12. 花見鳥は可憐に歌う



 満開の桜が陽光を浴びて無垢に揺らめく中、駐車場に停められた白いスポーツカーの車内には一組の夫婦の姿があった。

「それで本当に来るんでしょうね? あのFBIの仔猫ちゃんは」
「ええ、間違いありませんよ」

 地味な男を模した変装用マスクの下でそう言って、バーボンは自信ありげな笑みを見せる。

 花見の名所であるこの神社を訪れた目的は、今日ここに来るはずのFBI捜査官、ジョディ・スターリングだ。
 しかし助手席に座るベルモットには、ここに来た本当の目的を知られるわけにはいかない。彼女は赤井秀一の生死をはっきりさせたいバーボンに付き合っているつもりでいるが、彼自身は来葉峠の一件ですでに赤井の生存を知っているのだ。その上自身の正体も知られてしまい、今後大っぴらに追いかけるわけにもいかなくなった。
 つまりバーボンにとって今回の目的とは、赤井の生死云々ではなく潜伏先を探ることにある。

 ベルモットにその目的を悟られないよう利用しつつ、ジョディ・スターリング捜査官から情報を抜く。
 言葉にするとやや難易度が高いようにも思えるが、降谷零という男はその程度のことを躊躇うような男ではなかった。

 時間を確認し、同じく変装済みのベルモットに向けて口を開く。

「さて、僕はそろそろ……」

 車を降りようとドアハンドルに手をかけたところで、彼女が一点を見つめて「あら」と呟いた。

「覚えのある顔ね。確か情報屋よ」

 その視線の先を追いかけて、バーボンは努めて反応を押し殺す。
 ベルモットが見ているのはどこにでもいる気弱そうな年配の男だ。

「ああ見えて腕はいいのよ。一度ジンに消されかけたって話だけど……生きているところを見ると、腕利きの用心棒を雇ってるって噂は本当みたいね」

 今は連れていないみたいだけど。そう続けるベルモットは、老人の隣を歩く女性こそがその用心棒本人だということまでは知らないらしい。

「用心棒程度で見逃すような男ですか? あのジンですよ」
「元々裏切り者の粛清のついでだったらしいし、始末するメリットよりリスクが上回ったのなら有り得ない話じゃないわ」
「なるほど。だとしたらその用心棒、相当な実力者ですね」

 納得してみせながら、車の前を通り過ぎていく二人を見送る。

 名前がジンやウォッカと面識があることはとっくに調べがついていた。そのため降谷が名前のスマホに仕込んだのは単純なGPSのみ。ジンとの接触を把握していたからこそ、そのリスクの高さから盗聴機能の付加は諦めたのだ。

(しかしすごい荷物だな。本当に二人分か?)

 両手に重そうな荷物を提げて上機嫌に歩く後ろ姿を見つめる。術式に似合わず花より団子な彼女のことだ、きっと昼間から堂々と飲めることが嬉しくて仕方ないに違いない。
 と、思わず微笑ましく見守ってしまったその視線に、男の機微に目敏い女が気付かないはずもなく。

「意外ね。貴方、ああいうのがタイプだったの?」

 揶揄うような響きに、バーボンは仮初の顔のまま微笑んでみせた。

「ええ、まあ……否定はしませんよ」




***




 カモフラージュのため安産祈願のお守りを購入しながら、意識の半分はイヤホンから聞こえる音声に向かう。その出所は先程、ジョディ捜査官との接触時に装着した盗聴器だ。
 そして神社の敷地内を駐車場の方向に歩きつつ、比較的近い場所で花見―――というより食事と酒を楽しんでいる名前にも意識を向けているのだから、我ながら器用な男だと思うバーボンである。

「オーナー、これめちゃくちゃ美味しいです。 お店で出しません?」
「仕込みが大変なんですよねぇ、これ」
「じゃあ賄い専用メニューってことで」
「そうきましたか……」

 会話もギリギリ聞こえてくる近さだが、変装中ということもあって名前がこちらに気付く様子はない。

 ちらりと見やった彼女の表情は明るい。
 元々呑気に笑っているのが一番似合うのに、再会してからは一丁前に色々抱え込んで思い詰めた表情を見せることも多かった。だからこそ抱えるものが減って憑き物が落ちたように晴れ晴れと笑う名前の姿に、傍から見ていて安心感すら覚えてしまう。

 とはいえあまり視線を向けるわけにもいかないので、あくまでも視界の端に捉える程度に留めてその場を通り過ぎようとした、その時。

「そこのおねーさん、じーさんと二人?」
「面白い組み合わせじゃん〜、孫?」

 真っ昼間から赤い顔をした男が二人、名前に話しかけている。バーボンはスマホを確認するフリをして立ち止まった。

「俺らも一緒に飲んでいい?」

 いいわけないだろ、と心の中で鼻で笑えば、「どーぞー」と軽くOKする名前の声が聞こえてずっこけそうになる。「でも食べ物とお酒はあげられないんで、持参して」って問題はそこじゃない。

(いやいやいや……何をやってるんだ)

 普段ならさりげなく妨害に向かうところだが、生憎今は組織の女と工作中の身。イヤホンからはジョディ捜査官とコナンの会話が聞こえてくるし、敷地内には別行動中のベルモットがいる。
 そんな心配をよそに名前は至っていつも通りだし、帰る頃には酔っ払い男達のことを「お友達」とでも言い出しそうな雰囲気にげんなりした。

 バーボン、もとい降谷が考えるに、名前の中には身内と友達、そして仕事関係とそれ以外という単純な区分けしかない。
 身内とはもちろん、あちらでの仲間や夜蛾のことだ。そして降谷と出会うまで友達と呼べる存在がいなかった上に、そのまま呪術師となって仕事一筋に生きてきたらしい名前。そんな彼女にとって友達とはあまり馴染まないもののはず。来る者拒まず去る者追わずと言うと乱暴な言い方にはなるが、気安く関わりながらもきっと最後の一線を許しはしないだろう。
 そしてその線の内側にいるこの世界唯一の人間、それが自分であると降谷は自負していた。

「おーい! そこのオッサン!」

 突然の呼びかけに、最初自分に対するものだとは思わなかった。この世に生まれて29年、未だオッサンと呼ばれたことはない。
 しかし再び「おいオッサン」と呼ばれて振り向けば見慣れた少年探偵団の姿があるし、同行している高木刑事の姿からなんらかの事件が発生したことを察するしで、相変わらず忙しない街だと思わずにはいられない。

 結局殺人事件の容疑者の一人と目されつつも無事にその場を切り抜けるが、オーナーを連れて現場の野次馬に来た名前が「あの女の人FBI? かっこよ」とミーハーなセリフを吐くところを目撃してしまい、FBIに対する怒りが理不尽に膨らむ降谷だった。




***




「皆さん! お忙しい中、米花商店連の花見の席にお集まりくださり、ありがとうございます!」

 レストランコロンボの店主が「カンパーイ!」と声を張り上げる中、見慣れた顔に混じって同じように紙コップを掲げる名前の姿がある。最初はやや緊張した面持ちだった名前だが、酒が入ればすぐに人懐こい笑顔で輪の中へと溶け込んでいく。
 年配の女性陣にダンボールの椅子を作ってあげながら、安室はそれを微笑ましく見守っていた。

「焼酎飲みながら桜鑑賞中!」
「あはははっ」

 梓の兄、杉人のダジャレにも目尻に涙を浮かべながら爆笑する名前。「今日はビールをあびーるほど飲みましょう!」という追撃にはもう笑いすぎてヒィヒィ言っている。

「お兄ちゃんったら……」
「杉人さん、今日も舌好調ですね」
「名前さんが笑ってくれるからって調子に乗ってますよ、もう!」

 そう言う梓は兄のお調子者ぶりに頭が痛そうだ。

「それに名前さん、あんなに遠くに座っちゃって。こっちに来てもっと安室さんと話してほしかったのに」
「僕とですか?」

 聞き返す安室に「そうですよ!」と梓が拳を握る。

「せっかくまたポアロに来てくれるようになったんですから、ここで距離を詰めとかないと!」

 そう力説されてしまえば、もう苦笑して誤魔化すしかない。
 梓や女子高生組からの詮索や後押しはむしろ積極的に利用するところだが、それに乗ってグイグイ押しすぎるのも安室透のキャラクターに合わないので加減が難しい。

 その時ぶわっと強い風が吹いて、花見席に幻想的な花吹雪が舞った。それに向かって「えい!」と手を伸ばした梓が、花びらが地面に落ちる前に三枚つかむと願いが叶う、というおまじないを教えてくれる。

「梓ちゃーん!お酒まだある?」
「はーい!」

 呼びかけに手を挙げた梓に代わり、「僕が行きますよ」と立ち上がる安室。
 駐車場に回って花見席を眺めれば、笑顔に溢れた賑やかな空間に頬が緩んだ。

「大勢の人と同じ時間を楽しむ……たまにはこういうのも悪くない」

 思わず独りごちて、脳裏に浮かぶ光景に応えるように拳を突き出した。
 素早く振った右手で五回空を掴めば、手のひらに収まるのは五枚の花びらだ。

「桜の花弁は五枚で一つ。願いが叶うおまじない、か」

 手のひらをじっと見つめると、四人がすぐそこで笑いかけているような気さえする。

「安室さん?」

 聞こえた声にハッとして拳を握る。現れたのは頬をほんのり赤く染めたほろ酔い状態の名前だった。

「お酒取りに行ったって聞いたんですけど」
「はは、そうでした。ちょっと道草を」

 苦笑して反対の手で頬を掻けば、不自然に握り込んでいる拳を見て名前がきょとんと目を瞬かせた。

「ああ、これは……」

 開いた手のひらには、少し皺が寄った花びらが五枚。梓から聞いたおまじないについて教えると、「ふーん」と興味深そうに聞きながら、名前が花びらの中心をそっと合わせていく。そして完成した桜を見て「できた」と呟く。

「三枚で願いが叶うなら、五枚揃ったらもう怖いものなしですねぇ」

 目を細めて緩く笑う名前に、安室もまた眩しいものでも見るかのように目を細めた。
 そして再び風が吹いて、手の中の花びらがふわりと舞い飛んでいく。それを何とはなしに視線で追いかけた二人だったが、そのうちの一枚が名前の髪に引っ掛かっていることに安室が気付いた。

「ついてますよ、花弁」
「え、どこですか?」
「ここです。……名前さんはやっぱり、花が似合いますね」

 そう言いながら花びらを取れば、「よく言われます」と可笑しそうに笑う名前。

「あ、そうだ。紙皿が足りなそうなんですけど、予備ってあります?」

 このくらいのやつ、と両手で円を作るのを見て、「ありますよ」と二人で車に向かう。
 そして紙皿を受け取った名前が、ドッとひときわ大きく上がった笑い声に反応して、先程の安室のように花見席の方を見つめた。

「……私がここにいるの、やっぱり場違いじゃないかなぁ」

 不意に漏れた呟きに、え?と聞き返す。

「昨日、バーのオーナーとお花見に行ったんです。でもそこで殺人事件が起きてお花見どころじゃなくなっちゃって」

 彼女がしていたのは花見というより酒盛りだったような気もするが、ツッコむまい。

「それを梓ちゃんに話したら、こうして米花商店連のお花見に誘ってくれたんですけど……私、全然関係ないじゃないですか」
「今日来ている中にはポアロの常連さんも多いんですよ。名前さんもその枠ということで」
「でも私、常連ってほどじゃないし」
「それなら、これからたくさん来てくれれば問題なしです」

 言いながらパチッとウィンクを決めてみせれば、名前がプッと吹き出した。

「あはは、営業トークだ」

 顔をくしゃくしゃにして笑うその姿を、また見たいと思っていた。つい言葉もなく見つめてしまって、ひとしきり笑った名前が「安室さん?」と首を傾げる。

「ああ、すみません。またこうして名前さんと話せるのが嬉しくて」

 う、とバツが悪そうに口ごもる名前。
 気まずげに視線を彷徨わせてから、意を決したようにおずおずと口を開いた。

「……なんか私、色々気にしすぎて空回ってたみたいで。友達ってそんな風に気負うものじゃないんですよね、多分」

 ピシ、と亀裂が入るような幻聴がした。
 恥ずかしそうに頬を染め、「えへへ」と笑って誤魔化す名前は素直に可愛らしい。可愛らしいのだが。

「じゃ、私先に戻りますねっ」

 目的の紙皿を手にし、照れ隠しなのか駆け足で離れてく名前。その後ろ姿を見つめながら、安室は内心愕然としていた。

(いやいや待て待て……僕が友達枠?)

 どう考えても身内枠だろ、と名前を問い詰めたい気持ちをグッと堪えて、ここに来た目的である酒を持ち出す。自然体を装いながらも心の中は穏やかじゃない。
 名前の看病に行ったあの日、ベッドに横になったあたりから覚えていないというのは聞いていたが。

(これは早急に話をつけないとな)

 そしてその瞬間、花見席に戻った名前は謎の悪寒に背筋をぶるりと震わせた。



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