫だった?」
「ギリギリだな。アウトのもあった」
「うわぁ」
「近々、また買い物に行く予定は?」
「うーん……」

 名前はスープに息をふうふう吹きかけながら小さく唸った。いつも・・・の買い出しなら基本は通販。やむを得ない場合のみ平日の午前中を狙ってショッピングモールに行くところだが、今はあいにく夏休み中。休日と平日の境界が曖昧で人出の予測がつかず、できることならそう何度も出かけたくはなかった。往復するだけで一時間近くかかるのが面倒というのもある。

「ネットでもいい?時間かかるけど」
「別にショッピングモールじゃなくてもいいんだ。バスから見えたけど、通りに出ればスーパーとか直売所とかあるだろ」
「うん、まあ……お店はあるんだけどね」
「何か問題が?」

 この男、大抵のことは気を遣って深堀りしてこないくせに、たまに遠慮がない。
 名前はスープの入った汁椀を置くと、なんとなく居住まいを正して小さく深呼吸をした。

「……私、この辺りで浮いてるの。浮いてるっていうか、馴染めてないっていうか」
「この辺りの出身じゃないのか」
「ううん、生まれも育ちもこの家。でも色々あって、わりと本気で厄介者扱いされてる。小さい頃からだからもう慣れちゃったけど」
「……ご両親は?」

 その問いに、久しく思い出していなかった二人の顔が脳裏に浮かぶ。

「二人も私のこと持て余してる感じだったな。物心つく頃には呪いが見えてたし、術式が開花したのも早かったしね。庭木をうっかり枯らしてお母さん泣かせたのが最初かな」

 結局、庭木は一本残らず枯らしてしまった。そう言って顔を上げれば、降谷がなんとも言えない表情でこちらを見ている。聞いたことを後悔でもしているだろうか。

「二人が死んだのは交通事故だったけど、私が呪い殺したって思ってる人もいる。特に老人」
「! それは、」
「そういう扱いは気にならないんだけど、それもあって昼間はあんまり近所を出歩かないようにしてるの。田舎だし家と家も離れてるけど、うっかり顔を合わせるとすごい雰囲気になるんだよね。スーパーなんてじいさんばあさんの溜まり場だし」

 敷地内に呪霊が発生するのも、この家が名前に対する負の感情の受け皿になっているからだ。そう説明すれば、降谷はさらに形容しがたい表情になった。

「……たまにしか出ないよ?」
「そういうことじゃない」

 降谷は大きく溜息を吐くと、苛立ちを押し殺すように眉間の皺をぐりぐりと揉んだ。村八分とも言える扱いを甘受している名前が腹立たしいのかもしれない。

「わかった。買い物は僕一人で行く」
「え、でもそれじゃ」
「この家の居候だと知られた時が心配か?それなら気にしなくていい。メンタルの強さには自信がある」

 ピシリと言い切られ、名前は「すごぉい」と棒読みで褒めた。

「買い物は大体通販か」
「うん」
「書斎に段ボールが山積みだった」
「あ、片付けなきゃ」
「学校にも行ってないのか?」

 これにはさすがに即答できなかった。軽蔑されるだろうか。そんな思いから指先がひやりと冷たくなる。
 しかしいくら夏休みとはいえ、誤魔化すにも限界があるだろう。ここで嘘をついても仕方ないと名前は小さく頷いた。

「でも教科書はボロボロだったな」
「え?」
「書斎の本棚にあった」
「めっちゃ見てるじゃん」
「勉強はしてるんだな」

 そう言いながら感心するように頷く降谷。確かに学校に行っていない負い目もあり、昼間は学生同様、勉強に時間を費やすことも多いが。

「世話になってるお礼に勉強も見ようか」
「えっ?いや、そこまでは」
「こう見えて成績はいいし、教えるのも嫌いじゃない。僕自身の復習にもなる」
「でも」
「ただし、悪いが僕はスパルタだぞ」

 キリッと決めているところ悪いが話を聞いてほしい。そう反論する間もなく押し切られ、食後には善は急げとばかりに早速授業が始まったわけだが―――説明のわかりやすさや飴と鞭の使い分けの上手さに、「この男にできないことはないのだろうか」という疑問が生まれたのは言うまでもない。


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